表現者と満足

今朝、少し気が重くなることがあったんだけど、noteでフォローしている人たちの新しい記事をいくつか読んだら、それだけでずいぶん気持ちが切り替わって満たされた気持ちになった。自分が選んでフォローしているんだから当たり前といえばそうなんだけど、noteを開くと、好きな人の文章ばかり出てくるのはなんて幸せなことなんだろう、と思う。いつも感謝をこめてスキをクリックしています。
言語化するのがとても難しいんだけど、好きな人の文章の、内容はもちろん、その「温度」が好き、という感覚がある。勝手に推測すると、その人たちは、自分自身の中に深く潜って洞察していて、当然、そこに内的な葛藤やドロドロした感情はあるんだろうけど、深海で発生した熱が海面まで伝わってこないように、文章にはただ静寂がある。そういう文章を書ける人をとても尊敬している。
そのタイムラインに並んでいる自分の文章を見ると、推しがやめてさみしい、みたいな、小学生の日記かよ、というようなことが書かれていて生暖かい気持ちになるし、文を区切るのが苦手でつなげすぎて読みにくいことこの上ないけど、でも、当たり前ながら自分にとって100%共感できることが書かれているし、これはこれで味のある文章だな、と思う。自分の文章が好き、と言えるのはよいことなのだろう。


表現者の幸せとはなんなんだろう、という、芸術的素養のかけらもない自分が考えても全く意味のないことをグダグダと考えている。アーティスト、とは、もしかしたら職業なのかもしれないけど、表現者、とは、それ以外の生き方ができないような宿命を背負ったひとたちなのではないか、と思ったりする。
アイドルのつぶやきとかでよく見る、「毎日同じ時間に起きて出勤して仕事をしている人たちはすごい」「自分にはとてもできない」という文。オタクへのリップサービスなのかもだが、自分のような凡人からすると、そちらの方がよほど簡単で、アイドルとしての仕事の方がよほど難しいように思えるのだけれど、そうではないのかもしれない。
アイドルに限らず、無から何かを生み出す、作品として作り上げる、表現するという行為が、自分が手を伸ばしてもとても届かないところにあるものだと感じている。すごく簡略化していうと「才能」というものだろう。世間で高い評価を受けている表現者はその「才能」があるんだろうし、もっていない人からしたらうらやましく思うものなのかもしれない。でも、もしかしたら、その人には、我々が当たり前だと思っている、毎日出勤して仕事をする、みたいな能力は欠けていて、その人からしたら、我々みたいな一般人に対しても、そういう「才能」があってうらやましい、と思うのかもしれないな、と思ったりした。つまり、表現者とは、なりたくてなるものではなく、それ以外の生き方ができないから、やむを得ずなる、というものなのかもしれない。
幸せとは満足だ。何かが満ち足りると人は幸せになる。何が満ち足りると幸せになるか、そして、どのくらいで満ち足りたと感じるか、そこに個人差がある。なので、幸せになる方法は、理屈としては単純で、自分が望んでいるものが、望んでいる分だけ、手に入ればよい。もちろん、それは言うほど簡単ではないのだけれど。
満たされるためには2つの方法がある。ほしいものに対して自分が近づくか、もしくはほしいものの方を自分に合わせるか。後者は悪い言葉で言えば妥協だけど、本当に自分がそれでもよい、それでも満足だ、と思えるなら、幸せに近づくことになる。大金持ちになりたい、と願っていた人が、お金以外に幸せを見出せるようになったとしたら、それは幸せへの近道だろう。自分の中でいかにうまくパラダイムシフトを起こせるかが幸せになるための重要な鍵になる。一般的には。
ところが、目標の方を近づけられないタイプの願いも当然ながら存在していて、そのひとつが表現者の欲求なんじゃないかと思う。表現者の幸せって、きっと、単純な承認欲求とかじゃなくて、自分の思うイメージを完璧に表現することなんじゃないかと思っている。それができて初めて満足するんだけど、でもそれはあり得ないほど難しいことであると同時に、逆説的だけど、満足していないからこそ表現をするのであって、満足してしまったら表現者としてのアイデンティティを失ってしまうのかもしれない。満足したらその瞬間に表現者ではなくなる、とすると、表現者は満足することがない、つまり、幸せになることがない、ということなのかもしれない。あくまで想像ですが。
自分はそういう生き方をできるとは到底思えないし、そういう意味での凡人でよかったとも思う。表現者として生きている人たちの、魂を削って生み出された表現は、きっと当人たち自身のためであって自分のために作られたものではないけれど、それでも、自分の魂を揺さぶり、たくさんの影響を与えてくれていることを感謝しているし、尊敬している。それがとても難しく、そして余計なお世話であることを認識しつつ、尊敬する彼ら、彼女らも、いつか満たされて幸せになってほしいと願う。


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