東日本大震災に思う事

 早いもので、東日本大震災から13年が経ちました
 僕は安否の取れない親族が無事かどうか、夜中まで車で回ったのを思い出します
 時効だからしゃべっちゃいますが、電車で帰れない人のため無償で4人乗りの車に6人乗せて送り届けるという無茶もやらかしました・・・

 地震から少し(1,2カ月ぐらいかな?)経った頃、納入した機械に不具合が発生、復興現場で使用出来なくなるという事態に遭いました
 幸い該当の機械が神奈川に一台残っていたため、不具合の特定、部品の設計&協力会社に発注、対策まとめに1週間・・・今では考えられないぐらいサッサと仕事したかな?
 部品が完成後、何かあってはいけないと、地方スタッフに指示するため東北行きの指示が出ました
 普段はなーんもしてない人ですが、こういう時だけ働くんですよ自分は

 行った先は岩沼市海沿いの瓦礫分別エリアとなっていた場所です
 車で行ったのですが道も悪く・・・「あ、ここからは津波の被害にあった場所だな」というのがはっきり判るぐらいです
 建物に津波の跡がついてるんです
 その先は・・・瓦礫の山、流されてしまった車がヤードのように積まれたエリア、窓がすべてなくなってボロボロになってしまった学校、家の土台・・・

 瓦礫分別エリアは「建物何百件分あるんだ・・・」という瓦礫の山でした
 仕事柄、建物の解体工事とか覗く事があるんですが決定的に違うのは「使っていたであろう日用品や家電などがそのままであること」ですかね
 それらを分別して木材は木材、瓦は瓦・・・とどんどん分別していく
 復興支援で「家族写真を見つけて綺麗にする」プロジェクトがあったと記憶していますが、この現場にはそんな余裕はありませんでした
 水も撒かず(復興現場に流せるほど水が無かった)作業しているので粉塵が酷い・・・誰もマスクをしていない・・・自分は花粉症なのでこの時期はマスクが手放せないのですが、地方スタッフより「マスクはしないでくれ」との謎の指示・・・そう、マスクも貴重品なので付けないではなく「手に入らない」のです
 アスベスト有無も兎に角不明、多分歳を取って呼吸系の病気になったら多分原因はこの出張になるのかな?

 機械が動かない=仕事が出来ない=復興の妨げという事で、作業者さんからすると「こいつのせいで仕事が出来ない」と、自分に対しての当たりは相当悪かったと感じました
 気持ちは判ります・・・
 復興現場の一部をお借りして機械をバラし、不具合対策品をつけエンジン始動・・・無事稼働を確認
 確認後すぐにその機械は復興現場に戻され稼働開始しました
 東北中で稼働している機械もスタッフの手で特に手こずる事なく対策が完了、それを確認し帰路につきました

 今でも復興現場の景色、何も無くなった岩沼市の景色、車の山等思い出して夜中にうなされて目が覚める事があります
 行って復興支援!は十分わかってるつもりなのですが、業務以外で浜通りを再訪した事はありません
 今年は岩沼市、訪れてみようかな?

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