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Rainbow⑲


 選考合宿①

 ショーを三週間前にして、選考合宿が開かれた。
 ドラァグクイーンショーは、規模によってプログラムのバリエーションを構成している。小規模から中規模のショーならば、本格的な口パクで歌うリップシンクショーや観客を笑顔に包むコミカルなライブショーなどが一般的だ。しかし、今回は大規模なショーを企画している。
 エリーシャは、自身も出演しながらもショー全体の演出をこなすことで有名だ。演劇やコンサートスタイルのパフォーマンスを組み合わせて一貫したストーリーラインのプログラムを構成することを得意としている。ニュースでは、総額一億円規模のショーではないかと報道されていた。

 選考合宿は、石垣自然の家で一週間行われることになった。この施設では、真里たち子ども劇団が練習場所として普段使用している。体育館の他に宿泊施設や芝生広場、野外炊飯場などが揃っていて合宿には好都合だ。

 総勢百名の申込者が、石垣自然の家の体育館に集合した。子ども劇団以外にも石垣島内限定でいくつかのダンス教室や合唱団に声を掛けていた。しかし、条件は十四歳以上十八歳未満とあるため、真里と琴美がこの中では最年長となる。選考する部門は、「ダンス」「アクト」「コーラス」とある。
 琴美は、入り口で選考部門の「ダンス」に〇を付け、名札ホルダーを受け取り会場内を見渡し、真里を探した。
「真里、同じダンス選考メンバーだから。よろしくね」琴美が真里の隣に座りながら、声を掛けた。
「琴美、本当にダンス選考受けるの? 『アクト』もあるじゃん。そっちの方が絶対にいいよ」琴美が自分に合わせて無理しているんじゃないのかと、真里は心配した。
「ううん、『アクト』ではなく、『ダンス』で勝負するの! そう決めたの」琴美は、清々しい顔を真里に向けた。
 真里は、琴美の顔を見てその決心を友達として尊重するべきだと感じた。
 「あ、あ、あ。えー、これから石垣島ドラァグクイーンショー、サポートメンバー選考会の開会式を行います。本日の司会を務めます私は、主催者エリーシャのマネージャーをしております。立花と申します。よろしくお願いします」マイクを通して、舞台前の端にいる小太りの男性が会の始まりを告げた。パラパラと拍手が起きた。
「では、早速、主催者のエリーシャに登場いただきます! みなさん、盛大な拍手で迎えましょう! さあ、どうぞ」司会の立花が居に一番に拍手を送り、会場全体に促した。会場中が拍手に包まれたとき、エリーシャが舞台前の端にある衝立から登場した。彼女の姿が見えた瞬間に、さらに大きな拍手が沸き起こった。
 エリーシャは、黒のトゥフラットシューズに鮮やかな青の七分丈スキニーパンツ。上は、白のアシンメトリーシャツで右下にスリットが入っている。長い睫毛の下には、ブルーのアイラインが引かれていて、吸い込まれそうな瞳が真里の印象に残った。真里はまじまじとエリーシャを見て、突然に声を上げた。
「あ! 青いジャケットの彼だ!」琴美が驚いて、真里を見た。真里は目を丸くして、エリーシャを見ていた。
「青いジャケットの彼って、真里が高一の時に探してた彼のこと? え? じゃ、エリーシャを見たことあるの? 私は会うの初めてなんだけど。……真里、ようやく運命の彼に出会えたね」驚く真里の横顔を見て、琴美がいたずらに言った。
「琴美、やめてよ。そういう言い方」真里は頬を少し赤らめ、体を捻った。
「楠田朋樹は、エリーシャだった」口元で呟くように真里は言った。
「え? 何」琴美が聞こえなかったというよう体と一緒に耳を真里の方に近づけてきた。真里は「なんでもない」と、琴美の体を押し返した。
 エリーシャは、全員の前に立ち今回の選考の条件やルールを説明した。

