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フツウ?

 大学卒業後、就職のために帰郷した私に、父が指南してくれたのは車の運転だった。
 身長150㌢の小娘に父の愛車・トヨタクラウンは釣り合うわけなく、運転席を一番前にスライドさせてやっとアクセルに足が届いた。父が選んだ鳴門の海と山を味わえる県下屈指のドライブコースは、延々と山道が続き苦難の連続だった。


「ブレーキ踏みすぎや。後ろのトラックがせっついてきたぞ。しっかりアクセル踏み込みこめ」
 目の前には青空に向かう一直線の急な上り坂。緊張で身体を固くする娘の横で、父は窓を開けて一服しながら「あれは何漁かなぁ」などと呑気にくつろいでいる。強風にあおられ速度が落ちた瞬間、待ってましたとばかりに後続車が何台も追い越していった。中にはノロノロと走る私の顔を覗き込んでいく人もいる。

「普通に運転することは案外難しい。みんな当たり前の顔して走ってるように見えるけど車の流れについていくために、頑張って速度を合わせとる」


 帰りは父の運転。何の気なしに乗せてもらっていたのが、今日はいつもと違って見える。
 目の前に吉野川と眉山が見えてきた。徳島に帰ってきたと思う懐かしさと、過去の思い出に胸の痛みが同時に湧きあがる。普通で在ることが大変なのは運転だけではない。


 中学校でいじめに遭い、転校した学校で私が選んだ場所は、校舎の端に構えられた「ひまわり学級(特別支援学級)」。広い教室に机が4つ。人目につくことはなかったけれど、「ひまわりに転校生が来た」と垣根の隙間から覗きこんでいる生徒と目が合うと笑われた。何にもしてないのに、なんで笑われるんやろ。以来、休み時間は読書に集中するか、クラスメイトで自閉症のおっくんとボール投げをしてチャイムが鳴るまでじっと耐えた。

 不登校になったのは自分の弱さが原因だった。両親も私が学べる場所を探してくれた。あとは自分で前に進むしかなかった。中学を卒業した後は、自宅に引きこもり、自分で受験資格を取った後、大阪の大学に進学した。何万人も在籍する大学に通い始めた瞬間から、私が「特殊な子」としてただ在るだけで笑われることはなくなった。普通の学生に戻ることは、驚くほど簡単だった。

 私は40代になった。若い頃、仕事も家庭も安定し悩みも無いだろうと本気で思っていた年齢。しかし実際は、皆いろいろ。私もいろいろである。

「普通と言われる人生を送る人間なんて、一人としていやしない」とアインシュタインが言ったように、何も問題を抱えていない人など誰もいない。人はその基準すら曖昧な「普通」という言葉を測りに、自分が幸せかどうかまで確認しようとする。「世間並」「平凡」などと言葉を変えて、自分が異常でないことに安心し、一方で特別な才能がないことに落胆し、「普通でもいい」と呟く。
 

 アインシュタインはこうも言った。

「人生を楽しむ秘訣は、普通にこだわらないことだ」

 人生は道半ば。振りかえると驚くほどのでこぼこ道だけど、これからは自分の選んだ道を楽しみながら生きていく。しばらくはゆっくりと。坂道はしんどいから電動アシスト付きの自転車で進んでいく。

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