2万分の1の難病、虐待、会社の乗っ取り… それでも「誰かのヒーローになれる会社」を起ち上げた理由
「真の英雄とは、人生の不幸を乗り越えていく者のことである」――ナポレオンの言葉だ。英雄、つまりヒーローを、華々しい活躍や振る舞いではなく、人格で定義したのである。
その定義に倣えば、HeROINTL株式会社(ヒーローインテル)代表取締役・澤田恒彦はまさしく、その社名通りヒーローと言えるだろう。
澤田は自らを”ナイナイ”だと話す。2万人に1人という難病をもって生まれたため、自由な肢体は“ない”。公務員を辞めて2012年に福祉事業を起こし、軌道に乗るも、2018年3月に「乗っ取られた」ため、経営権も“ない”。
しかし2018年5月、ふたたび起業。それがHERO INTERNATIONALだ。障害福祉事業を起業するための知識を学ぶ「福祉起業大学」に始まり、障害児・障害者の支援事業所「RUBIK川崎」、そして今は、障がい者の就労支援を行うフランチャイズ事業「ONE×MAX」にも取り組んでいる。
“ナイナイ”の不幸を乗り越え、澤田がふたたび起業した理由、福祉事業への思い、そして一番の願い――その半生とともに語ってもらった。
破天荒で“ヒーロー”な母親
――「HeROINTL」という社名が潔いですよね。“ヒーロー”と名付けた理由は?
誰かのヒーローになれる会社にしたいという思いからです。自分も、社員も、携わってくれる人も。
――それは“ヒーローみたいに振る舞う”ということではないんですよね。なぜなら、社是として「I like the way I am.~ありのままの自分が好き~」と掲げていて。この社是に込めた思いは?
私は、自分を好きでいることが重要だと思うんです。障害がある方も、自分の容姿や性格が嫌だという方も、自分らしく過ごし、自分のいいところを見つけ、好きだと思えること。そして最終的には「自分に生まれてよかった」と思うこと。それが最大の親孝行だと思うので。
私の場合は、障害がある自分が本当の自分ですしね。
――澤田さんは「骨形成不全症」をもって生まれてきたと。これはどのような病気なのでしょうか。
遺伝子異常により骨を作る能力が低いので、簡単に言うと骨折しやすいんです。脚も変形するし、背も伸びにくい。重度の方だと生まれてすぐに亡くなることもあります。
私は3100gで生まれ、見た目には問題なかったのですが、母親いわくずっと泣き止まなかったそうです。いろんな病院を駆けずり回り、ようやくレントゲン写真を撮ったところ、何ヵ所も骨が折れていて。そこから骨形成不全症が発覚しました。
――今も車椅子を使っていますが、幼いころからずっと車椅子生活だったんですか。
小学4~5年生まではクラッチ(医療用補助器具)を使って歩いていました。
小学1~2年生くらいまで、千葉にあるリハビリテーションセンター併設の特別支援学校に通っていたのですが、その後、普通の小学校に通い始めました。でも、ほかの児童とぶつかると危ないので、車椅子で生活するようになりました。中学1年生くらいからはほとんど歩いていないです。骨は、体重をかけないといけないものなので、それからは車椅子ですね。
――当時はどんなことを感じていましたか。
走り回る妹についていきたいのですが、置いていかれて、「なんで自分は歩けないのかなぁ」と。悔しい気持ちです。妹は悪気がないんですけどね。
母親に対しては、僕がこうなったのは「自分のせいだ」と思っているように感じていて。でも、子どもながらに母親は悪くないとわかっていました。母親はとても愛情をかけてくれたと感じています。
いろいろ思うところはありましたが、中学1年生でまた特別支援学校に戻ってからは、楽しい日々を過ごしていたと思います。友だちと野球部を作ったり、寄宿舎では寮母さんと本気で卓球をやったり。孤独を感じることはありませんでした。
――さきほどお母様の話が出ましたが、家庭環境はどのような感じだったんですか。
小学1年生のときに両親が離婚し、僕と妹は母親についていきました。父親は、酔うと殴ってくるし、寝ているときに足を踏んづけられて骨折したこともあるし……迷う間もなく母親を選びました。兄もいるのですが、父親についていったので、そのときから戸籍上は僕が長男になりました。
離婚後は一軒家からアパートへ引っ越しました。貧乏で、よく電気が止まっていましたね。当時はまだ借金の取り立て屋がいるような時代で、彼らが来たら妹を静かにさせて。
でも、母親は明るく破天荒な人。ある日突然「車の免許をとりやすいから、フィリピンに行ってくる!」と。結局「英語が難しくて(免許を)とれなかった!」と言って帰ってきました(笑)。
――ははは。でも、客観視してみると壮絶な幼少期ですよね。そのような環境で自立心が芽生えていった?
