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7月23日 ノートを買った日

お久しぶりです、津麦ツグムです。
長く長く、本当に長い間おやすみしてたのですが久しぶりに筆を取りました。

創作が嫌いになったわけでもなんでもないのですが、あえて言うならば、リアルが充実しすぎた結果、と言った感じです。

「リア充」と言う言葉はいい加減死後になりつつあるので気をつけないといけませんね。

私事で恐縮なのですが、来月入籍いたします。

と言っても同棲生活はぼちぼち1年、ちょこちょこ書きながら生活だって出来たわけなのですがなんだか現実を味わうのに精一杯で、なかなか創作の手が止まってしまっていました。

思えば、創作や読書に没頭している時というのは大抵逃げたい現実があったことが多かった気がします。
逃げたい現実とは常に、誰にもくだらない話や考えを伝えられない孤独感というのと確かに共にあった気がします。

誰かに話を聞いて欲しくて、誰かとコミュニケーションらしきものがしたくて、擬似的な形でその欲求を満たしていたところは過分にあります。

そう言った孤独感や逃げたい現実というものを感じにくい生活になったというのは間違いなく喜ぶべきことだと思います。
それは「幸福な生活」と言って差し障りなく、安心できる居心地の良い場所と人と共に在れるというのはまさに私にとって望外の幸運としか言えないものです。

私はしっかり1年近くの間、その幸せを噛み締めて現実を現実らしく生きてきたのですが、今日、ふと駅前の無印良品に寄ってノートを手に取りました。
なんてことはない、リングタイプの無地のノート。次いで、誘われるようにボールペンも。

夢うつつのような、白昼夢に乗っ取られたような、そんな感覚でした。

何か描こう。何か書こう。
なんでもいいから、下手くそでもいいから、何かを作ろう。

急に自分がどんどん空っぽになっていくような恐怖感を感じました。
別に自分は何も変わってなんていないのに。
小説も絵も、何もかもしてもしなくても別にいいのに。

それでも居ても立っても居られなくなりました。

ずっとどこかで謎の後ろめたさのような、何かを感じていました。
何も生み出さず、ただただ今日を消費するだけの自分に。
別に今までだって大層なものをしていたわけではありません。ほんの数人が気まぐれに読んでくれるような、そんな、ありきたりな小説。
でも、今まで仲の良かった友達のLINEを自分勝手にブロックしたようななんとも言えない後味の悪さを感じてはいました。

ノートとペンをぼんやりとしたままレジに持っていき、上の空で会計をする中、頭の片隅で「ノートなら家にある。ペンだって」と思いました。
でも、無視しました。
正しいというか、モノを無駄にしない選択はどう考えても、何も買わずに店を去り、家にあるノートとペンで創作をすることです。

ノートを買わなかったら、私はきっと今喫茶店でこの記事を書いていなかっただろうという確信だけは不思議とはっきりとあります。

私はたぶん、いい加減区切りをつけたかったのです。
この今を生きるだけの生活に。
この何も生み出さない生活に。

何かしてみようと思います。
何をしましょうか。

とりあえず、買ったばかりのピカピカのノートとボールペンで、好き勝手に下手くそな絵でも書いてみようかと思います。

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