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個展とお金とプライスレスと

自慢じゃないけど、お金がない。
多分、人が想像するよりお金がない。
貯金の「ち」もない。

月々入ってくる微々たるバイト代は
もちろん生活するだけで消えていく。
少し貯まったかな、と思うと
好きなものをすぐ買っちゃってたし
おばあちゃんからもらった大金は
ライカへと変わり
なんなら足りなかったお金を
4年ぐらいかけて家庭内ローンで払っている。

まあ、別にそれで全然それまでは良かったのだけど。

個展をすると決めた時
多額にかかるであろうお金の工面を
どうしていこうか、というのが1つの不安ではあった。
1年半の間に、出展料、製作費で
これぐらいは最低でもかかるだろうという概算でも
どれだけできることは自分らでやったとしても
20万円くらいはかかりそうだ。
もちろんそんな手持ちはない。

貯金とはもはや呼べない
残高と睨めっこ。
音楽作ってもらうにしても
払えるのはこれが限界か。。。
手伝ってもらうお金もこれぐらいならなんとか払えるか。。。?
自分がしようとしてることが無謀な計画にも思えた。

一気に払わなければならない
用意するべき大金はまずはギャラリー代。
メルカリで色々売って、なんとか工面する。

それが用意できて、やっと
展示が実現できる気がしてきた。
できる気がする。きっとやれるはず。
なんとかしてみせる。そんな気がしてきた。

あとは、その時々にちまちまとかかってくるお金。
印刷の紙代、インク代、パネル代、などなど。
ただただ生活を切り詰め節約する。

フォトブックを販売はしていても
ほぼ製作費しかもらっていないので
送料とか入れると儲けはほとんどないに等しい。 

そもそも写真で儲けるとかチャラにするとか
そういった類のつもりがないから
支出がなんとか工面できなければ
展示をしようとも思わないし
マイナスなのは承知の計画。

写真を売ることにしたのも
処分するだけならもらってもらえる人にと思っただけ。
3000円では安すぎると周りに言われたけど
そもそもそれで儲けるつもりがないし
梱包代がもらえたらそれでいいか、という感じだった。

いい展示がしたかった。それだけ。

きっともっとお金をかけたら
もっと色々なことができたのかもしれない。 
でも、闇雲にお金かけても仕方がないし。

私は自分のやれることを見た時
やれる範囲で十分のものができると思う部分と
ここにはお金をかけたいと思う部分があって
最終的にはバランスの取れた支出で済んだと思ってる。

今回の展示にかかったお金は約33万円。
33万円であの展示ができたなら満足だ。

だがしかし、
結果は驚くものだった。

ブックが33冊も売れ
写真が27枚も売れたのだ。
動画も15人の方に買ってもらった。

まったくの想定外の収入により
私の展示は最終的に4万円の支出で済んだ。

何よりも
作ってもらった音楽に対して
対価と呼べる対価を支払うことができた。

これが、結果というやつなのか。

4万円であの展示できたってすごい。

でもきっと、これから先も
こんな感じでやっていくんだと思う。
もっと高く、相場に合った形で売って行こうとか
誰かに活動を支援して欲しいとか
写真で儲けようとか
あんまりそういう気持ちにはならない。

意識が低いのかもしれないけど。

プライスレスなものが
自分を支えているのは間違いない。

安いから買うとか
無料だから行くとか
行ったから何か買わないととか
そんなん全部吹っ飛ばすぐらい
展示で魅せる。それだけ。

私がそういうスタンスであれば
相手もそういうスタンスで見てくれる。
全部とは言わないけれど
少なくとも何人かにはそれが伝わると思う。
それを見て欲しいと思った人は買う。

それが私にとってのプライスレス。

写真家ではないかもしれない。
有名にもなりたくない。
多くの人に見られたいとも思わない。

だけどこの展示に来てくれた
96人の人にはちゃんと見せたかった。
写真を撮って展示する人として。

4万円は結果。
嬉しくないわけじゃない。
結果がついてくることはもちろん大切なこと。
だけどそれが目的ではない、ということ。

助成金とかもらえなくて
苦しんでる人もいると思うけど

自分は自分でできること、やっていく。
できることの範疇を超えるものはしたくないし
何かのせいで「やれない」という選択も選びたくない。
国の命令でやれなかったら、この展示はもうやめようと思っていた。
延期は考えていなかった。
もしそうなったら、また今の自分でやれることを新しくするだけ。

コロナで大変だけど
何を選択していくかは結局自分だし
他の人の命の責任は取れなくても
そうやってみんなこのウィルスと生きていくしかなくて
今のところはね

でもやっぱり音楽も作ってもらったし
手伝ってももらったし
やらないとな、とは思っていた。
もう本当にストップかけられるまでは。

こんな状況だからこそ
色々な分野にも共通して言えることは
振るいにかけられてるんじゃないかということ。
それは悪いことばかりじゃない、とも思う。
私はそこで残っていく者であれたらと思う。
表現する者の1人として。
コロナなんかに負ける表現者ではいたくない。

「その日 その日の
自分を取り巻くものの中で
何色にも変化できる自分でありたい」

最後の写真に添えた言葉。


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