愛する叔母さんに愛をこめて。

最近Twitterで、日本一周を終えたあと、自分の特性を苦に空を飛んでしまった男の子の、最期のツイートが話題になっている。
それを見て思い出した、叔母さんの話。


うちの叔母さんは長いこと病気で、何度も何度も死にかけて、何度も生き返った。
1年前、ついに力尽きたころは49歳。
あまりにも若かったけども、実はもっと若くして死ぬ機会があった。
病気がいちばん重く、いつ死んでもおかしくないような調子が続いた頃、叔母は夫である叔父に「もう死にたい」と訴えた。
そして叔父はそれを受け入れた。
最期の思い出に、叔父は何ヶ月も会社を休み、その時あったお金をぜーんぶ使って、2人っきりで旅に出た。
歩けない叔母を車椅子に乗せ、日本中を旅した。
色んなところに行き、色んな景色を見て、色んな美味しいものを食べた。そして旅が終わったら、心中しようしていた。

けどその旅の終わりごろ、叔母はスッキリした顔でこう言ったそうだ。
「もう少し、生きてみようかな」
そしてまた叔父はその言葉を受けいれた。

叔母の「もう死にたい」は、体調に加えて、どこにも楽しみを見いだせなかったことで気を塞いで起こったことだったんだろう。
元々外が好きで、人が好きだった。
いろんな楽しいことをしたかったんだろう。
忘れかけていた人生の楽しみを、最期の旅で思い出し、もう一度病気と戦う覚悟を決めた。
叔母の決意もさることながら、それを受け入れた叔父の深い愛情にも、ため息が出るほど心打たれた。

この話を聞いたのは、叔母が亡くなってすぐ、49日も終わっていなかった頃。
これほど深い愛情を持って、これ以上ないほど献身的に支えてきた叔母を失った叔父は、本当にこのまま後を追ってしまうんじゃないかと思えるほど危うかった。
けど葬儀を終えた叔父は、「まゆみの分まで生きなければ」と言った。

自分が長生きしたからと言って、死んだ人は帰って来ない。
自分の人生を追体験出来る訳でもないし、何も分け合えない。それが死別だ。
だけどその言葉は私の中に妙に響いた。
死んだ先にあるのは無なのか、私たちが知っているような天国やら地獄やら、虹の橋やら三途の川があるのかなんて、死んでみないと分からない。
でも私は、恐怖体験と同じくらいの数、親族が亡くなったあと不思議体験をしてる。
だからもしかしたら、楽園のようなところでまた会えるのかもしれない。
その時に、土産話がたくさんあった方がきっと楽しいだろう。叔母だけじゃなくて、祖母や父にも。
ねぇまゆみ姉ちゃん。もうすぐあなたが旅立ってから、1年も経つよ。でもまだ1年だよ。
私はいつまで、まゆみ姉ちゃんにかけてもらった愛情を覚えていられるんだろう。
まだ小さかったあの日、眠れない私の背中をさすってくれたあの日、私はこの家に生まれてたらどんな家族になってたかなって、ちょっとだけ思ったりなんかしちゃってたよ。
火葬なんかの温度では溶けるはずなかったネックレス、欠片も残さずに持って行ってくれたこと、叔父さんの心の支えになってるよ。
たまには夢にも出てあげてよね。
もう一度会いたいね。

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