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ケアマネジャーは誰の味方か?(2)~なぜケアマネジメントが創設されたのか~

ニッセイ基礎研究所
三原岳

今コラムの第1回では、ケアマネジャー(介護支援専門員)を取り巻く環境を俯瞰する図を示しつつ、本コラムの目的として、ケアマネジャーやケアマネジメントの「あるべき姿」から考える必要性を指摘しました。今回から図を用いつつ、それぞれの関係者で起きる摩擦と背景などを考察していきます。

 第1回で使った図を再掲すると、下記の通りです。この図は本コラム(特に上半期の連載)で何度も引用することになりますので、少し頭に入れて頂けると幸いです。今回は利用者との関係性で起きる摩擦や理由の根本的な原因を探るため、ケアマネジメントとケアマネジャーが創設された経緯を立ち返ります。

良く知られている通り、介護保険は2000年4月にスタートしました。
当時、私は駆け出しの新聞記者でしたが、「高齢者による自己決定」「介護の社会化」「地方分権の試金石」などの言葉が飛び交い、バラ色の高齢化社会が来るかのように報じられていたのを覚えています。 

その時に作られたのがケアマネジメントであり、ケアマネジャーでした。介護保険制度の創設に関わった有識者はケアマネジメントとケアマネジャーについて、「介護のサービスのシステムに本当の命を吹き込む」と期待感を示していました(大森彌『高齢者介護と自立支援』)。

では、どうしてケアマネジャーやケアマネジントが創設されたのでしょうか。
実は、厚生省(現厚生労働省)が作成していた当初の制度案では、ケアマネジメント(当時の名称は「ケースマネジメント」でした)と要介護認定が一体的になっていました。しかも、ケアマネジメントの担い手も「ケアマネジメント機関」という役所っぽい表記になっていました。

しかし、最終的には、現在の仕組みのように、要介護認定とケアマネジメントが切り分けられました。
その理由を探るため、制度創設に関わった官僚や有識者による分厚い書籍(『介護保険制度史』)を見ると、要介護認定とケアマネジメントを一体的に実施した場合、「実質的な制度の枠組みが変わらなくなるのではないか」という判断があったと書かれています。この部分を少し補足すると、介護保険制度ができる以前、老人福祉の制度は税金を財源としており、「措置制度」と呼ばれていました。

しかし、措置制度は様々な問題点を持っていると理解されていました。
例えば、介護保険制度の創設に至る流れを作った厚生省の「高齢者介護・自立支援システム研究会」報告書(1994年12月)では措置制度の問題点として、下記のような点を挙げていました。

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