別れも愛のひとつ

「なんで泣いてるの」

小さい子をあやすときの様な甘い声で彼は言った。

きっと私がまた,何かに急に不安になったとでも思ったのだろう。

でも,その質問に答えたら,私たちは終わってしまう。

だから私は黙ったままお湯に顔をつけた。

特に何かあったわけではない。いや,正確には細かいことがたくさんあるのだ。

別れたいと思ってしまうことがある。

今日もちょっとしたことで,

彼が13時にはお風呂に入りたいと言って,私はさっとシャワーを浴びて早く大学に行きたかったのに,彼がそう言うからお風呂を洗ってお湯を沸かしたのに,結局彼は私を別の作業で14時まで待たせた。

先に入ると文句を言うくせに,別に別々に入ってもよかったのに,なんて言ってくる。

こういうのの繰り返し。もうね,ちょっとのことなんだよ。でもこれが積み重なって,いつの間にかもう別れたい,別れてもいいんじゃないかくらい思ってしまう。

いつから「別れたい」が頭に浮かぶようになってしまったのだろう。考えても,全くわからない。

初めから,いつか別れるからな,とは思っていた。

だけどもう,一度別れたいと思いだすと癖になってしまった。

高校生の頃,私は付き合わないことを選択した。それは,何にも縛られずに自由に恋愛したい,両思いで付き合わなかったらどうなるのか知りたい,付き合っても別れるだけ,そして,付き合ったら私は「別れたい」が口癖のイタい人間になると思っていたからだ。

今はそのイタい人間になってしまったのだ。

高校生の頃の方が大人だったな,なんて。

もしも別れたらきっと,暇な時間が増えて,好きに触れ合える相手がいなくなって,それで寂しくなるくらい,手持ち無沙汰になるくらいなんだろうと思う。

これは私の見積もりが甘いのか,それとも本当に私がドライなのかわからない。

私は甘えるタイプだ。だから,私にとってはなんとも思っていない甘えるという行為で,きっと彼は大丈夫だ,愛されてると感じてしまうんだと思う。

「彼はあなたに甘えてるんだよ」

友達の言葉が蘇る。

「なんで泣いてるの」

「別れたいなって思っちゃって」

なんて本当のことを言うほど,今すぐ本気で別れる気はない。

でも,私はいつも割と簡単に嘘をつくけれど,今日はそうはできなかった。嘘をつけないほど,真っ直ぐにそう思っていた。

泣いているのをわからなくするために顔をお湯につけた。それを見て彼は笑った。顔を覗き込もうとする。涙を拭おうとする。だけどそれももう嫌だった。

別れたい。もしかしたらただの口癖で,あまり本気では思っていないのかもしれない。だけど,最近時々想像する。もし今彼がいない生活になったら。

彼の好きなところは一緒にいて楽しいところ。だけど,私の長所は何事にも楽しさを見出せること。

変な心配とかもなくなって,その方が自由に生活できそうだなって,「もしもアイドルと付き合えたら…」みたいなそんな感じのテンションで考えられる。

好きなのか好きじゃないのかわからない。

好きじゃなくなったわけでもない。

初めから私は彼に向き合えずに,ただ甘えたいだけ近くにいて,面倒臭くなったから別れたいと思うだけだ。

人間が小さいから,私から振りたいと思うだけだ。


こんな最低で小さい人間,捕まえていても何の意味もないよ。なんて,誰かが彼に耳打ちするんじゃないかって,むしろそうなったほうが面白いんじゃないかって。

時々彼に好きって言うのは,無性に誰かに言いたくなるそれなのか。

もしも私のことをよく知らない人に「好きな人誰?」なんて聞かれても,彼の顔は浮かばない。

彼と付き合っているという事実がもしも私の脳から消えたら,「なんか寂しいな」と感じるくらいだろう。

そう思っちゃうんだ。別れてもいいんじゃないかって思ってしまうんだ。

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