 この選考合宿は、選考する部門を三つに分けているが、二日間は基本練習として、全員が同じ練習メニューを行い、一次テストを受ける。
 エリーシャは、元々バレエダンサーをしていたことから、舞台に立つ演者は、全員がバレエ用語とバレエの基礎的な動きを覚えることを義務付けられている。
 その他のテストは、必要に応じて増やしたり減らしたりするらしい。また、例え選考から落ちても、ショーの裏方で着付けやメイク、衣装の手直しなどの仕事をしてもらうと申込書に明記されていた。
 実はエリーシャが世界から注目を浴びる所以は、ショーの華やかさだけではなかった。彼女は「救い人」としてこれまでに多くの才能人を見出してきた。その方法の一つが、現地人を多く登用することにある。彼女は、地方でのショーを行う時には、前もって現地に赴き、オーディションを行う。そして、ショーが終わるまでの間に彼らを本物のショーマンへと育成する。その手腕は、折り紙付きだ。だから、彼女は行く先々でこういうのだ「救われたいのなら、覚悟を決めなさい!」彼女のその言葉に、みなは期待を膨らませ、我こそはと立ち上がる。だが、選ばれるのは容易ではない。これまでにいくつものショーを大成功させてきたプロの目に適うのは、「本物」の原石を内に秘めているものだ。その「本物」が何なのかは、エリーシャでなければ見極めることが出来ないだろう。
 エリーシャは、説明を一通り終えて全員の顔を見渡した。そのとき、真里は一緒だけエリーシャと目が合った気がしてどきっとした。
「私からの説明は以上! あ、そうそう。今回の特任コーチを紹介して置かないとね。松本咲人と新城千夏よ!」そういうと、エリーシャは、衝立の向こうにいる二人を舞台中央に呼んだ。
 焦茶色の革ジャンを着た咲人とレオタードにスカート姿の千夏が軽やかな足運びで衝立の奥から現れた。
 真里は、再び驚いて立ち上がった。
「あ! 『ヘタクソ』の奴!」真里の声に、会場中が騒めいた。真里の脳裡には、二ヶ月前に白保海岸で見た焦茶色の革ジャンを着た男性が浮かんでいた。真里が朝の日課にしていたダンスを睨みながら見ていた彼は、海岸の砂浜に『ヘタクソ』と書いて去って行った。これは私のダンスを見て書いたに違いない。「今度会ったら、ダンスで勝負してやる!」と、真里は決めて
「ちょっと、真里! いきなり何よ?」琴美が真里の手を下に引っ張り座らせようとした。しかし、真里はその手を振り払って咲人の前に仁王立ちし、指差した。
「人の踊りを見て、『ヘタクソ』ってあり得ない! 私、あなたには負けないから! 絶対、勝ってみせる!」真里の言葉に、咲人は白保海岸で水筒を置いて帰った女の子のことを思い出した。
「あ! あのときの。……猿みたいに砂浜を飛び回っていた女の子は、君か! でもね、俺はコーチで君はまだ選ばれてすらいない。俺に勝ちたいのなら、まずは全てのテストをパスしてくれ。俺は、今の君よりも何倍も上手いんだ」咲人は、真里に目を合わせながら余裕の表情で言った。この言葉が真里を奮い立たせた。「必ず、こいつを越えてみせる!」真里は、全身に力が漲る感覚を覚えた。千夏は、それを見逃さなかった。理由はどうであれ、真里がいつもの真里に戻りつつあることを千夏は、実感した。
 咲人と真里のやり取りを、違った目で見ていたのは百合だった。「どうして真里は、いつも物事の中心にいるの? 私だって、一つ年上の真里に追いつこうと必死に練習してきた。でも真里はいつも私の先の先に行く。この選考会で、私の実力を真里に見せつけてやる!」百合は、刺すような目で真里を遠くから見つめていた。
 すると、百合の後ろから派閥の仲間が声を掛けた。
