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「純度の高い自分」で生きる

自分を、少し離れたところから見ているもう一人の自分(意識?)に気づいたことはないだろうか?

私は、ある。

確かに私はここにいて話をしているのに、もう一人の自分がそれを他人事のように見ているのだ。小学生くらいの時に初めて気づき、不思議だった。友達に伝えても伝わらず、「こういうこともあるんだ」とただ受け入れた。

一種の幽体離脱みたいな感じなのかもしれないけど、「私」を「もう一人の私」が冷静に見て分析している感じはとてもシュールなんだけど、体感としてはっきりとまだ残っている。

「私」は「私」。じゃあ、それを見ている「私」は誰?

本当の自分がどういうものか分からないけど、自分に嘘をついていたり、偽りの自分を演じていたりする自分は、きっと本当の自分ではないよね。

じゃあ、本当の自分って何だろうと考えると、「純度の高い自分」なんじゃないかと思う。

「純度の高い自分」とは、例えばファミレスに行って皆とは違うけれど自分の食べたいものを頼める自分だったり、本当はAをしたいけど周りの空気的にBを選んだ方が良いよねっていうシーンできちんとAをしたいと伝えられる自分だったりするのかな。

うれしいときに「うれしい」と言えたり、寂しいときに「寂しい」と言えたりする自分とか…つまりは、本音を伝えられる自分なんだろう。

感謝を伝えたいのに「すみません」って言っちゃったり、ほんとはもう無理なのに「大丈夫です」って言っちゃったり、人って案外自分の本音を伝えられない生き物だ。

そういう自分を積み重ねていくと、「純度の低い自分」になる。そうして、自分のことが良くわからなくなって、自分のことを嫌いになって、自己否定を始めて…うわぁ、いいこと全然ないよね。負のループ。

だから「純度の高い自分」で生きたいと思う。

いきなり100%を目指すのは無理だから、10%でも20%でもいい。昨日より少し自分のことを好きになれたり、誇れたりする自分になりたい。

「コーヒーとカフェオレ、どっちが飲みたい?」
「パンツとスカート、どっちが着たい?」
とか。誰にも迷惑をかけず、誰にも気づかれなくていいから、ほんの些細なことでも自分に聞いていこうと思う。

そして、できるだけその答えを尊重して、行動に移すんだ。

そうすることできっと、「純度の高い自分」になれるし、続けていけば知らぬ間に「純度の高い自分」で生きているんじゃないかな。

会社を辞めると決めたときやフリーランスになると決めたとき、人生の中でも大きな決断だったけど、「純度の高い自分」で決断できた。今でもこの決断に満足しているし、怖くてもちゃんと一歩を踏み出せた自分を誇りに思う。

コロナ禍の今も、これからも、選択していかなければならないことが山ほどあるだろう。そして、同じような状況の人はきっとたくさんいると思う。

だからこそ、私も、あなたも、「純度の高い自分」で生き、決断することが、幸せな毎日を過ごし、自分の満足できる人生を歩める秘訣になるのではないかしら。

まずは、日常の小さなことから自分に聞いていこう。質問の仕方が難しければ、「Yes」「No」で答えれる質問からはじめてみてもいいかもしれないよね。

お互い、本音を大切に生きていきませんか?



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