とりあえず今日のベストを尽くす、ということ

昨晩ついカフェオレを飲んでしまい、寝付けない時間に考えてたことを掘り下げてみる。

うむ、なかなかいいことを言っている(自分に激甘なのですぐ褒める)。

不調の時は意識するのに、元気なときはあまり意識しないことだけど、本当に、人間の調子は一定ではない。
疲れやストレス、体調不良で下がるのは当然として、それ以外でも、例えば急な寒暖差とか、気圧の変化とか、気候的な影響もけっこう大きい。人の体には自動的に恒常性を保とうとする機能があり(ホメオスタシス)、寒暖差が大きかったり天気が不安定だったりするなかで恒常性を保つためには無意識下で少なからぬエネルギーを使っていることになる。
あと、自分にとってうれしいことや楽しいことだったとしても当然心身の疲労はあるので、そのあとでガクッと調子が落ちることも稀ではない。
というか、自分では全く思い当たる理由がないのに、なぜか調子が良くない、ということだって往々にしてある。朝起きてみないとその日の調子ってわからないものだ。「朝起きたらあんまり調子よくないんで今日休みます」と言えるような世界だったらいいのに。

ただ、心身に余裕がある場合には、多少無理をしても、体が勝手に帳尻を合わせてくれるから、無理をし続けなければ、徐々にまた回復していって調子が上向くようになる。
でも、いつも無理をしていると、常に前日前借りしたぶんの借金を支払うことになるので毎朝調子が良くなくなり、それなのに100パーを目指して頑張ろうとするからまた翌日の元気を前借りして…という悪循環になる。
さらに、調子が下がっているときって余裕がないから刺激に対して過剰に反応してしまい、いつもだったら流せるようなストレスでもすごくダメージを受けてしまったりして、さらに調子を落としてしまう。これも悪循環。

思うに、人生はマラソンである。短距離走ではない。
100%の力で走っていては持たなくて、いつか立ち止まるか倒れてしまう。
平均7~8割のペースで走って、しんどいときはペースを落とす、でも立ち止まらず走り続けることが、結果的に長時間、長距離を走るために必要なことだと思う。
もちろん、マラソンの途中で、どうしても全力を出さなければいけない瞬間があるかもしれない。その時は100%で走ってもよい。ただ、そのあと必ず反動が来るし、そのときは7~8割ではなく5割くらいのペースまで落として、しばらく息を整える時間が必要になる。

このリカバリーがとても大切なのに、前借りばかりして、ツケを払うことを忘れている人がわりと多いように思う。
たいていすごく真面目で一生懸命な人が多い。お金ではこんなこと絶対しないような人たちなのに、自分に対しては前借りしたぶんの気力や体力を踏み倒すようなことをしようとするから面白い。
「がんばる」ということでいろんな問題を解決しようとするのはよい方法ではない。よいパフォーマンスを保つためには心身のメンテナンスが必要で、休息は最も重要な要素だ。

ただ、自分だけで完結することなら手を抜けるけど、他人が関わることだと少しも手を抜けない、全力でやらなければいけない、という人は多い。
気持ちはよくわかる。自分も以前はそう考えていた。「自分のために時間と労力をつかってわざわざ来てくれているお客さんに対して、自分が100%で対応しないわけにはいかない」。…なんて真面目なんだ。昔はこんなに真面目だったのか。

でも最近は合理的に考えるようにしている。
「お客さんに対していちばん迷惑をかけることは、自分がつぶれてしまって長期間仕事を休むことだから、自分が無理しないことはお客さんのためにも必要なことだ」
「調子が50点しかない日は50点満点のテストだと思って、50点とれば満点だと思うようにしよう」
「50点の日は50点分の働きをすることがベストを尽くすってことだ」
詭弁と言われるかもしれないし都合が良すぎるかもしれないけど、自分としてはこう考えられるようになってからの方が余裕をもてていい仕事ができているように思っている。