「百合さん、あっちに立ってる女のコーチは、真里さんのお母さんですよ。身内を選考会スタッフに入れてるなんて、卑怯ですよね?」その言葉は百合の正義感を奮い立たせた。百合は、手を挙げ立ち上がった。
「エリーシャさん、一つ質問があります! あそこに立ってる千夏コーチは、真里さんのお母さんですよね? 身内がスタッフに入っているのは、不公平だと思います。それともこの選考会はヤラセですか? 選んだフリをするための合宿ですか?」百合の言葉で、会場中が騒めいた。百合は、清々しい心持ちになった。
 エリーシャは、百合の近くへと歩み寄り言った。
「あら、可愛がりがありそうな子がいるわね。あなたの言い分も筋が通ってるわね。でも、ここは実力が物を言う場所よ! いいわ、これから二人のコーチに実力を見せてもらいましょう!」エリーシャは、二人を舞台上へ上がるよう指示した。それから舞台上の二人に次の指示を送った。「千夏、咲人。ジョージ・バランシンの『セレナーデ』を踊って見せて」すると千夏と咲人は、バレエのお辞儀をしてみせ、曲もない状態で踊り始めた。二人の踊りは、優雅でいて繊細な動きだった。ジャンプをしている際も足を素早く動かし静かな着地を決めたかと思えばすぐさま次の技が連動して繰り広げらる。手足も、付け根から指先までが内なる力を迸るかの如く、美しく完成されていた。二人の一糸乱れぬ踊りは、完璧だった。
 三分ほど踊ったあと、二人は舞台袖へと下がった。会場にいる誰もがその力量を確信し、魅了されていた。自然と拍手が沸き起こり、会場中を大波が堤防を砕く勢いで押し寄せてきたかのように、拍手の音が鳴り響いた。
 エリーシャは、百合の前に立ち、言った。
「身内をスタッフに入れたいのなら、どうぞ連れていらっしゃい。人手ははいくらでも必要よ。その代わり、バレエ界の神童と呼ばれた彼女よりも優れた人材を連れてくることね。役に立たないスタッフなら、あなたごと切り捨てるわ。それでもいいのなら、連れてきてちょうだい。……それともう一つ、『不公平』という言葉は、平等が約束された世界で使われる言葉よ。でも、あなたがいま参加している「ここ」では、私が女王であなたは僕(しもべ)。最初から平等なんて存在しないの。お分かり? お嬢ちゃん」エリーシャは、唇を噛みしめる百合を尻目に全体に聞こえる声で話しを続けた。
「この中で舞台に立てるのは、三十名前後。そのうち私と一緒にメインを張れるのは一人だけよ。ここでは、私が絶対的権限を持って決める! 私はプロのエンターテイナーよ。私の目に適う人材かどうかを選考する合宿だと理解してちょうだい。もし、それが嫌なら今すぐここから立ち去りなさい!」
 エリーシャの言葉に会場は静まり返った。遠くから大型客船の入港を知らせる汽笛の音が体育館内に届いた。エリーシャは、一拍手を打つと「さあ、理解したのなら荷物を部屋に置いてきなさい。三十分後に選考会を開始するわ」と、みんなに次の指示を伝えた。

 それぞれに荷物を持ち、配られた部屋割り表に従い散っていった。その中で真里は、舞台を振り返り先ほど踊ってみせた二人とエリーシャが談笑する姿をしばらく見ていた。琴美は真里に気付き、手を引いて体育館から出た。「もう、何考えているのよ! 百合も真里も! コーチ二人に楯突いて、信じられない!」部屋のある棟へと向かいながら琴美が言った。
「ねえ、聞いてるの? 真里」琴美は立ち止まり、真里を見て驚いた。真里の大きな瞳から溢れる一筋の涙。
「美しかった。……」真里は、それだけ言い、琴美の先を歩き出した。

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