誰も得しないミスチル愛-miss you 考察-
2023年10月4日、21枚目のアルバム「miss you」が発売された。
あれから2週間、現時点で感じていることをまとめてみようと思う。
今回のアルバム、巷では賛否が分かれているようで。
確かに昔の彼らの感じとは「異質」と言っても良いぐらい
キャッチーさはなく、バンドサウンドも控え目で、大衆向けでもない。
REFLECTIONあたりが好きな人からは
「物足りない」、「才能が枯れたのでは」と感じるのも理解はできる。
時代のヒットチャートに乗っかることを目的としたのではないことは一目瞭然。
多くの人が持つ「Mr.Children」のイメージでは受け入れ難いのも頷ける。
それでもこのアルバムをわざわざCDとして、彼らの作品の1つとして
世に出したのだから、並々ならぬ想いがあるのも感じ取れる。
13曲全てタイアップはひとつもなし、宣伝もほとんどされなかった今作。
邪魔されたくない彼らの想いが真っ直ぐに届いた一作となっている。
この作品を世に出す意味を考えるのはコアなファンが考えることであって
きっとこのアルバムは今の時代には浸透していかないかもしれないとも思う。
後世に伝え残っていくような、今の時代に刻みつけるものではなく
時代の流れの早さの中ではスッと消えていくかもしれないが
もしかしたら多くの人の人生のどこかで引っ掛かるかもしれない
そんな偶然を期待したようなアルバムなのではないかと思う。
多分それこそが今の彼らがやりたかった音楽の一つなのだろう。
それは「ケモノミチ」と言う曲の中でも明確に歌われている。
アルバムが発売さえれる前に初めて公開されたこの部分。
まさにこれこそがこのアルバムを通して今回言いたかったことなのだろう。
このアルバムはこの世に残っていくものではなく
その耳に残ってくれるものであって欲しい、と言う願い。
きっと売れないことなど想定内なのだろう。
むしろ自然と消えていくとでこのアルバムは作品として完成するのかもしれない。
人が生きて、死んで、いずれ消えていくように。
今まで彼らはずっと世の流れに応えてきた。「Mr.Children」と言う期待に。
だけど重力と呼吸から始まった彼ら自身の自我みたいなものは
そこから脱却し、自分の道を歩んで行こうとしているように見える。
では、一体彼らが目指したかった本当の姿とは何なのか。
名声でも進化でも自分探しでもなく、
人生に寄り添う音楽を、とやってきたのではないか。
このアルバムを聴いて、もしかしたら離れていく人もいるかもしれない。
賞賛する人がいる一方で色々マイナスなことを言われるかもしれない。
評価が分かれるような作品というのは
良い作品の一つのルールみたいなものだと私は思う。
どうでもいいと、流れていくものより
賛否両方ある方が人の心に残るものだから。
半世紀のエントランスで私たちはどんな未来を期待しただろうか。
この先もずっと現役まっしぐらな彼ら?
進化し続けて最高を塗り替えていく彼ら?
50年に向けての入り口で回転扉の中でぐるぐると回っていた彼らは
今、一歩その中へ歩き出した。
あまりにもミニマルでお世辞にも豪華とは言えない、一歩を。
次に彼らが歩んで行こうとしている道はまさに「ケモノミチ」。
平坦で舗装されているわけでも敷かれたレールがあるわけでもない。
自分たちの足で踏みならして作っていく「ケモノミチ」。
誰も見通すことのできない霧の中へ入っていく姿を誰も止めることは出来ない。
きっと後悔はしていないのだろう。
誰かのために火を灯すような曲を歌い続けてきた、
たくさんの期待にも応えてきた、「いい子」のMr.Childrenは
今、ありのままの音を曝け出して声もなく叫んでいる。
苦悩、怒り、葛藤、諦め。本当に小さなささやかな日常の幸せ。
「自分たちが決して特別ではないこと」
「みんなと一緒で一つの存在として普通に消えていく」こと。
一人の人間が人生に苦悩するように彼らもまた苦悩する。
人々に光を射すような神なんかじゃないこと。
だからこそ、人々の人生に寄り添える曲を作れたこと。
花火のように最高のままパッと散っていくのなら
SOUNDTRACKSで終わる道だってあっただろう。
それでも、花が萎れて枯れていくような道を選んだのは
多くの人がそうやって死んでいくこと、
何が起きてもおかしくない時代の中で
それが、とても幸福な形の終わり方であること。
そんな世界を心から望んでいるし
自分たちもそうありたいと思ったのではないか、と私は思う。
独りこの世界に生まれた瞬間から、それぞれが人生を歩んでいく中で
偶然4人が出会い、30年も一緒にやってきた。
だけどずっと4人でやり続けることはできない。
いつかはMr.Childrenは終わり、4人はそれぞれの人生をまた歩んでいく。
道すがら誰かがいなくなるかもしれない。
いつかは、「終わりの時」がやってくる。
それがいつかは分からないけれど、
それを受け入れながら、見据えながら、音楽を続けていく。
最後の最後まで、消えていく彼らの生き様を音楽と共に見せようとしている。
それは彼らの、「人生に寄り添いたい」と言う「優しい」姿勢ではないだろうか。
そのために今まで続けてきた、進化し続けること、最高を塗り替えることから
