【自作ボードゲーム】、【何かラノベ的な雰囲気の自作小説】用の世界感設定資料


とりあえず、自分が考えている
・【自作ボードゲーム】、【何かラノベ的な雰囲気の自作小説】用の世界感
の考えがまとまってきたので、「世界感設定資料」は、次のような感じにしたいと思います。
まず先に、「世界感」用の単語の実際の辞典の調査をしないといけないので、前半部分は、「普通の現実の辞典の単語の調査」で、後の部分は、だいたい、そんな雰囲気の「ファンタジー世界」用の自作の「世界感設定資料」となっているので、後ろの方は、ファンタジーであり「設定」であり、一般の辞典として使えないので注意!
前半の「普通の現実の方の辞典部分」も、難しい哲学や学術用語があって、全部理解できていないので、間違っている可能性があるので注意!
主に、哲学者ライプニッツの考える形而上学的根本原理の「予定調和」という、人があらがえない力のようなものがあるのか?みたいな話です。(ライプニッツは「モナド」というのがあれば、そういう状態には成り得るみたいな話を言っていて、ライプニッツの「モナド」とそっくりな概念を、アリストテレスは、「エンテレケイア(entelecheia)」と言っていて、この考え方や概念は哲学史としては、非常に古くからある。)

要するに、ここに書いてある
・【自作ボードゲーム】、【何かラノベ的な雰囲気の自作小説】用の世界感設定資料
というのは、「水野良のテーブルトークRPGの『ロードス島戦記』のフォーセリアという世界感設定」とか、「クトゥルフ神話テーブルトークRPGの信仰設定」とかのような、「世界感全体」の大雑把な枠組みのような背景設定の事で、これは、完全に、自分の独自解釈によるものなので、「特に、深淵エリアなんかは実際に存在しているかわからないので、現実に有る!とか思わないように!」
もともと昭和の古い世代なので、ラノベ最初期の『ロードス島戦記』とか、「クトゥルフ神話テーブルトークRPG」とかの影響は、だいぶ受けているものの、完全に、独自の解釈の
・「予定調和」という神々さえもあらがえない力の流れの中で、神々、魔王すら翻弄されている世界感
・「善と悪」という一般的なファンタジーや映画などのモチーフは無視して、基本的なRPGとかの「善と悪が戦う」みたいな単純な世界感設定ではなくて、「生じた結果の善、悪により、神々、魔族、人間の全てが苦しんだり、考えたりしている世界」。
という自分独自の世界感設定なので、もっと奥深みのある物語が展開される予定。

(参考資料)<普通の辞典部分>

<1> (予定調和)(次の説明文は、以下の辞典の要約を自分がまとめたものなので、実際の学術的な説明からは、少し間違っている可能性もあるので注意)

「予定調和(harmonie préétablie; preestablished harmony)」は、「ドイツの哲学者ライプニッツの考える形而上学的根本原理の一つで、因果律のようなものは存在せず、モナドという相互に影響し合う事の不可能な霊的なものがあり、モナドは生成消滅することもなく、はじめから存在し続けているもので、故に、因果律とも無関係。私達が因果律(原因があって結果が生じる)だと思っているものは、そもそも存在せず、モナドという霊的なものにあらかじめ刻まれた振る舞いなだけで、結果的に、因果律のように見えているだけで、このように、人間からは完全に不干渉なエリアにある出来事が万物の事象を支配しているような考え方を、形而上(けいじじょう)(人間からは知覚できない領域)」と呼んでいる。ライプニッツの「モナド」とほぼ同じ意味の事を、アリストテレスは、「エンテレケイア(entelecheia)」と言っていて、この考え方や概念は哲学史としては、非常に古くからある。
ライプニッツの考え方では、『世界は低級な物体から神にいたるまでモナドによって構成されており,この位階はそれぞれのモナドの含む表象の明瞭度による』というものなので、神々に到るまで、この予定調和からは逃れられない。
私達が因果律では、到底説明できないような出来事に遭遇したりするのは、こういった「予定調和」、「モナド」、「形而上(けいじじょう)学」的なものがあるからである。という風に解釈している。

