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再訪

社会人になってから6年住んでいた福岡に、2年ぶりに訪れた。
東京から遠く、出張もなく、しばらく行くつもりもない場所だった。
ひょんなことで誘われて気が付いたら飛行機のチケットを取っていた。要は勢いだ。無計画上等。
私に限ったことではないが、社会人のはじめの方というのは中々に精神的にも身体的にもハードなものだった。
それなりに悩んだり苦しんだりした気がする。
ある程度するとそれなりにどうにかできるような気になれたり、苦手な先輩がどこぞへと行ったり、ただ単に慣れただけだったりを行ったり来たりしてどうにかなっていった。
その段階で転職する人もいるだろうし、酷くダメージを受ける人もいるだろう。運が良いのとただ単に私が面倒くさがりなのとで私はそのどちらでもなかったが。
だから、自分が特別に辛い思いをしたといえるわけではないが、それでもそこそこな思いをしてはいただろうとは思う。
そういう塩辛く酸っぱい味のする社会人初期を過ごした土地こそが私の福岡だった。
そうはいっても仕事柄であったり、趣味であったりで仲が良い人というのは確かにいて、そういった人々の顔を見るのも今回の旅行の楽しみのひとつでもあった。
ありがたいことに久しぶりの再訪ということもあって、お久しぶりに会う人々は歓迎してくれた。

今回は近しい人や友人と一緒に会って、私に「近しい人」ができたと喜んでくれた人。
突然の来訪に驚きながらも笑顔でおしゃべりしてくれた人。
わざわざ見送ってくれて、健康を祈ってくれた人。
懐かしい話やお互いの近況、もともとはお客さんとスタッフ(私)というビジネス上の関係性しかなかったはずなのに親しくおしゃべりしてくれた人。
2年間の空白をまるでなかったみたいに、いつも通り接してくれる人。
色々な人がいた。

帰りの飛行機は、私が2年前に福岡から東京に引っ越した際に乗ったルートと同じものを通る飛行機だ。
だんだん雲に覆われて光を失っていく街明かりをぼんやりと眺めながらふと涙が流れた。
私の6年間の福岡での生活は。
辛いことも理不尽なことも、やるせないこともあって、決して幸福なことだけとは言いきれなかったが、それでも不幸ではなかったのだ。
不幸せではなかったのだ。
私は、こうして笑いかけてくれる人や、親しく話してくれる人や、再訪を喜んでくれる人や、そういう人たちが確かにいたのだ。
自分の意志で福岡を出る決断をした私は、どこかで自分の決断を後押しするために必要以上に福岡での生活を辛いものとして記憶していたではないか。
出ていくことが間違いじゃないとより強く思い込むために、辛い記憶にハイライトを当てて幸せな記憶を薄めてしまっていたのではないか。
自分の性格はわかっている。
そういうことをしてしまっていても別に不思議ではない。
だから、今回の再訪で記憶の隅に押しやられていた幸福だった福岡の記憶、記憶の中の自分が確かに笑っていた場所の人たち、それらがある場所に行って良かったと思う。
彼らは変わらず再会を喜んでくれた。
私は間違いなく笑っていた。
私の幸せだった記憶と、そしてそれを共有する人々は間違いなくそこにあったとわかった。
私は決して不幸でも不幸せでもなく、もちろん笑えない時期だってあったけれどそれでも、それなりに楽しく生きていたのだ。
このタイミングで福岡に行かなかったら、私は自分が都合よいように福岡での生活を辛く苦しいものだと思い込んでいたのかもしれない。
そんなことはなかった。
私はあの土地でも間違いなく、大事な人たちがいて、もしかしたら友人と呼べるほどには濃い繋がりではなかったのかもれないが、それでも私にとっては一緒に笑った記憶を持つ大切な人たちがいたのだと思えた。
私の6年間が陰惨として暗鬱としたものでなくてよかった。
私の6年間が孤独で苦しいだけのものでなくてよかった。
私の6年間が辛いことだけで埋め尽くせるような薄っぺらいものでなくてよかった。
私はあの6年間も笑って、泣いて、そうやってきちんと生きていたのだ。ただそれだけだった。

東京に来てはや2年が経った。
少しずつ、少しずつ、親しい人が出来てきた。
別に親しい人がたくさん欲しいわけではない。
いつかその土地から旅立ったとしても、その先の未来にふらりとその土地に訪れて再会を喜べるような人が少しだけでもいればいい。


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