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コロナ禍での美術・図工のプチまとめ〜美術室じゃなかったらなにが変わるんだろう〜

 こんにちわ。
 今日はコロナ禍での美術・図工のプチまとめをしてみました。

 緊急事態宣言が続いている勤務地では、美術室での対面授業が不可になってます。
 近隣の小学校に聞いたら、その学校でも同じように対面授業は不可だけれども図工室の机をパーテーションで区切っているので変わらず授業ができるということでした。「ようこちゃんのところもシートで区切りなよ!できるよ!」と言われたものの、ものの!!!!
と、また引っかかってくるw

 美術室や図工室の大きな作業台は向かい合ってしまうので禁止になりました。向かい合うと感染のリスクが高まるから。また、道具の共有はウイルス汚染になるからという理由です。
 だからやれるのは、通常の教室で向かい合わず近づかず、道具は自分のものだけ。ということですね。(道具は毎回消毒してますよ)
 もうこれは前向いてできる課題で、というか前を向いて夢中になることによって完成する課題を選定する、&道具の共有のない課題。

 美術はずっと教室でできないと思っていたので(なんというか、他教科から嫌われてる感を勝手に感じてましたし、教室が汚れるとかうるさいとか色々色々w)それでもみんな楽しそうだしまぁあたしがそう思ってるだけだったのかな、壁作ってたのかしら?なども含めて、振り返ってみたわけです。
 しかし、担任の先生からはいつもは見れない子供たちの顔が美術室から教室へ戻ったことによって見れたんじゃないかしらというのは良いことですよねぇ(w月並みな表現ですが)
 


「発達段階と客観視の兼ね合いをどう扱うか」

 個人的に、中1は発達段階的に「客観視ができる前の最後の抽象期。自然な客観と抽象の間で苦しんでる・逆に行き来できる最後?」みたいな印象があるので、この発達段階機に抽象絵画するのとか好きなんです。抽象絵画への苦手意識が軽減される気がしてるからです。でも逆に、コロナ自粛のおかげで美術室を出てiPadを道具として「客観視」を試せたことは自分と他者との見方を冷静に見つめることができたのかもしれないと思いました。これ、中2〜3でやると、カメラの客観視信奉者が出過ぎちゃうんですよね。中1でむしろ良かったのかもしれない。これは今後の課題だとすごく思ってます。どちらもこの時期に試せるといいですけどね。 


 「図工から美術」への階段

 また一方で、「図工」はどうしても短い時間で作品を作ることが多く、刹那的なアクションペインティングや道具・技法も面白さが子供を惹きつけるため目指す先まで引っ張ることができたわけですが、それだけではない「じっくりとものをつくること・時間・そしてそれと自分」の世界に入る「制作」へ中学生になるんだもの移行しなきゃいけないんだなとも強く感じました。いわゆる「図工から美術」への階段というか、教科の変化への理解というか、、、、


 結果、途切れ途切れだったり短い時間をつなぎ合わせて教室で革のペンケースを作ったのですが、出来上がった時はみんななんか乗り越えたような顔をしていたので、見てたらこっちも「対面不可でもちゃんとできるんだなぁ。そしてみんなでちゃんと乗り越えられたんだなぁ」と思えてきちゃったわけです。
 この間、みんな凹んだり、できなくてiPadで懐かし写真を見ちゃったり飽きて音出しちゃったりして叱られるわけですが、そういう叱られがあってもまぁいいんですよね。
 結果として、

「美術室でも教室でも、変わんなかったわ!!」


でした。

 つまり、美術や図工の大切なとこはコロナ禍でも変わらん。

 コロナだから神妙に静かに制作しなきゃならんとかは無い。マスクしてるだけで変わらずワクワクして興奮して奇声あげても良い(やめて)。

 ワクワクして、悩んで落ち込んで逃げて、でもみんなと一緒にノリで乗り越えられたら生きる時の縮図みたいになればいい、、、学校は小さな社会と言われてるから言ってるみたいに見えるけど、つくるは楽しいしコロナでもそれは変わんないな。と思いました。

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