<参考文献>
(<辞典>予定調和)
https://kotobank.jp/word/予定調和-146335

(<辞典>モナド)
https://kotobank.jp/word/モナド-142601

(<辞典>エンテレケイア)
https://kotobank.jp/word/エンテレケイア-38287

<2> 「レジリエンス(resilience)」
「アリストテレス」のいた古代や、「ライプニッツ」がいたまだ錬金術などがあった中世ヨーロッパの時代とは違い、現代ではコンピューターもあり科学的に、いろいろと複雑な因果関係も人間が理解できるようになってきて、「予定調和」とは少し違うものの、似たような振る舞いをする事象に、「レジリエンス」というものが指摘されている。
少し違うものの「予定調和」も、「レジリエンス」も、「人間の力ではどうしようもない何らかの自然的な力がバランスを取る位置のラインまで、勝手に変わっていってしまう」みたいな、かなり強い力が働いている事象が、ほとんどのかなりのものに存在している事が確認されている。
例えば、「地球温暖化などの環境破壊で壊れた珊瑚礁」は、位置は変わるものの、「勝手に、かなり強烈な力であるラインにまで復元して戻るが、それ以上は拡大しないというラインのバランスに勝手に納まる」みたいな「自然復元力」のようなものを、「レジリエンス」と呼んでいる。(要するに、因果関係が複雑すぎてよくわからん「自然修復力」という「ベクトル」が存在しているという事。「因果関係は複雑過ぎてよくわからない事象」でも、「観察」や「統計」とかはとる事ができるので、この未知の「総意」のような力のベクトルは観察と統計から、ある程度数値化はできる。「途中の理論や定理がわからなくても結果だけは利用できる」みたいな状態にあったものは、過去には、「フェルマーの最終定理」とかいろいろとある)
古代や中世とは違って、コンピューターや数学、物理学、化学などの学問分野の発達もあって、現代では、こういった様々な「レジリエンス(resilience)」現象が起きるのは、ただ単に、因子が多すぎて因果関係が複雑過ぎて面倒くさいので計算しないだけで、「温度」、「湿度」、「海流」、「生物量調査」、「惑星の位置と引力」、「太陽活動具合」など、ありとあらゆる出来事の「常に変動し続けている」数値を入力できさえすれば、こういった「レジリエンス(resilience)」現象も、きちんと因果律の結果、おそらく起きているのだろうという推測はできる。
が、ライプニッツの「モナド」や、「形而上学的因子」が存在するならば、当然、その数値も入力しないといけないが、「そもそも、形而上学というのは、人間の知覚できないエリアで何が起きているのか?を思考実験するしかできない」という観測不能領域の話なので、この因子の数値が入力不可能なので、真実は、いつまで経ってもわからない状況。

ちなみに、「シュレディンガーの猫」とか「量子論的実験」の実際の結果では、「観測した瞬間に未来が決まる」のだが、ライプニッツの「モナド」や、「形而上学的因子」が存在するならば、それらは、「観測できない」事から、ここら辺に矛盾が生じてくる。
ライプニッツの「モナド」や、「形而上学的因子」が存在していて、「観測できない」因子が原因で、未来や過去などが形作られていた事象が発見できれば、「量子論」そのものの考え方を変えなければいけない。(というか、逆に、ライプニッツの「モナド」や、「形而上学的因子」が存在しているから、『「量子論的実験」の実際の結果では、「観測した瞬間に未来が決まる」』のようなわけがわからない実験結果に見えているだけで、実際には、本当は全然別の事象が原因で、そもそも量子論自体が間違っている可能性も否定できない)

<参考文献>
(<辞典>レジリエンス)
https://kotobank.jp/word/レジリエンス-674159
================================

<【自作ボードゲーム】、【何かラノベ風の自作小説】の背景設定やネタ>

(ここから下は、【自作ボードゲーム】、【何かラノベ風の自作小説】の背景設定やネタなので、学術的な意味は全く無いので注意!上の概念を雰囲気だけ強引に、自分が「ファンタジー」風に解釈しているだけなので、「このファンタジー設定の単語が、現実の概念だと勘違いしないように!」。「ファンタジー」や、「ラノベ」に出てくる世界感設定の単語は、若干、面白おかしくなるように、単語の意味を変えたり、誇張したりして使っているものなので、そこら辺に注意!)
(まだ、大雑把な世界感設定なだけなので、ここの内容は、どんどん変わる予定)