脱却していくことを選んだ「驚き」。
それが、「Mr.Children史上最も優しい驚きに満ちているアルバム」という
あの言葉に集約されているのではないだろうか。
アルバムの端々で発せられる言葉一つ一つがそれを表しているように思う。
「僕たちもみんなと同じ、悩みながら、まだやれるかなって思いながら
終わりを感じながら、ずっと模索しているんだよ」と訴えてくる。
本当に4人で何もできなくなった時、何か違う音で補ってやっていこうか、
それとも、音が減った世界で伝えられるものがあるか、
いろんな模索をしているのかもしれないし
そんなことすらももうできなくなってもう本当に何もできなくなったら
残ったささやかな日常の中で大切な誰かと過ごす時間の小さな幸せと
誰に届くこともないであろうメロディーが残るかもしれない、とか。
それでも、アコギ一本でも最期の最期まで音楽と生き続けたいと言う願いなど。
もしかしたらそんなものが込められたアルバムなのかもしれないと思うのだ。
ある意味今回のアルバムは彼ら自身の為のアルバムだったのかもしれない。
それでもそんな想いの数々は、
多くの人に共感される人生の一部分でもあるのではないだろうか。
「Mr.Childrenらしい」という概念は聴く人それぞれの胸の中にあるものだ。
私は、今の彼らも変わらず彼ら「らしい」と感じる。
殺したいほど嫌いになる時があっても、同じことを繰り返しても
音楽と共に生き尽くしたい、想いが、とても彼ら「らしい」。
好き嫌いで聴くには少し難しいアルバムかもしれないけれど
彼らの生き様を音楽を通して聴いてみるのは一つの方法かもしれない。
こんなアルバムを敢えて出すMr.Childrenはめちゃくちゃロックしてると思う。
ここからは1曲ずつ感じたことを。
「I MISS YOU」
とにかく透き通るような声とアコギの綺麗な音と救いのない歌詞が素晴らしい。控え目とはいえども4人の音はちゃんと聴こえます。
何度もさらなる自分を探してきた彼らのやってきたことに対する
疑問を感じる瞬間について書かれているようにも見えます。
霧の中へ入っていく姿が目に浮かぶような、
1曲目には相応しい曲なのではないかと。
新しい道を進んでいく苦悩がよく表現されていると思いました。
「Fifty’s map〜おとなの地図」
1曲目がどんよりな内容だったのでそれを引きずったまま聴くと
最後の上向きな言葉が少し空虚にも感じました。
そう聴こえるような感じも意図的なのかな、と思いました。
これぞ大人の心境って感じの歌詞で
うまく表現してるなあ、と感心しました。
この言葉は自分たちがやってきたことそのものを指しているのでしょう。
同じようなこと共感する人も多いのでは?
頑張ってきたよねえ、ほんとに。。
全体的に尾崎豊さんの歌をオマージュしながらも
すっかり大人になってしまった人向けに
「僕らも同じだよ」と寄り添っている曲のようにも感じます。
「青いリンゴ」
曲調は爽やかな感じですが
若かりし日の自分にまだ諦めきれない想いを抱いてる感じと
傷んだリンゴに今の自分を重ねている感じが切なさも加えて
青いリンゴのまだ青酸っぱさが苦味となって後味として残るような楽曲。
「Are you sleeping well without me?」
これは一見カップルが別れた後の話のような
恋愛ソングにも聴こえますが
自分たちの活動が終わった後に感じる寂しさとか
やってくるであろう新しい毎日を想像したような歌詞にも思えました。
ドラムが打ち込みっぽくも聴こえたりなんかして
余計そういう風に感じたのかもしれません。
自分のアイデンティティー失ってしまった喪失感に胸が締め付けられます。
「LOST」
この曲は大好きですね。
ゴスペルっぽい軽快な曲調の中で
前向きなこと一言も描かれていません。
何度も鏡や窓に映る自分という描写は今までの曲にも出てきますが
もういらない、見たくないとまで言ってます。
何かにがっかりしてる気持ちの大きさを感じます。
何をやってもうまく伝わらないもどかしさと怒りと
呆然と立ち尽くしているというショック。
それでも、ショックを受けているということは
どうにかしたい気持ちがあると窺えて
奥の方に願いみたいな、期待みたいな、希望を感じる曲だと思いました。
「アート=神の見えざる手」
これは最初に聞いた時は「え、ラップなん?」と動揺しました。
でもラップというほどラップしてる感じでもないし
いつもの早口の延長で全て終わった。。って感じでした。
なぜだかどこかに違和感を感じるような曲で
でもその違和感が主人公の違和感と妙にマッチしていて
巧妙に仕掛けられた何かにまんまとハマった感じがした一曲。
久しぶりの風刺的な曲だけど
どうしてか、この部分の歌詞を言われるとき
自分に言われているようでどきっとするんですよね。。
「雨の日のパレード」
いやいや、こんな曲をアートの後に聴かされても
一体どうやって受け取っていいのか混乱します。
真っ直ぐに前向きには受け取れない仕組みになっているのでしょうか。
ついつい勘繰ってしまいそうなほど真っ直ぐな曲でした。
曲調なんと無く懐かしい感じがしましたね。
「Party is over」
これは恋愛ソング、かな?
