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うつ病で障害者になったら、母に捨てられた話

久しぶりです。急に季節が変わりましたが、お元気ですか。
いきなりですけど、私の存在を根本から否定される出来事がありました。
とにかく話をきいてください。

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「親子の縁を切る覚悟で来た」、最後に会ったとき開口一番に母が言いました。20年にわたるうつ病闘病の末に仕事を失った娘である私は、数万円の援助を母に求めました。
我が家の家計の半分以上は私が担っていました。家賃が負担で引っ越そうにも、私はまだ引っ越しに耐えられない。

母は年金暮らしとは言え亡父のものだったマンションに住み、家賃やローンはなし。私の弟家族は両親名義の新築のマンションに無料で住んでいます。私の要求は弟と平等に扱って欲しい、というだけのものです。毎月家賃の半額程度を出してほしい、弟は実質家賃を負担していないのだから、同じにして欲しい。私の要求はこれだけです。

家賃の安い場所に引っ越すことも当然考えています。今の私は日常生活すらままならず、とても引っ越し先のエリアを絞り、物件を内見し、借りる判断をして、荷造りをするというのはできません。
せめて数年だけでも助けて欲しかった。

母は、できない、と。
一人暮らしになって、弟に見捨てられたら生きていけない。
介護が必要になったら、施設に入りたい。施設は最低月額30万円はかかる。そのためにお前にやる金はない。
お金を持っているから弟夫婦が面倒を見てくれている。お金がなくなったらどうなるか分からない。お前より自分が大事だ。


母の考えはこの一点張り。自力で食事の用意ができないくらいうつの症状が重い私のことは、どうでもいいのです。親の面倒を見るどころか、世話をしなければならない子どもなど、ただのお荷物のようです。

私は母の人間性を信じていました。母が好きでした。出歩けるようになったら一緒に御朱印集めをしたいと思っていました。

一銭の価値もない私。なんで私を生んだのでしょうか。なぜ私はこの母のもとに生まれてきてしまったのでしょうか。

母も最後まで私に仕事を辞めていいと言わなかった人です。稼ぎがない私に価値がない?と思っていたのは勘違いではなかった。

しばらくは思考も感情も大荒れでした。頓服の安定剤を飲んで昼も夜も眠り続け、感じること考えることをシャットダウンしました。泣くこともできない私は、起きているときは繰り言を言い続け、母も自分も呪いました。

根幹から自分の存在を否定された気がしています。親離れしていたつもりだったけれど、とにかくダメージがでかい。幸い若くないので、波にもまれているエネルギーも無くなり、落ち着いてきました。人生の残り時間を無為にするのはもうやめたいです。

こんな状況でも自傷しなかったことは褒めて欲しい。

お金が絡むと肉親の縁も崩壊するとは知っていますが、まさか相続ではなく、援助でとは。一月が経ち、やっと文章化できました。

現在の気持ちで思い出が変わることがあるけれど、母との思い出は変えたくない。私の大切な一部だからそのまま持っていたい。
憎んだり呪ったりの感情の波間にあるのは、母の余生が幸せで会って欲しいという思い。私が独立するまで貧しかった生活続きの半生。最後は穏やかであってほしい。私は何もできないと思うけど。


誰が本当に私のことを思ってくれているか、よくわかりました。親子は選べない。自分で選んでこの両親のもとに生まれてきてはいない。血のつながりなんて何の約束でもなかった。どうしようもないことがある。変わってしまって戻らないことがある。ただそれだけ。

生きているだけでいい、じゃあダメなんですね。

馬鹿だなあ。何もできなくても私は優しい子なのに。何もできないけど、お母さん。

一緒にとげぬき地蔵に行く約束、楽しみにしてたよ私は。

お読みくださりありがとうございます。これからも私独自の言葉を紡いでいきますので、見守ってくださると嬉しいです。 サポートでいただいたお金で花を買って、心の栄養補給をします。