そうですね……。幼いながらに、一家の大黒柱になりたいという気持ちもあったかもしれません。母親の苦労している姿を見ている分、なんとか僕が自立して、お金を稼いで、親孝行したいと。
――冒頭でも出てきた“親孝行”は重要なキーワードのようですね。その原体験はおそらくそこにあるのではと。
母親と一緒に暮らしたのは、小学校に上がるまでと、小学4~6年生のころだけでした。それ以外は入院しているか、特別支援学校の寮にいたので。
でも、何かあったときは――小学校のころはいじめられていたのですが、そういうときは母親がグイグイと出てきて(笑)。基本は放任なんですけどね。
――幼い澤田さんにとって、お母様こそ“ヒーロー”だったのかもしれませんね。
かもしれないですね。電気、止められちゃいますけど(笑)。
“乗っ取られ”は「ある意味勝ち」
――学校を卒業したあとは就職したんですか。
特別支援学校の先生に「向いていると思う」と言われ、イトーヨーカドーに入社しました。
イトーヨーカドーはとても理解や配慮のある会社でした。障害があってもなくても、やる仕事は同じ。配属先は婦人服売り場だったのですが、発注したり、お直しのピンを打ったり、レジを打ったり、品出ししたり。人とコミュニケーションをとり、喜んでもらえる仕事は楽しかったですね。大企業に就職できてよかったという気持ちもありました。
でも、自宅で転んでケガをして、3ヵ月くらい入院することになり、それをきっかけに辞めることにしました。
――仕事自体は「楽しかった」のに、なぜ辞める決心を?
しばらく入院しながら、思っていたより疲れていた自分に気づいたんです。昔から頼られたいというか、頼まれたら断れない性格なので、忙しいときには9:00~21:00など通しで働くことも。ケガのこともあり、このままでは好きな職場に迷惑をかけると思いました。
次の仕事を考えたときに、「安定した仕事がいい」「民間企業で、中途半端なタイミングで解雇されると大変だ」と思いました。また、「人の役に立つ仕事をしたい」という思いもあり、公務員を目指して専門学校へ行くことに。昼は仕事、夜はコールセンターでアルバイトをして授業料を工面しましたね。
1年後には横浜市役所で働き始めました。そこでは子どもの予防接種などを担当する部署で働きました。
――公務員になるという目標を達成したわけですが、そこも結果として辞めてしまったんですよね。何か思うところがあったんですか。
とても大切な仕事をしていることはわかっているのですが、「制限があるな」と感じていました。例えば、お母さんたちに(予防接種を公費で受けるための)予診票をお渡しするのですが、接種の上限年齢を1日でも過ぎてしまうと、無料で受けられなくなるワクチンもあります。そこで何とかしてほしいと要望があっても、そういう制度なので、どうすることもできない。
僕にとって仕事の楽しさは、やってあげられることが多いかどうかだと思います。決められたことだけではなく、「やってあげたい」と思ったときに具現化できるかどうか。その人のために何かができたと実感できるかどうか。
市役所でも、制度を知るプロとして「この状況だとこの申請ができる」とアドバイスをしていました。その人にとってよりよい生活、環境になればと。
――できるだけのことはやったけれど、やはり満足はできなかったと。そこからとうとう起業の道へ?