だいたい、自分の調子が100点満点だと感じて、「今日は100点の仕事をしたなー」っていうのは、つまるところただの自己満足だ。
本来、その仕事が何点だったか、点数をつけるのはお客さんの方だ。
だから、自分が100点だったと自画自賛していたって、相手にとっては50点くらいの満足しかない、落第点だったかもしれないのだ。
逆に、自分が、今日は50点だったなと落ち込みながら帰る日の仕事が、お客さんにとっては実はとてもよい仕事だったという日だってきっとある。

眉村ちあきさんの「大丈夫」という曲の歌詞に、

私はライブで手応えがなかったと落ち込んでも
ネットでは良かったと書かれることもあります
自分の100%出せなくたって
周りが求めてるものは違う

という部分があるんだけど(これをゴッドタンの収録中に即興で作ってしまう眉村さんはバケモノだと思う…)、まさにこれ。

自分がドヤ顔で「いいこと言ってるな~」って自画自賛しちゃうような言葉が相手に全く刺さっていなくてめちゃはずかしくなるときもあれば、逆に、自分がなんの気なしに言ったひと言が相手にものすごく深く刺さって感謝されたりすることって、わりとよくある。

だから、自分があまり調子が良くない、今日は50点だなと思いながらやっている日の方が、かえって肩の力が抜けていて、いい仕事ができていることだってあるのだ。
もちろんそういう日ばかりではないけど。

ただ、本当のところ、相手(お客さん)がどう思っているかって、言ってもらわないとわからないし、自分の求めるパフォーマンスができたかどうかという「自己満足」だってとても大切な要素だから、開き直ればよい、というものではもちろんない。
でも、特に相手がいる仕事において、あまり自分の満足だけを追求するのは本末転倒かもしれない、という意識があるとよいのではないか、と思う。


あと、似たような話として、「こうなりたい」という理想を持つことはとても大切だし、今の自分に満足せずに成長し続けたいという気持ちはずっと持っていたいと思うけど、一方で、人間、急に成長できるものでもないことも事実だ。
これも、さっきの「満点」の話と同じで、成長過程である自分の、その時点でのベストを尽くせればよい、という意識があるとよい、と思う。
そして、この「ベストを尽くす」は結果ではなく、過程である、ということが重要だ。

自分も若い頃、まだ経験が浅くて仕事がうまくできるわけではない自分のところに、わざわざお客さんが来てくれることが申し訳ない、と思っていた時期があった。真面目か。
ただ、いろいろ考えたり、自分を卑下したりしたって、急に成長できるわけではないから、せめて、その時点での自分がもっているすべてを出すこと、技術がない自分には誠意しかないからせめて誠意を尽くすこと、そして、お客さんと会うのがこれで最後になってしまっても後悔しないか自問自答すること、それだけはしようと思って、今までやってきたし、その気持ちは今も忘れないようにしている。
…というとなんだか偉そうだし、自分がすごい立派な人間みたいなんだけど、技術がないからせめてお客さんにとって「いい人」であろう、という苦肉の策だった、とも言える。

結果として、自分の判断や選択が間違っていた、ということだってたくさんある。それを全く後悔しないかと言ったらもちろん嘘になる。
でも、未来が見えない以上、その時点でたくさん考えて、出した結論が、その時点での正解とするしか道はないし、あとで「実は不正解でした」ってことがわかったって、戻ってやり直せるわけじゃないんだから、落ち込む意味がない。せめて次にいかせることを一生懸命考えるしかない。
これが、過程における「ベストを尽くす」ということだ。
結果において常にベストを選択できるのは神様しかいない。
自分で自分を評価するのに、結果を用いて評価してはいけない。過程でベストを尽くしたと思えるのなら自分の努力を素直に肯定すべきだ。

真面目なひとほど自分を追い込んでしまうし、自分を労らずに常にがんばってしまう。
応援している人たちは、完璧だから応援しているのではないし、完璧になってほしいわけでもなくて、ただ、自分のやりたいようにやって、それを楽しんでいてくれること、それを願っているんだと思う。
周りの人に大切に思われている自分のことも、大切にしてあげてほしい。

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