(世界感)
基本的なRPGとかの「善と悪が戦う」みたいな単純な世界感設定ではなくて、「生じた結果の善、悪により、神々、魔族、人間の全てが苦しんだり、考えたりしている世界」。

・『予定調和(自作背景設定なだけで学術的な意味合いとおそらく少し違うので注意!)』
このボードゲームや自作小説の世界感設定では、まず、未来が形作られる本流筋として、「予定調和」という「神々さえもあらがえない力」があって、その本流筋に向かって、勝手に、未来は形作られ進んでいる。
「運命論」とはちょっと違って、「予定調和」では、「運命で定められているので勇者だから死なないとか、魔王だから必ず倒される」とかではなくて、「勇者が死ねば、変わりの事象が発生するだけ」だが、勝手に、ある「予定調和」ラインに向かって未来が進んで行くだけ。
要するに、「個々に運命は無く」、「宇宙や森羅万象全体としては、ある未来に向かって強制的に進んで行くだけで基本的には変えられない」みたいな状態。

<「神族」、「女神」、「天使」の立場>
「秩序」、「調和」などを中心に行動している。

・『神々』の立場
人間や全ての生き物や森羅万象すべてを、「神々」が管理しやすいように、「秩序」、「調和」を重んじて、そのようになるように行動している。
「神々」も、「予定調和」には逆らえないが、この手法によって、「神々は、人間を観察する事で、そこから生み出される"知恵"を収集、集積していて、最終的には、その非常に長時間の人類史で集まった"知恵"を用いて、よりよい善なる世界を作ろうとしている」
だが、最終的に、「完全なる秩序だった世界」とは、「人間がロボットになる事」あるいは、「人間がロボットのように管理される事」であるように、人間の科学文明が進展を始めてしまっており、この最大のバグにより、「秩序だった世界を重んじていた神々の世界や概念も揺らぎ始める」

・『女神』の立場
「女神」は、『「神々」の意向に沿うような、人間を探し出し、その人間に神々の恩寵を与えサポートする役割』
「神具」を授けたり、回収したりする。
「神具」は圧倒的な神々の恩恵により、強大な力を発揮できるようになる反面「神々、女神、天使」側の立場でしか行動を取れなくなるというリスクもある。
「神具」は、人間側は受け取るべきなのか?を考え、判断しなければいけない。
「神具」を受け取ると、「神々の側の歯車の一部としてしか生きられなくなる」が、「歯車」とは違って、「代えがいくらでもいる」ので、「自分という歯車が壊れて使い物にならなくなろうが関係無く切り捨てられる」が、「神族」、「女神」、「天使」は、それは効率が悪いという理由で、主に、直接人間に干渉している役割をしてくれる「女神」と「天使」は、基本的には、全力で常にサポートしてくれる。
「女神」は、基本的には、「神具」を与えた勇者に付きっきりで全力サポートしてくれる存在。

・『天使』の立場
「天使」は、メッセンジャー(伝令)だったり、斥候(せっこう)だったり、「女神」がしていない神々の雑用をこなしていて、神々の方針が実現できるようにサポートしている。

<「魔族」の立場>
「神々」が、「秩序、調和を作り出す事が、人間が生み出す"知恵"を効率良く生み出す」と考えているのに対して、
・「魔族」の考え方では、「混乱した状況こそが、人々が知恵を効率良く生み出す」と考えていて、「より混乱を作ろうと動いている」。
「魔族」も基本的には、この「人間が生み出す知恵」の収集や利用を主な目的で行っているので、「自分の世界感では、魔族であっても、人間を完全に滅ぼしたり、虐げたりはしない」が、「積極的に、人間を絶望的な状況に追い込み、知恵を絞り出そうとしている」
「魔王」に忠誠を誓う事の見返りに、「魔具」という「神具」級のものを授かる事ができる。
設定的には、「神具」と「魔具」の同時装備は不可能そうだが、ゲームバランスやシナリオ的には、面白いキャラクターも作れそうなので、とりあえず、「神具」と「魔具」の同時装備は可能ではある。位の設定にしておく。(基本的に自分は、「ルールブレイカー」な方なので、面白くなりそう、あるいは、何か特別なシナリオが書けそうならば、「設定」自体を壊す邪道でしかない事を普通にするので)

