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Rainbow㉜

 月光④

 咲人は、エリーシャに変わって舞台演出の指揮を執ることになった。年間十以上も大規模なイベントを開催していたエリーシャ。咲人は十五歳の頃からそのサポート役としてエリーシャの側で彼女の仕事を見てきた。舞台演出や出演者との微細な打ち合わせまで。エリーシャは、その全てを咲人に教え込んでいた。――病気のことも。
 石垣島ドラァグクイーンショーを明日に迎え、エリーシャから頼まれたことは全てやり終えた。しかし、不安なことはまだまだある。当日に豪雨や機材トラブルなどが起きた場合の対処やクレームへの対応は、まだ経験したことがない。出演者からのクレームだって有り得る。咲人は、改めてエリーシャの偉大さを思い知らされた。
 夜のライブ会場に行くと、真里がダンスの練習をしていた。彼女には才能がある。白保海岸の浜辺で初めて彼女のダンスを見たときは、粗雑な動きが多くて見ている方が恥ずかしくなった。だが、何故か目を惹かれるものがあった。それは彼女の内面から溢れ出てくるもの。それが何なのかははっきりと分からない。でも、エリーシャの言葉で言うならば、「ジャズのように生き、ブルースのように語られる人生」なのかも知れない。
 ジャズとは「即興」、そしてブルースとは「悲しみを希望に変える」という意味がある。エリーシャの言う、それは人生の生き方のことを言っていると思うが、真里の描き出すダンスを見ていると、おそらくそれらの要素が入っているのかもしれない。咲人は、まだ自分の考えに確信を持てずにいた。
「咲人さん、見てたんですか?」真里は舞台上から会場の隅にいる咲人に気が付いた。
「あ、いや。何というか。……考え事してたんだ」
 真里は一瞬残念そうな顔をしたが、次の瞬間には明るい表情へと切り替わっていた。
「何かまだ手伝えることありますか?」
「いや、無い!」自分に言い聞かせるようにそう言うと、咲人は真里と同じ舞台に上がり、ピアノの前に座った。
「ピアノ、懐かしいな。エリーシャとのレッスンのとき、エリーシャがピアノ弾いて、何度も踊らされたよ。『違う!』『もっとイメージしなさい!』って」咲人は、ピアノを指で鳴らした。
「真里、一曲付き合ってくれない?」咲人は真里に優しい顔を向けた。
「いいけど、何を弾くの?」真里が返事をすると、咲人はピアノを正面にして座り直し最初の何音かを弾いた。
「ドビュッシーの『月の光』、エリーシャが何度も弾くから覚えちゃって。これしか弾けないんだけどね」
 真里はペットボトルの水を一口飲み、目を閉じて喉を伝う水を感じながら、「月の光」を想像してみた。
 咲人が合図を送る。真里は再び目を閉じ、音の気持ちを感じ取ろうと全身を研ぎ澄ませた。
 真里が集中しているのを見て、咲人はピアノを弾き始めた。――
 
 十四歳でエリーシャと出会った咲人は、モダンバレエに飽き飽きしていた頃だった。
 咲人は型通りに踊ることに違和感を感じていた。だから、クラシックバレエよりも自由度のあるモダンバレエに挑戦してみたが、それも次第にモダンバレエの型にはまってしまう自分のダンスが嫌いだった。母親の南乃花は、日本の伝統の教えである「守破離」という型が咲人の思考を混乱させていると感じていた。「守破離」とは、日本の「道」の極め方を説いた教えである。師範の技を守り、少しずつ発展させ、独自の新しい技を作り出す。これが、一連の流れである。しかし、咲人のように「離」を追究する者にとっては、「守」も「破」も要らない。それぞれの良いところだけを抜き取り、自分のアレンジを加えてモノにする。咲人の考えは、ダンスに対してだけじゃなく生き方にしても同様だった。中学校の校則や上下関係、男女差など。「らしく」や「みんなも」という一括りにされる生き方に激しく反発していた。南乃花は、咲人の苦しみを理解できる人は日本にはいないと思っていたそんなとき、南乃花は雑誌の記事で「エリーシャ」を見つけた。海外で活躍する日本人ドラァグクイーン。
 南乃花は、すぐにアメリカ行きのチケットを買って、エリーシャに会いに行った。煌びやかな衣装を纏い歌って踊るかつての朋樹先輩は、咲人の求める「自由」の象徴のように南乃花には見えた。その後咲人は十四歳で渡米し、エリーシャからコンテンポラリーダンスを習うことになった。

 真里は、音の質感を聞き分けるのが上手いなと咲人は思った。同じ「ファ」の音でも指の落とし方一つで変わる。だから、音の質感を聞き分けることで、明るいのか暗いのか。深いのか浅いのか。を、瞬時に読み取り表現の構成に加えていく。それこそまさに即興であり「ジャズ」なのだ。
 ふいに、咲人の目頭を熱いものが込み上げた。何故こんなにも感情が溢れ出てくるのだろう?
 真里のダンスは、咲人の感情を引き出して音を絞り出していく。咲人は、悲しみに暮れていた頃にエリーシャと出会ったときのことを思い浮かべていた。ロサンゼルス空港で、迎えに来ていたエリーシャに、挨拶もせずそっぽ向いて歩いてた。車に乗り家に着くまでの間、ずっと窓の外の月ばかりを見ていた。「月が好きなの?」そう聞いたエリーシャに、「別に! 好きなものなんか何も無い」と答えたら、車を高速道路(フリーウェイ)で突然停めて、エリーシャは咲人の顔を真っ直ぐ見て言った。
「あなたが何を好きになろうが、何を嫌いになろうが、それはあなたが決めることだから口出しはしない!けど、胸張って好きだと言えるものがないのは、私は許さない! 嫌いなものばかりに囲まれた人生なんて、生きる価値もない! いい、好きなものが無いなら、まずは自分自身を好きになりなさい! そうやって好きなものを一つ一つ増やしていけば、気づいた時にはあなたの人生が豊かになっているはずよ」
 その言葉で俺は変われた。俺はエリーシャに救われたんだ! 希望の光が最後の鍵盤に落ちる。
 曲が終わり、真里が咲人の元に駆け寄った。
「どうしたの?」
「真里のダンスが、あまりにも美しくて涙が止まらなかったんだ」と、ぐしゃぐしゃな顔で咲人は笑った。
「もう、いつまでも子ども扱いしないでよね!」真里は膨れた顔を見せた。
「史さん、迎え遅いね」咲人はピアノを片付けた。
「あの、……実は、お父さんに咲人さんのバイクに乗せてもらうからいいって、メールで伝えちゃいました!」ニコッと笑う真里を、咲人は冷ややかな目で見つめた。(つづく)

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