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感覚を取り戻す旅、龍神、那智2020①

12歳から18歳までの多感な時期を南紀で過ごした。
東京の大都会からの移住。
だけど、私は、南紀をすんなりと受け入れていた。
自分が、ありのままでいれるような、
自然の流れに漂うような、
来るべくして来たような、
そんな気がする不思議な場所だったから。
南紀の大自然は私の精神を真に解放させてくれた。

だけど、南紀で過ごした時期の思い出は、
良いことばかりではなかった。
苦しくて、辛くて、張り裂けそうなことが
今もずっと記憶に残っていて
良かったことも全て汚してしまうような
そんな過去もまた、一緒についてくる場所。

だから私は南紀が大好きだけれど
南紀にはなかなか帰れない。

そんな南紀の龍神に親友が行きたいと言いだした。
南紀を実家に持つ旦那さんと結婚した親友。
旦那さんの親戚が龍神で宿を経営していると言う。

まさか親友と、こんな形で南紀つながりができるとは
なんとも不思議な縁だなあと思っていたけれど
遂にその南紀に親友と行くことになるとは。
数年前には思ってもみなかったこと。

瞬間的に躊躇する自分もいた。
南紀に帰る。
それは、まだなんとなく
勇気のいることでもあったのだと思う。

でも、彼女となら。
大好きな場所を大好きな人に知ってもらいたい。
個展もちょうど終わるし、
良いタイミングのような気がした。
そして私は、帰る決意をした。

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田辺までのバスの中
だんだんと景色が懐かしさを含んでいく。
御坊を過ぎたあたりから、戻って来たなあ、という感じがして来た。
高速を降りて、太平洋の海を見て、
10月でも、まだ少し強い南国の日差しを感じて
ああ、本当に来たのだなあ、と実感してくる。
嬉しい気持ちと、切ない気持ちと、内混ぜな不思議な感覚。
ここに戻ってくるとなる感覚を久々に感じながら。
友は終始楽しそうだ。
それが私の気持ちを軽くさせる。

流れていく古びた家々や海、川の景色を眺めながらふと、思う。
私の写真の原風景はここなのかもしれない、と。

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綺麗に建て変わった田辺駅を降りて
私たちは商店街の中にあった純喫茶に入った。
腰の曲がった、耳の遠いお婆さんが水を持って来てくれる。
耳元で大きく唐揚げ定食を頼むと「唐揚げ?鶏やで?」という謎の質問。
クリームソーダも「コーヒー?」と返ってくる始末。

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お客さんもお年寄りばかりで、独り言を言ってる人も。
だけどひっきりなしにお客が来ていて大繁盛だった。
帰り際には「どこ行くの」と。
「龍神温泉です」と言うとお客さん全員会話に入って来て
いってらっしゃい、と店中で見送ってくれた。
人が濃ゆい。親切も濃ゆい。
だけどそんな姿に、何故か元気をもらった私たち。
そうそう、ここはみんなあったかいんだよな。

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田辺から送迎してくれると言ってもらっていたけれど
龍神バスに1時間乗りながら宿に行きたいと言ったのは友。
片道1300円のバス料金。1日数本しか運行していない。
それでも私が住んでいた町よりはたくさん便数がある。
さすが田辺市、都会だなあ、なんて思っていた。

やって来たのはマイクロバスで
お年寄りを何人か降ろした後、いざ乗車。
運転手さんに、また「どこ行くの」と聞かれ
「西(停留所)です」と言うと
「西ってどこ」とトンチンカンな返事が。
「どこの西」とまた聞かれ、戸惑う2人。
バスの運転手は停留所も把握していないのか。。。?
「〇〇センターの近くの西停留所です」と言うと
「あーわかった、あの辺ね」とやっと理解してくれた模様。
人が濃ゆい。

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尋常じゃないでっかい岩が
ゴロゴロ落ちてる気絶峡を横目に
バスは山道をまあまあ飛ばしていく。
気絶峡の岩に2人で「凄すぎ、和歌山!」
何かとレベルが違うのが、和歌山だ。
こんなスケール、写真で撮りきれる気がしない。