この「神々」と「魔族」の両極端の振る舞いの結果、「予定調和」が形作られるほんの一部分の大きな流れの1つにはなっている。

<「巨人族」の立場>
「巨人族」は、ギリシャ神話の「タイタン族」とほぼ同じで、「巨人族は元神々の先祖や親族であったりするが、神々側につくか?魔族側につくか?などは、個々自由な判断で生きている存在」で、威力は、「神族」、「魔族」に匹敵する強さを持つ。
「巨人族は元神々の先祖」な事もあり、「超自然力」を操ったり制御したりできるという、「神族」、「魔族」、「人間」などでは、到底不可能な自然現象相手の出来事でも、いとも簡単にやってのける。
「予定調和」の本流すらも、大きく流れを変えてしまうだけの力を発揮できるが、「最終的には、予定調和の流れには逆らえない」が、若干だけ、未来が変わる方に、「予定調和」の本流筋自体を変えてしまう事がある。
「神族」、「魔族」、「人間」なんかは、「予定調和の流れ」には、ほとんど逆らえないので、この「どこの勢力につくのか?」すらも、気分屋でわからない「巨人族」の振る舞いによって、いろいろと翻弄される事となる。

要するに、「予定調和」の本流筋自体は、非常に強い力がかかった時に変わる事はあるが、通常は、「レジリエンス」の力で元の状態へと戻っていくだけ。
もっと強い力がかかった時には、「予定調和」の本流筋の「未来の行き着く先」が変わるだけで、「予定調和」の本流筋という概念そのものが消えるわけではないので、結局、神々も含めて、この「予定調和」にはあらがえない状態が続くだけ。(例えば、地球温暖化が進むと、「珊瑚礁」のいたい位置が変わるだけだが、「その位置にしかならないような逆らえない自然復元力(レジリエンス)が働く」みたいな状態。「隕石衝突による氷河期」の時期には、「珊瑚礁が消滅」するが、これも、「その状態になるような位置にしかならず、逆らえない自然復元力(レジリエンス)が働く」だけで、この「予定調和」の強い流れには逆らえない。「氷河期」が終われば、勝手に、「他の地域から珊瑚礁が移って戻ってきたり、他の生態系が発生して定着するだけ」みたいな感じなのが、「予定調和」の本流筋の「未来の行き着く先」が変わるだけという意味。「どうしようもない、ある状態にしか落ち着かないように、自然の補正力がかかっている」みたいな状態が、「レジリエンス」とか「予定調和」の状態。「ライプニッツ」とか「アリストテレス」なんかは「神学」も混ざっているので、「神が善なる位置になるように修復していく力」のような物事の流れがあるんじゃないか?みたいな感じ方かもしれない)

(次の「幽世(かくりよ)エリア」、「深淵(しんえん)エリア」は完全に別次元の話で、上に書いたような概念が全く通用しない、このボードゲームや小説の世界の人々から見た時の「さらに異世界」にあたる。どちらも、「SAN値」が、ターンごとに減っていくので、「発狂」状態になりやすくなる。「神族」、「女神」、「天使」、「魔族」、「巨人族」、「人間」などに関係無く、全部、「発狂」する。「幽世(かくりよ)エリア」、「深淵(しんえん)エリア」の住人達も、逆側の「幽世(かくりよ)エリア」、「深淵(しんえん)エリア」の「SAN値」耐性は全く無いので、そちら側に放り込まれるとしばらくして「発狂」する。「ヤンデレ」状態とかになる)

<幽世(かくりよ)エリアの住人の立場>
「幽世(かくりよ)」は、妖怪、人外(既存のファンタジーとかの枠を外れた都市伝説とかの形状の妖怪的な形状のものの意味。最近は、都市伝説が流行った事もあって、昔のファンタジー枠の設定以外の「人外」キャラが増えた事で、「人外」という分類が必要になった。ある意味、「自由な発想でクリエイターが作っていい、現代のファンタジー領域となっている」)、幽霊とかが住んでいるエリア。
基本的には、人間などが住んでいるエリアとかからは、絶対に侵入不可能で、完全に、別の概念で動いている世界。
考え方、文化、事象の起こる原理などが全て異世界であり、まったく違うので、予測不可能な出来事が起こる。

