「好かれたい」をやめる

もう四半世紀近くも前になるけど、1年目のときに受けた精神療法の研修で、講師の先生が、「やってはいけない精神療法は、『相手に嫌われるための精神療法』と、『相手に好かれるための精神療法』だ」と教えてくれた。

当時の倍くらいの年齢になった今も、その言葉はよく覚えているし、本当にその通りだと思っていつも感心している。
というより、歳をとって、よりその言葉の意味を深く理解できるようになってきているように感じる。

ふたつは、一見正反対のようにみえるし、前者がだめなのは誰にでもわかるけど、後者は、一見、別に悪くないように思える。

でも、視点を変えて、これが誰のために行われているものなのかを考えてみると、このふたつは、どちらも、相手に向けてではなく、自分のための行為であることがわかる。

治療者自身の利益がいちばんにくるような行為が、治療的であるはずがない。

だから、ふたつとも適切でない精神療法なのだと、自分は解釈している。


前にも書いたけど、「誰かのために」という言葉が、個人的にはとてもおこがましい感じがして好きじゃない。
誰かのためになるかどうかは、あくまで結果だし、目的ではない。
しかも、誰かのためになっているかどうかは、自分ではなくて、その「誰か」が評価することだ。
ひとりよがりな「相手のため」が、相手にとってただの迷惑になっていることだって多々ある。

だから、誰かに何かをすることは、誰かのためではなくて、自分がそうしたいから、つまり、自分のために、そうすべきである。と思う。
人に親切にするのは相手のためではない。親切にしてもらったらうれしいに決まってる、なんて思い上がりも甚だしい。あくまで自分がそうしたいからそうするのだ。つまりただの自己満足。
だから、結果として相手に迷惑がられたとしても仕方がない。それは自分がしたくてしたことだから。もちろん、結果として、相手に感謝してもらえたらとてもうれしいけど、それはあくまで副産物にすぎない。

こういうと、とてもいい子ぶっているように思われるかもしれないけど、とても幸いなことに、自分は、両親や、祖父母や、学校の先生方や友人たち、先輩たちに、人に親切にすることが自分自身の幸せである、というふうに考えられるように育ててもらった。こう思えるようになれたのは本当に幸せなことだし、そういう自分でいることに自分自身とても満足している。

大事なのは、相手に意図が伝わらなかったり、思ったのと違う反応が帰ってきたとしても、自分が、それでよかったと自分自身を認めてあげられることだ。
自分を評価するのは自分自身であって他の誰かではないはず。


もちろん、人に嫌われるより、好かれたいと思うし、好かれるような自分でいたい。それは当然そう思う。
でも、「好かれること」が目的となってはいけない。意図せず、自分のために、自分の心のままにした行動が、結果的に相手の信頼を得て、「好かれる」という結果につながることが望ましい。

患者さんにとって、名医とは、「治してくれる医者」である。それに尽きる。
でも、医者も神様ではないし、常に100点の選択肢を選べるわけではない。
もっと言えば、常にベターな選択肢を選んだとしても、治せない病気もある。
だから、常に名医であろうとするのは不可能だ。

でも、神様でもないし天才でもない、ただの凡人だけど、常に誠実でいたいとは思っているし、それは心がけ次第で可能なことだと思う。
結果が何より大切なのは言うまでもないけど、でも、理想の結果が得られなかったときでも、少なくとも、ほんの少しでも納得を提供できるようにしたい。
そのために、自分が提供できる情報はすべて提示して、見通しや可能性、リスクについても共有して、その選択肢をいっしょに検討して決めたいし、うまくいかなかったときもその都度相談して道を選んでいきたいと思う。
自分にできることは本当に限られているけど、限られた選択肢の中から、せめて、ベストな答えをいっしょに見つけていきたい。

一概には言えないけど、神様でない凡人の自分でも、いっしょに選択肢を考えていくことが、相手の信頼を得ることにつながる(ことが多いのではないか)と思う。信頼を得ることが目的になってはいけないけど、信頼を得ることは、結果的に、治療にも有利に作用する。
相手に誠実であることは自分の願いであり自分の幸せなのだけど、それが結果的に相手の信頼を得ることにつながり、結果にも有利に働くとしたら、こんなよいことがあるだろうか。しかも、相手に対して誠実であろうとすることなんて、全く難しいことじゃない。誰にでもできることだ。挨拶と同じくらい簡単で、大切なことだと思う。


今日、10年以上も通ってくれている方に、心のこもった手紙をいただいて、とてもうれしく思ったので書きました。
本当は、自分がその方に何かしてあげられたわけではないし、むしろ、がんばっている彼女にこちらが勇気をもらっているばかりなんだけど、それでも、できる範囲の当たり前を積み重ねてきた自分のことも、これでよかったんだとほめてあげたい気持ち。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?