だけど、もし、あの頃から、写真をしていたら
私は何を撮っていただろうか、とふと思う。
何かを撮り切れていただろうか。
もっと違う何かを撮っていただろうか。

道中も、ずっと喋ってくる運転手さん。
「西なんて何にもないで」と繰り返す。
何もないことは分かっている。
何もないところへ行きたいのだ。
「僕やったらビジネスホテルに泊まるけど」
そうだろう、そうだろう。
ずっとこの中にいれば、この自然の凄さも当たり前。
ビジネスホテルの方がずっと新鮮なのだろう。
「この先の橋から見える景色がいいよ」
こちらが、平安神宮です、みたいなノリで軽く言うものだから
大した心の準備もしないで窓の外を見る。

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圧倒的な山々。
絶景ってこのことか、と。
何もないなんて、嘘だ。
こんなにも、存在感が圧倒してくる。
ちょっとやそっとの存在感ではないのだ。
しかも、ちょっとやそっとでは入ってこれない秘境感がある。
「六甲山なんか、へなちょこやな。。」と友。

「お前たち、本当に入ってくるのか?」
「入ってこれるのか?ここに」
この地に入るためには何かを脱ぎ捨てなければならないような
問いかけが聞こえて来そうな。
遠く下の方に見える川が龍に見えた。
ああ、龍神様がいる。呑み込まれそう。
むしろこのまま呑み込まれてしまいたい。
龍神はやっぱりとんでもない所だ。
簡単には踏み入れさせない厳しさを感じる。
ウェルカムではない、感じ。
許可を得られたものだけが入れる感じ。
入ったら、粛々と、万事を受け入れなければならない。
その覚悟があるのか、と突き刺してくる。

私は許されたのだろうか?
本当に?
逃げ出すことはもうできない。
私は山々に向けてシャッターを切った。

西停留所に着くと
宿のオーナーである若夫婦が迎えに来てくれていた。
本当に感じのいい人たちで、ホッとした。

私が、友のことを尊敬していることの1つに
そんなに面識のない相手であっても、
態度を変えないこと、がある。
誰にも偽らないのだ。
私は違う。
知らない相手にはいい人ぶるし
誰にも嫌われないようにしなくちゃ、ってなる。
いい子でいないとスイッチが入るのだ。

誰といても、自分を貫くことができる友を
私はいつも羨望の眼差しで見つめている。
私は彼女のようにはなれない。
だけど彼女のような偽らない人は好きだ。

若夫婦とも普段通りに接する友に
さすがだなあ、と思いつつ、宿に到着し私たちはまた驚く。
宿の放っている空気に。

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とんでもない宿に来てしまった、と思った。
神聖な、澄んだ空気に纏われたその宿は白い光を纏っているように見えた。
なんなの、この宿は。聖域の入り口か何かなの?
「皇室もご利用された宿」と聞いて妙に納得。
並の気じゃないのだから。
思わず唸ってしまう。一歩踏み入れるだけで
大概の邪念は振り落とされてしまう感じ。
必要な最小限のものだけが残って、解放される。

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あ、この感じ。
私が南紀を受け入れたあの時の感じ。
泣きそうになる。
疲れなんかどこにもない。
どこかに浮遊できそうな気持ち。
自分の体の真ん中から兀々と何かが湧いてくる。
その湧いてくる何かに満たされて力に変わる。
抗うことなど何もない。

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目の前に広がる山々も
その下を流れていく川も
空に無数に瞬く星たちも
そこにひっそりと佇む宿も
全て必然のものしかない。
無駄な音もひとつもない。
いつも自分がいたいところ。
物理的にと言う意味ではなく精神の居場所として。

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初めて来た場所なのに
ただいま、と言いたくなる。
個展も終わって今自分が空っぽでよかった。
また自分の中に何かが湧き起こり始めている。
それをリアルに感じることができた。

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不必要なものは自然と剥がれ落ちていく。
スルスベになる龍神温泉で
都会から持って来たいろんな垢を落として
身も清め、粛々と時間を過ごして
自然とともに眠りについた。

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