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オリンピック、人は1人では生きていけない、割れた10本の爪

なんか、これから時間が空いた時は日記を書いてみようかなぁ、と思う。
アーティストさんが書いた日記がたまに回ってくるんだけど、なんか読むのおもろい。人の生活や心を覗くって、たのしい。
ので、なんか真似してみようかなと思った。

↓日記



2021年の8月頭は、東京オリンピックが開催中で、しかし私の家にテレビはなく、選手の皆様の生き様も、ネットニュースのぼそぼそした文章とぺらいアイキャッチ画像1枚でしか感じ取ることができない。
なんだか、とても心が虚しい。


日本中がそうだと思うけど、オリンピックが始まって「何かを失ってしまった気がする」みたいな気持ちが強くなった。たぶん、日本人専用共同感受性アンテナが折れてしまったせいだ、と私は思っている。


私たちには生まれつき「日本人専用共同感受性アンテナ」みたいなものが知らず知らずに備え付けられていて、お正月だ、わぁあい、夏休みだわぁあい、24時間テレビだわぁぁい(ふーん)、みたいな感じで反応するようにできていた。テレビがそのスイッチになっていたに違いない。

道ゆく人に対し、まだ「日本人だ」、っていう気持ちがあったと思う。(あ、肌の色や国籍なんかは関係ないよ、日本にいる人だっていうナチュラルなまとまり感)


で、ここ数年で、日本人専用共同感受性アンテナは退化が始まって、多分長さがどんどん短くなってきていた、そしてテレビの存在が薄くなってSNSで個人の色が強くなって、みんな割と1人で生きていけるようになった、

そこにコロナが来て繋がりがどんどん希薄になってきたところに、無理やりオリンピックをねじ込んだせいで、

あ、もうなんか我々のまとまりは終わってしまったのかもしれない、ってなって、皆んなのアンテナがぱきっと折れてしまったに違いない(知らんけど)

人々が思い描いていた派手な幸福さはそこにはなくて、カラフルな幻想だけが街にぺったりと剥がしきれなかった色付きセロファンみたいになってるせい、現実とのギャップは凄まじく、

でもオリンピックで行われていること、選手の皆様のストーリーは美しいから一緒にそれを感じ取りたいし、それが人としての美徳なんだ、

でも街に一歩でるとコロナで世界がどろどろで、それが現実、だから皆んなどうしていいかわかんないし、経済的な困窮とかに陥っていなくても心がぱさっとしちゃうんだ
それに加えて私しゃ独り身でねこにゃんはいるけれども、ね。心がぱさぱさしがち。


思うんだけど、なんていうか、理想を捨ててもいいのかなと思う。日本人として、とかオリンピックイヤーはこうであって欲しかった、とかそればっかり考えると余計虚しくなるし、ま、私には関係ないし、といいながらでもなんとなく心がぱさぱさしてしまう。

もう叶わない幻想で、いつまでもそれにこだわっていても仕方ない、どんどん虚しくなっていくし、日本人はもうだめだってなりそう。私たちのアンテナは折れてしまった、仕方ない。じゃあ、次はどうつながればいい?オリンピックでダメだったら、テレビでダメだったら、どう繋がればいいんだろう。

何かが終わってしまったというのは区切りでもあり、時流ってあるから、多分そろそろ人と人との繋がり方のトレンドが変わろうとしてるんだよな、って思ったりしています。

ま。私は私なりに皆んなと、世界と繋がれる方法を考えているよ。自分のために、皆んなのために、生きるために、なんつって。

やっぱいくら1人でも生きやすい時代になったっていってもよ、やっぱ人は1人で生きられないんだ。ぼんよーだが。

数年前の私は「そんなことあってたまるかぁぁぁ!1人でも生きられるはずだよ、じゃないと無理、死んでやる!!!」とか鼻息荒く、ロックなのか単に頭が悪いのか、よく分からんことを行っていたけど、多分無理ですよ、あなたは。(真顔)

ってことで、おやすみなさい、マイ・スイート世界。明日もいい日だね。(なぜか昭和時代のキザな男風)



あ、最近、2回連続で安いチェーンネイルサロンに行ったら爪がペッラペラになって10本全部ズタズタになりお陀仏しました。ファストネイルはおすすめできません、以上。

#日記  #オリンピック #エッセイ

ツナ缶に愛の手を🤚❤️