<深淵(しんえん)エリアの住人の立場>
深層心理に直接影響を及ぼすような言葉を残した哲学者ニーチェの言葉「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいている」に様々な人が影響を受けて作られたのが、「深淵(しんえん)」という不気味な概念。
「Don't Starve」というゲームや、「オディロン・ルドン(Odilon Redon)」という画家の描いた絵によく出てくる「目」がモチーフとなったモンスターが多く徘徊するエリアにする予定。(「見ている」とか「見られている」と深層心理的に強く感じられるエリア)
もともとが、哲学者ニーチェの言葉からスタートしているエリアなので、「哲学的モチーフ」、「深層心理学的なもの」、「美術のアトリビュートをモチーフにしたもの」など、「概念」、「事象」なんかが物体化しているような異様な感覚に陥るエリアにする予定で、この「深淵」エリアの解釈は、自分独自によるもの。

<「人間」、「エルフ」、「ドワーフ」などの種族>
「人間」、「エルフ」、「ドワーフ」などの種族は、「神々」や「魔族」に翻弄される存在。
基本的には、「神々」の統治する「秩序」、「調和」の世界で大きく繁栄してきた種族なので、「神々」側の立場で行動しやすいが、一概にはいえない。
基本的には、「テーブルトークRPG」の基本設定と同じ。(というか、「エルフ」、「ドワーフ」などの種族は設定変更不可能。ここを変えると「ファンタジー」や「神話」でなくなる)

(「人間」種族)
手先が器用で知力も高いので、「とりあえず、可も不可も無い無難な感じで、なんでも、武器、装備、道具も扱えるし、ほぼ何でも職業に就く事ができる(「魔法」とかはよほど専門で鍛錬しないと無理だが)」
「人間が作ったインフラ」効果を、手先が器用なので、100%の力を引き出して利用できたり、施設の修復まで可能。(ボードゲームの「インフラ(村、町、補給所、何かの施設(温泉、魔法施設とかいろいろ))」マスは、それぞれのマップごとの「種族」が最大限の100%効果が発揮できて、それ以外の種族がマスに止まって利用する時は、マイナス補正が基本的にはかかる。が、「人間種族の村の魔法施設」とかは、「人間よりも、魔法を扱うのにたけた種族の方が性能を多く引き出し発揮できるので、そういう場合には、120%効果とかにする」)
「人間」種族は、「寿命がちょうど、一人前の事ができるようになった瞬間位に、寿命が尽きてしまう」ようになっているので、「何も成せないで終わる」か、あるいは、「何か成した瞬間に寿命で死ぬ」という、最も効率の悪い人生を歩んでいる種族。
それ故、「本」や「文字」という後の世に託す文化が発展したり、「師弟」制度文化が作られたりしている。

(「エルフ」種族)
「精霊力」、「精霊使役力」、「魔法」を使うのにたけている。
手先も器用で、大体の装備は器用に扱えるのが、重い装備を使う事ができないが、俊敏だったり、「精霊」の恩恵で、「幸運」度が高かったりする。
非常に、長寿の種族なので、いろいろな知識を知っている。
長寿過ぎて、「厭世観(えんせいかん)(ペシミズム,pessimism)」を遙かに超えた達観した人生観を持っていたりして、逆に、「深く考えてもしょうがない。人生は長すぎるし」という感じで、「楽観主義(オプティミズム,optimism)」を中心に、気楽に楽しんで生きている。