はい。当時、自宅に来てくれていたホームヘルパーのおばちゃんから「福祉の仕事は大変な割に給料が安いのよ」と聞いて、福祉の仕事だったら人の役に立てそうだし、こうなったら起業だと思いました。
最初は高齢者・障害者の訪問介護から始め、障害児の学童サービス「おもちゃ箱」に取り組みました。1号店は横浜市青葉区で、次に私の出身地である成田でオープンしました。地元に何かを還元したいと思ったんですね。
そこから「フランチャイズ展開をすればおもしろいんじゃないか」と。そもそも1店舗を作るのに1500万円ほどかかっていたのと、困っている保護者はとても多かったので。
――事業としては軌道に乗っていた感じですね。
そうなると、いろんな方からいろんなお誘いがあって……そのなかに「出資するから上場を目指さないか」というお誘いがあり、それに乗ることにしました。しかし、私の勉強不足もあって、結果的には会社の株をとられてしまって。
――経営権が移ったと。
そうですね。出資は受けないほうがいいなと勉強になりました(苦笑)。
でも、乗っ取りたいと思われるくらいいい会社を作ったんだなと。それはある意味、勝ちなんじゃないでしょうか。そして、前の会社がレベル1だとしたら、次はレベル5や10の会社を作ろうと思ったんです。
電子化で効率アップを
――2018年3月に前の会社を離れ、その2ヵ月後にはHERO INTERNATIONALを起業。2019年3月からはフランチャイズ事業もスタートさせました。これは児童発達支援ではなく、大人の障害者の就労支援ですね。
はい。障害があり、配慮が必要な方々の職場を作ることが目的です。
障害者を雇い入れた場合、国から助成金を受けることができます。しかしこの制度は少し複雑で、わかりづらいんです。
例えば、障がい者の給料を助成金から払うことは禁止されています。これは、仕事がないにもかかわらず障がい者をたくさん雇い、助成金を多く受けるのを阻止するためのルールです。給料はあくまでも生産活動によって得た分から。
――その売り上げはどれくらいあればいいのでしょうか。
私たちが取り組んでいる「就労継続支援B型」ですと、月給は1人あたり最低3000円なので、事業所に20人いれば6万円という計算です。
よく市役所などで障害者の方が作ったパンやクッキーを売っていると思うのですが、それに携わっている方はほとんどがB型。自分のペースで働くスタイルです。
一方、A型は職業訓練校のようなイメージ。雇用契約を結び、事務所は最低賃金を支払う必要があるので、頑張って稼いでもらわないといけないんです。
B型のほうがハードルが低いので、事業所を開くのであればまずはB型からと考えています。
――今うかがった就労継続支援の違いだけでも複雑に感じます。そこに助成金の申請なども絡んでくると……。
ただ起業するだけでも、従業員の給料の計算、社会保険加入の手続きなど、頭を抱えるポイントはたくさんあります。
したがって、助成金申請などの「まい月サポート」から、組織づくりやサービス管理者等実践研修、そして「開業前サポート」も支援させていただくことにしました。その代わりにロイヤリティを支払っていただくという構図です。
――資料を拝見すると、サポートが幅広く、手厚い印象です。フランチャイズといえばコンビニエンスストアなどが思い浮かぶのですが、ここまでオーナーに寄り添うイメージはありませんでした。
以前、フランチャイズ事業を展開していたときによく言われたんです。「お金を支払っているのに何もしてくれない」と。それに、僕たちが臨店(本部の社員が各事業所を巡回すること)しても、「うまくいっていますか?」と聞くくらいしかできません。
そうではなくて、本当に困ることは何かと考える。そこから、今考えているかたちにたどり着きました。
――とはいえ、これだけのサービスを提供するとなるとリソースが必要ですよね。何か対応策はありますか。
テクノロジーによる効率化を図っています。
現時点ですでに人材管理システムを活用し、どの応募者がどんな資格を持っているかがわかるようにしています。そうすれば「この方を雇うと助成金が割り増しされる」など、オーナーにとって有益なアドバイスができるからです。
また、実際に雇用したときにはスキャンスナップ(富士通のスキャナー。資料をすばやくPDF化し、閲覧・共有できる)を用いて、データをクラウド上にアップできるようにしています。
電子化されたデータをもとに事業所の就業規則、賃金規定、そして雇用契約書の作成なども担っています。