でも端々の歌詞に今のミスチルの心境を感じたりして
私にはただ単純な恋愛ソングだけには聴こえなかったです。
完全燃焼できない自分たちの現在の心境
どこへ向かっていけばいいか分からない苦悩
でも、もう終わってしまった事実。
もしも音楽をやれなくなってしまったらこんな心境になるのかな、
なんて想像しながら聴いたりしてます。
2本のアコギでシンプルに演奏してますが
これは田原さんと桜井さんなのかな。
この辺りの曲が物足りないと感じるのかなあ、と想像したり。
「We have no time」
今回アルバム全体を通して
歌詞の言葉がラフで詩的なものが少ない感じがします。
その辺もちょっとキレがないと思われた要因かもしれないですが
全体を通して、意図的にそうしているのを感じるので
完璧で美しい言葉選びでは合わないと感じたのでしょう。
親近感は湧き、より身近な感じになりましたが、
美しい言葉選びが好きだった人には物足りないかもしれません。
桜井さんらしい言葉遊びは感じますが。
それにしても「もう時間がない」というのは
大人の代名詞のようなもので
でもまだいけるんじゃないかという葛藤といい、大人っぽいです。
曲調も少しだけ他のものよりは激しめでかっこいい印象でした。
「ケモノミチ」
このアルバムの核と言ってもいい曲だと思います。
最初に一部分だけが流れていた時
恋愛ソングのように見せかけていましたが
ギターのかき鳴らし具合がただの恋愛ソングじゃない雰囲気を出していて
これはきっと生き様ソングに違いない!と勝手に思っていました。
蓋を開けてみたらやっぱり、生き様ソングでしたね。
とっても好きな曲です。
アコギとストリングスが目立っています。
壮大な曲調で引き込まれる歌詞だな、と思いました。
あの人とは、ファンのことかな、と思ったり。
「仕返し」とはいったい何のことなのか。
これは今までの自分たちのイメージを壊していくこと、なのかなと思ったり。
叫ぶと歌う部分では消え入りそうな叫びなので胸が締め付けられます。
「黄昏と積み木」
ケモノミチを境にここから世界観がガラッと変わってきます。
ここからの3曲はホッとするようなラブソングで締めくくられています。
この世界はたった1人の男に戻った後の生活を描いているようにも思います。
今まではアーティストとして期待に応えるように生きてきた人が
1人の普通の人間になった時、
身近な人と共に、背伸びをしないでも見渡せる高さだけの明日を作っていく
素朴で、ささやかな幸せを歌った歌だと思いました。
私自身は親友との関係を思い浮かべましたけどね。
「deja-vu」
この「僕なんかを見つけてくれてありがとう」というのは
いろんな人に向けたような言葉に感じます。
こんなに幸せに生きれたのは
自分を見つけてくれた人たちのおかげだ、とでもいうように。
これもまた、バラード調で、ホッとする曲が続きます。
この辺で飽きを感じた人もいるのかな、と思いました。
「おはよう」
「おはよう」は、好きだという人も多いのではないかと思います。
最後には相応しい曲かな、と思います。
もしも音楽活動が終わっても、
こんな風に誰に届くでもないメロディーを作りながら
身近な大切な人とのささやかな生活を送って
幸せを噛み締めていけたらいいなあ、という気持ちが入っているような
そんな気がしました。この時きっとこの主人公は
アコギ1本だけ持ってポロンポロンしてるんだろうな、と。
ささやかな日常の幸せを歌った曲はたくさんありますが
このアルバムの最後の3曲は特に
さらにささやかなものに焦点を当ててきたような気もします。
その分キャッチーさやパッとした印象は薄れますが
のんびりとした老後、みたいな雰囲気があります。
最後に
触り程度で、このアルバムを聴いて自分の感じたことをまとめてみて
やはりMr.Childrenにとってのこのアルバムの重要性を強く感じた。
物質として形に残るCDを大切にしているのは昔からなのだけど
彼らのアルバムはいつもそれだけでなく、
アルバムの仕様一つ一つにも意味があって
全ての要素が揃ってその作品を完成させてる感があるのだけれど
今回のアルバムは特にそれを強く感じた。
それは、流れの中できっと消えていってしまうものの類であるからこそ
どこかに流れ着いた先で
誰かの手の中で触れ合うみたいに
偶然誰かの人生に引っ掛かってくれることを願っているようにも見える。
だから、このアルバムは手にとって聴いてみることを今まで以上に推奨したい。
私にとっては、
この次があるのか、あったなら
次はどんな生き様を見せてくれるのか、
もしこれが最後だったら。。。
いろんなことを考えながら毎日聴いているのだけど
どんな形であっても
最後まで彼らが音楽と共にある限り
見届けたいな、と思った作品だった。
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