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#8 人が動くのはいつだって自分ごと

私の話を聞いてる?と考える場面ありますよね。

先日、とあるセッションの中で、いくら指導しても後輩の行動の変化が見られないという困りごとを受けた。

教えた後に、「わかりました」と返事をしても実際のところ何も変わらず同じミスを繰り返すという。

指導と言われる場面は、従業員を有する企業や団体では日常のあちこちで見られることがあると思う。指導する立場の人間は自分の過去の経験を踏まえて、指摘をすることになると思うが、それが行動の変容につながらなければ教えることへのモチベーションも下がってくるだろう。

まして、自分の時間を使って相手の指導をしているというのであるためこの落胆は大きい。

今日は、これについて少し考えてみたいと思う。

「返事」と書いて、「はい」と読まない。

教員を始めた駆け出しの頃、部活動の現場でよく、大きな返事をしながら監督の話を聞いているチームを見かけることがあった。

その監督には威厳があり、僕自身、その監督のチームの試合の審判をしていて、隣に立つこともあれど、無作法を働けばこちらも怒られてしまいそうな雰囲気すらある。

当然、子供たちは必死になってプレーをする。チームも勝ち上がる。
この光景に、強豪チームとは、ハキハキと返事のできる選手と威厳のある監督がいるチームという印象を駆け出しの教員だった僕は持っていた。

だが、そんな僕もある日の試合で不思議な光景を目の当たりにしたのである。

とある試合の大事な場面で、そのチームの選手がミスをした。
監督はタイムアウトを取り、その選手に指示をする。
当然、その選手は大きな声で「はい」と返事をした。

しかし、タイムアウトが終わった直後、先ほどとほぼ同じ状況が起こり、その選手は全く同じミスをしたのである。

当然監督は怒り、その選手を「さっき返事したやないか」と叱り飛ばした。
現在であれば、コンプライアンス違反というくらい強い口調で。

人が行動を起こす必要条件を考えてみる。

人の主観的な心の動きに注目して人間心理を理解しようとするアプローチを行う人間性心理学の分野には、マズローの欲求5段階説という考え方がある。


マズローの欲求5段階説
「引用元:https://blog.leapt.co.jp/what-is-maslows-five-levels-of-needs-what-marketers-need-to-know」

この説は人の欲求を5つに分け、下層の欲求を満たすことで上の欲求が満たされるという解釈をとっている。

これを先ほどの出来事に置き換え、ミスをした選手の気持ちに寄り添って考えてみるとどうだろう。

きっと、大事な場面でミスをしてしまったことに、後悔や焦りがあったことと思う。そして、目の前に怒っている監督、チームからの信頼を考えると「社会的」に弱い立場であり、当然「承認」されているとは考えづらかったはずである。

となると、その場で監督に怒られないという最低限のその瞬間の「安全」を取りに行くために「しっかり返事をする」という結論に至ったのではないだろうか?

そう考えると、前述の行動が変わらない後輩は先輩から怒られることはないにせよ、「指導の場」という安全ではない場所から離脱するために「わかりました」と、とりあえずいう選択になってしまったのであろう。

これらを踏まえると、本当に相手が動くやり方は?ということについては、その逆の状態を作ってあげるといいということになってくる。
それについては、次の記事でまとめてみようと思う。


約3ヶ月ぶりの記事。
書いていなかった期間にいいねを押してくれた方々、本当にありがとうございます。
「いいねがつきました」という運営からのメッセージを受け取るたびに、たまたまでも読んでくれた人が何かを考えるきっかけになるような時間が届けられたら嬉しいなぁと思って、夏に始めたばっかりにも関わらず本業の開発でしばらくお休みしてましたけど再開することにしました。
サムネイルも作ってみたりして、気楽に続けていきます。笑
この記事も、読んでいただきありがとうございました。


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