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戦争の恐ろしさを子どもにどう教えるか

79年前に日本で戦争があったことを自分の子どもにどう教えるのか。

私自身も戦争を知らない世代であるが,初めて戦争の怖さを知ったのは5歳の時。
人生で最初に連れて行ってもらった映画館で両親と共に観た映画がスピルバーグの
「太陽の帝国」だった。

日中戦争下の上海。イギリス租界で生まれ育った少年は、日本軍が上海の租界を制圧した際に両親と離れ離れになり、捕虜収容所へ送られる。そして、戦争の恐怖で死や絶望に囲まれながらも、生きるためにもがき、奮闘する。

何が恐ろしかったかというと,
映画の冒頭,日本軍によって上海が占領された際に,大混乱の中で逃げ惑う人々の人混みの中で,主人公の少年が両親と生き別れになってしまうシーンだった。
少年と母親が固く握りしめていたはずの手がとてつもない人混みの力に負けて離れてしまった瞬間,そして母親が絶叫しながら息子の名前を呼び続けるシーンを今でも鮮明に覚えている。

映画の印象があまりに恐ろしすぎて,それ以降一度も観られていないし,5歳の時にたった一度だけ観たこの映画によって
「戦争が起こると親と引き離されるのだ」という恐怖感と共に強烈に私の中に刷り込まれた。

戦争がどういうものなのか,何が起こるのかはよく理解できなかったけれど,5歳の子どもにとって自分の親と生き別れることの恐怖だけは十分すぎるほどに理解した。

この映画を観てから,自分が自立して親がいなくても生きていけるんだという自信がつくまでの間「親が自分を残して居なくなってしまう恐怖」をずっと抱えて生きてきたように思う。
夜な夜な布団の中で,「もし明日戦争が起きて,お母さんと離れ離れになったらどうしよう・・・」と泣いたこともあった。こどもの頃の自分にとっては戦争の怖さというのは自分がひとりぼっちになる怖さだった。


うちの4歳の息子が「せんそう」という言葉を覚えたのは割と早い時期だった気がする。

時折テレビで目にするウクライナやガザ地区での戦争の映像を目にしては,これは誰と誰が争っているのか,どっちが悪いのか,といった質問をする。

また通っている保育園でも時折避難訓練の一環でJ-アラートに対応した訓練も行っているようで
「ミサイルが飛んでくるかもしれない」
ということを当たり前のこととして生きている。

戦争そのものが身近に存在するのに
それが一体なんなのかよく分からない。それは子どもも大人も同じだ。

分からないことを言語化するのは難しい。そして言語化したところで陳腐化する可能性すらある。だからあえて戦争がなんなのか,ということを説明することはしなくてもいいのかもしれない。

ただ,
「ひとたび戦争が起こると,この世から自分の大好きな親が消えてひとりぼっちになってしまうかもしれないんだ」
ということだけは伝えなければいけない。そういうことが当たり前のように起こる日常が戦争。
これでも子どもにとっては十分すぎるほど伝わるのではないかと思う。

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