サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想の違い、「概念法」と「真実法」

サマタ瞑想とは、対象に集中する瞑想。
そして、ヴィパッサナー瞑想とは、あるがままに見る瞑想。

これは、「外の行法」と「内の行法」に対応している。

サマタ瞑想は対象(相)を定めた瞑想で、「観察+考察」→部分。
ヴィパッサナー瞑想は対象を定めない瞑想、「観照+識別」→全体(主体)。

相とは、想念によってつくられたイメージ(概念)。
無相とは、つくられざるもの=涅槃(真実)。
※相とは、対象化されたあらゆるものであり、無相という相も作り出すことが可能になることには注意が必要だ。
相は、形や色のある光などとして現れることもある。その光に囚われてしまうことも多いので、注意が必要。

サマタ瞑想は「概念法」、ヴィパッサナー瞑想は「真実法」と呼ばれる。
※それでも、ヴィパッサナー瞑想に概念が全く無いわけではない。
ヴィパッサナー瞑想で扱われる五蘊で見てみると、色→受→想→行→識の中の「想」が概念を作り出す働きとなり、想より粗雑な「色」と「受」には、概念が含まれる。

ヴィパッサナー瞑想をするためには、まず概念法から真実法へ切り替える必要がある。
それは、真実を一瞥する必要があるということ。
そして、一瞥によって、道を発見する。

ヴィパッサナー瞑想とは、道(内)の行法となる。
そして「八正道」の中の「正念」が「四念処」となる。

もう一度、全体を構図にまとめてみる。

真実 /(無明)→認識-主体-客体 /→概念

右が外向きで、概念を対象にするサマタ瞑想。
左が内向きで、二元性を克服し、真実へ向かうのがヴィパッサナー瞑想。

四念処(大念経)の冒頭にはこのようにある。

比丘たちよ、この道は、もろもろの生けるものが清まり、愁いと悲しみを乗り越え、苦しみと憂いが消え、正理を得、涅槃を目のあたり見るための一道です。すなわち、それは四念処です。


さらに、内(道)の行法として、四念処を詳しく見ていこう。

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