(「ドワーフ」種族)
「鍛冶」能力にたけていて、特に、「自分の力だけで、ゼロからまったく新しい物をクリエイションする能力」にたけている。
重い装備を使えるが、動作がのろい。
施設や装備品、アクセサリーとかの修繕などの能力は、人間よりかなり高い。
「宝石」加工とかも得意で、「魔法道具」も作れる。
長寿でもあり、「クリエイション」する事に生きがいを感じている種族なので、あまり考えないように見える行動をしている「楽観主義(オプティミズム,optimism)」を中心に、気楽に楽しんで生きているエルフ種族とは、基本的に、馬が合わず仲が悪い場合が多いタイプのドワーフがいる。
一方で、エルフ同様に長寿を精神的に耐えられるように、「楽観主義(オプティミズム,optimism)」を中心に、気楽に楽しんで生きているドワーフタイプと、結構、いろいろなタイプがいる。
基本的には、職人気質で堅物。お金をたくさん持っていこうが、気にくわなければ、武器を作ってくれなかったりする。
酒が好きで飲むと、陽気や楽観的や悲観的になったり、いろいろと面倒くさいやつになりやすい。
陽気さと堅物さという両極端の性格を常に合わせ持っているので、いろいろと面倒くさい性格。

<ザックリとしたまとめ>

要するに、
・「予定調和」という「神々」も逆らえない本流筋が未来へ向かって流れている。
その世界感の中で、
・「神々」の「秩序」、「調和」を重視した方針へ未来を導こうという流れ。
・「魔族」の「混乱」を重視した方針へ未来を導こうという流れ。
という未来への流れが、重なっていて、
・それで、「人間」、「エルフ」、「ドワーフ」などの種族は、「神々」や「魔族」に翻弄される弱い存在。
なのだが、「知恵」が高かったり、「器用」だったりする事で、場合によっては、「予定調和」、「神々」、「魔族」といった強力過ぎる未来の流れを変えたりする事もある。
というのが、この世界に住む通常の存在の常識的な世界感なのだが、さらに、輪をかけて、それらの常識すらも通用しない、
・「幽世(かくりよ)エリア」、「深淵(しんえん)エリア」があり、まったく違う文化、哲学、事象の起こる原理が違うなどの異様な異世界がさらにある。
(ここまでのエリアが、「ファンタジーワールド」という世界)
================================
のだが、自分の書く予定の「何かラノベ風のような自作小説」では、ここに、さらに、
・現実世界(リアルワールド)(いわゆる異世界転生ものの「現実の世界設定」の異世界転生する前の人物の住む「ファンタジー世界」ではない普通の現実世界)
があり、さらに、
・「メタSF(現実のメタデータの脚注がたくさん入ったSF。通常、「陰謀論」に結びつきやすいので、誰もやりたがらない)」という、まったく新しい分野を自分が立ち上げる。(実際には、自分の意味の「メタSF」にほぼ近い事を最初にやっていたのは、『STEINS;GATE』のはずだが、そちらは、当然、「これはフィクションであり現実の出来事とは違います」と但し書きがあるので、厳密には、自分の意味の「メタSF」ではない。自分の場合には、「フィクションとノンフィクションの間の話もあるのではないか?」という、この狭間を狙った、まったく新しい「メタSF」というジャンルを立ち上げるが、「このお話は、フィクションですが、未来の社会学を考える思考実験小説です。近い未来には真実になっている可能性があります」という但し書きにする。中の人が辞典学者なので、「先端技術や現実社会の問題点」について、未来の社会学を考える思考実験として、かなり深く考えるつもりです。もっと古い時代だと、博学SF作家の「小松左京」なんかも、「メタSF」と名乗ろうと思えばできたはずのだけの博学の知識背景で書いていたはずだが、こちらも、当然、常識的対応として、「これはフィクションであり現実の出来事とは違います」という但し書きですから、自分の立ち上げる「メタSF」というまったく新しいジャンルとは違う)
部分があって、さらに、
・「イストワール」という、「これら全ての世界から完全に隔絶された、これらの全ての世界を見守る世界(現実世界の「メタ」領域まで見えている「ファンタジーの常識崩し」の世界感設定)」が、その外側の次元に存在している。(いちおう、この「自作小説」を書いている中の人が辞典学者なので、単語の選別には学術的なこだわりがある)
という、滅茶苦茶ややこしい世界感設定になっている。

