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あぁ、この時なのか、と。

別れるその日の後ろ姿がいちばん美しかった。

冬の風の強い日だった。
倒れそうになる自転車を懸命に漕いだ。
彼に懇願してももうダメなことは明確だった。
それでも携帯越しなんて、顔を見れば何か、何か違うはずだと、思いたかった。
思えば2年近く付き合っていた。
強い風の音が耳を塞ぎ遮断した。
自転車を漕ぐのに精一杯で、不安とか悲しみとかよりも彼の後ろについて行くのがやっとだった。
田んぼの間の道を西日が強く照らしていた。
案の定ダメだった。
部活終わりの白いワイシャツに強い風が、強い西日が、土手の緑が、とても美しかった。

別れた後の自分は制御できないほどに彼のことを好きだったと知った。
あざとく卑しい自分を知った。
あさましい欲が恐怖だということを知った。

彼の背中で、文字で声で既に伝えられていた別れを面と向かってもうダメなんだと言われると分かって追いかけた彼のいる景色は今まででいちばん美しかった。

そういう瞬間がある。
あぁ、この時なのか、と。脳裏に焼きつく美しい時は選べない。

言葉にするのに三年半もかかった。

彼のことを思い出すと、話題にすると、ましてや見たりなんかすると未だに動揺して心臓が痛い。
一度本気で好きになった人を嫌いになることは出来ないのだなと思う。

もっと幸せな時を人生でいちばん美しい時として感じたかったとも思う。でも、未だに人生でいちばん美しかったと思うのはまさかのその時だった。
感情と思考が複雑にほとんど混沌とした状態であったからだろうか。自分のキャパシティを超えた状態で迎えたその時は余りにも不意で、妙にすとんときた。
ああ、美しいなぁ。
そう思っただけだった。なのに涙が出た。
彼と自分が別れなければならないであろう現実や自分の気持ち、クラスでの立ち位置、友達が丸かぶりなのにどうするのか、次の彼女は誰になるのだろうか、いろんなことを考えていたのにその時出た涙の原因はただ美しかったからそれだけだった。
頭の中も心の中もそれだけになった。
その後結局別れ話をして、ぐちゃぐちゃにはなったのだけれど。

きっとおばあちゃんになっても彼のことを思えば、ときめいていたあの時の気持ちを、傷付いたあの時の気持ちを、制服を着て過ごしたあの時を思い出してどこを見ればいいのかわからない気持ちになってしまうのだろう。彼に恋をしていた自分が好きだった。きらきらしていた。自分をそうさせる彼が好きだった。今でも好きかと聞かれたら、たぶん、私は困った顔をして笑うだけだろう。

美しい時は選べなかった。
まさかのいちばん美しい時はそんな時だった。
八ヶ岳の頂上から見た景色よりも、視界を占領する大きな絵画を見た時よりも、美しかった。
若々しい美しさだった。新鮮な美しさだった。強烈な美しさだった。
思い出せば出すほど少しづつ痛みが沈んでいくのも分かった。沈んだだけで、何かの拍子に浮かんでくるととても痛いことも知っていた。

死ぬ時思い出す情景がそれだったら悔しい。
でもそんな気もする。

いちばん美しかった時の話をしているだけで、その時の彼が一番好きだったとか、今の彼よりすきだったとか、そういう話ではない。
ただ、あの時がいちばん美しかったという話だ。
美しかった。ただそれだけのこと。



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