それでも、まだまだ手間がかかることも事実。なので、いずればこのような業務のノウハウも事業所に提供できればと考えているんです。そうするとその事業所の収入も上がり、障害者の給料も上がる、いいサイクルが生まれます。
僕は、障害者もオーナーも儲けてほしいんですよ。福祉=大変という暗いイメージではなく、夢がある事業にしてほしい。そうすればもっとたくさんの方が加盟してくれるはずですしね。
――現状、どのような広がりを見せていますか。
まだスタートしたばかりなので、加盟店は「Alba千葉」という施設のみですが、問い合わせはたくさんいただいています。紙資料ではわかりづらい部分もあるので、解説動画を作ろうと考えています。
「自分らしくいる」ための支援
――少子高齢化による労働人口減少の解決策として、障がい者の法定雇用率が引き上げられる予定です。大手企業ではパーソルチャレンジが障害者雇用支援事業をスタートしたり、障害者就職支援を行うウェルビー代表・大田誠さんが「2018年起業家大賞」を受賞したりと、盛り上がりを見せている市場ですよね。
間違いなく熱い市場だと思います。
――そのなかで御社の強みは、代表の澤田さん自身が身体障害者なので、当事者視点の理解や配慮を望める点だと思います。しかし同時に、事業を推進するときには客観性も重要なので、必ずしも当事者が中心人物である必要はないとも思っていて。
そうですね。当事者なので共感性を生むことはできると思いますが、「当事者じゃなくてもできる」のは本当のところです。
――その上で、御社の強みは何だと考えますか。
情報量の多さから、さまざまな手立てを考えられることでしょうか。制度をうまく利用して、ときには裏技的な解決法を提案することも(笑)。
でも、そうですね……強み、言うなれば僕の事業への思いということだと思いますが。よく聞かれるんですけど、フランチャイズ加盟の特典ばかりに目が向いていて、なんで自分の会社を選んでほしいかまで考えてなかったな。
――それはなぜでしょう?
当たり前のことしかやってないんですよ。自分の行動、発言がいいかたちで、誰かの力になればと……自分がこういう体に生まれたから、そう感じるのかな。
母親のこともそうですが、自分がいることで我慢をさせないといけない人、我慢をしてもらわないといけないシーンがたくさんあった。同じような思いをしている人が絶対にいるんです。自分がいることで「お母さんに我慢させちゃったな」「お父さんの時間を奪っちゃったな」と……。
でも、知識があれば、制度を活用できれば、自分らしくいることができる。生まれてきてよかったと思えるだろうし、ご両親にも「自分の子に生まれてきてくれてよかった」と思ってほしいし……そういうことを含めて、事業に取り組んでいきたい。誰もが楽しくお金を稼ぎ、それを誰かに還元して、結果、みんながいいモチベーションをもって生きていければいいですよね。
――私は、御社の強みは澤田さんのその使命感だと思います。障がい者の就労支援という市場は今後拡大し、数年前の地方創生ブームのようになると思うんです。そのなかで、事業が一過性のもので終わるかどうかは、そこに意義があるかどうかとイコールじゃないかと。
自分たちの魅力は、自分たちでわからないのですが……そうだと嬉しいです。でも、説得力ありますかね(笑)。
――定量化できないものが、最終的には人間の生み出す最大の価値になると思います。こうなると今後の動きも気になるところですが、何か展望はありますか。
まずはフランチャイズ事業に注力しますが、今後は、すでに開設している事業所のコンサルティングも行っていきたいです。生産活動の売り上げがなかなか上がらず、困っているところなどをサポートしたいですね。
また、事業所に合った防災計画を作る社団法人を起ち上げたいと考えています。福祉施設には(防災計画の)雛形を使って、とりあえず名称だけを変えて、というところも多いんです。でも、きちんと整備しなければいざというときに不十分ですから。
そうしてさまざまな事業を進めていき、最終的には“障害”という言葉がこの世からなくなることが一番の願いです。特別じゃなくなれば、言葉にする必要もなくなる。テレビドラマやアニメなどの背景にいる通行人Aが車椅子の人だったり、それこそLGBTQの方々だったり。誰もが多様性についての知識を持っていて、それを感じ合えて、その風景が当たり前だと思って過ごせるようになればいい。そのための何かを作れるといいですね。
★フランチャイズ事業「ONE×MAX」を始めた想いを動画にしてあります。
是非ともご覧ください!