(法的注意事項)
「イストワール」は、「ネプテューヌシリーズ」のキャラクターなんかにいるものの、
・『元の単語は、フランスの言語学者エミール・バンヴェニストが言っていた「イストワール(フランス語: Histoire, 歴史)」という「歴史」というフランス語の単語なだけ』
なので、基本的には、こういう「ただの一般的な単語」や「学術的な単語や概念」などには、独占権は付与できないので商標とかは認可されない。という状態にある。(「学術的な単語や概念」に独占権があると主張する事が認められてしまうと、そもそも論文が書けないし、議論がまったく前に進まなくなるし、「各論文を書く人が、同じ概念の単語について、毎回自分独自のオリジナル単語を披露する」となると、もうわけのわからない学会となってしまうので)
例えば、『シャンプー』という商標を出願して、通常は通らないが、仮に、商標登録できるような法律が制定されていると、「全ての店舗や商品名に、"シャンプー"という単語が入っていたから、商標を持っている俺に、独占権があるから、金寄越せ!」みたいな主張がまかり通ってしまうと、「個人に対して独占権が強すぎる」ので、通常、認可されない。
このように、「ただの一般的な単語」には、通常、独占権の付与ができない事から、商標とかを取得できない。あるいは、「指摘されれば、認可取り消しになる」恐れが非常に強いので注意!
これは、「商標なんかの独占権付与」ができないだけで、「小説の中で使えない単語なわけではない」という関係にある。
要するに、「イストワール」という単語は、「フランス語のただの"歴史"という意味なだけの単語」であるので、「一般の小説の中で、"犬"という単語を使用していいのと同様にして、自由に使っていい単語である」というのが、正しい法律的解釈になるはずです。
このように、作品の中で、どうしても独占権を主張したい単語を使用したいのであれば、「自分独自に生み出した単語」を作る必要がある。
基本的に、作家やクリエイターというものは、「独占権を主張したいから作品を書いているわけではない」のであって、「作品の内容に共感を得てもらいたいとか、何かを感じてもらいたいから作品を作っている」わけなので、ここの判断を間違ってしまうと、「だんだん、何の為に作品を書いているのか?」がわけがわからなくなっていく変な作家となってしまう。
ですから、「イストワール」というキャラクターデザインと設定は、「ネプテューヌシリーズ」に著作権はあるという「デザインと背景設定込み」ならば著作権主張できるだけで、「単語」としては、「ただの"犬"」という単語同様に、誰かが著作権や独占権を保持できない状態にあるはずの単語と理解している。

(フランスの言語学者エミール・バンヴェニストが言っていた「イストワール(フランス語: Histoire, 歴史)」という単語について)
言語学者エミール・バンヴェニストが指摘していた学術的内容は、
『「歴史」の書物が真実をきちんと書けないのは、言語学的な欠陥によるものなのではないのか?
きちんと客観的な書き方の手法を言語学的に守って書いた文章を、「イストワール(フランス語: Histoire, 歴史)」と呼んで、そうではない主観や読者がいる事を前提に書いて、読ませる対象の読者に受けがいいように内容を歪めて書いてあるような言語学的な手法になっているものは、「ディスクール(discours)」と呼んで区別するべきだ』(たぶん合っていると思うが、自分が理解した範疇ではそんな感じの議論)
みたいな話をしていたが、いろいろな学者から、
・「イストワール(フランス語: Histoire, 歴史)」という客観的叙述方法を使っても、正しい歴史が書かれているとは限らず、「物語」の可能性も存在しているだろう。
・逆に、「ディスクール(discours)」という主観を交えた手法で言語学的に書いていても、「真実の歴史」を記す事は可能だ。
とかの反論にあって、現在も、ややこしい議論が論文では進められていたりする。
なのだが、一般的には、
「ネプテューヌシリーズ」の「イストワール」の背景設定のように、
・「イストワール」(書かれた状態になっている「歴史」の事で、しかも、「真実の歴史」のみが忠実に再現できるような特殊な言語で書かれている。「真実の歴史」の本の書庫。ここでいう「真実の歴史」というのは、当然、「ファンタジー世界内で起きた歴史としての真実の歴史のみの集積体」みたいな意味で、ファンタジーなので、「現実の意味の真実の歴史」ではない)
みたいに、「ファンタジー」設定では使われやすい単語で、自分も、その意味で、この背景設定に使って書いている。(「メタSF」を自分は書きたいので、「イストワール」と表現するのが辞典学として、最も適切なので)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?