絶望と希望の井の中の蛙
Vol.2【ワタシノ愛ノセカイ】
選択肢の増大は期待値の増大で満足度の減少となる。
私たちが望む最高は「期待通り」でないといけないから、期待値はいつも完璧を求めるんだ。だから、どんなに結果がよかろうと、選択肢が多ければ多いほど満足度はより少なくなる。
そして、ゆきどまりのない期待値は人生から驚きや感動を奪う。人が人らしく生きられない世界を創造してしまうんだ。
幸せ度は期待値に相関する。
期待値の低さ、つまり、選択肢の少なさは他責できるからだ。
期待値の高さは、結果として経験を不満足にさせる上に、経験のない自分を責める結論を導き出す。ついでに鬱と自殺も増える。
選択肢の多さは富の多さでもある。多きから少なきへの再分配は、少なき社会を幸せにするだけでなく多き社会をも救う。
期待しすぎる満足度の低下は無力感を増大させるからだ。
結局、井の中の蛙は理にかなっていて、井戸在住による想像力の欠如など笑える話なのかもしれない。幸せを求めて、可能性の広がりを希望に井戸から出ると、広がりすぎる可能性に絶望を味わって不幸になる。無力感は絶望だ。
幸せに生きるには誰しもに井戸が必要となる。
結論、隠喩的に壊された井戸は不幸を生み、静かに静かに大厄災を招き世界を滅ぼす。間違いの再生産中、私たちは皆で手を取り合って笑っているから。
笑えない私に欠落しているのは、間違いなく「社会性」なんだ。
井の中での笑えないお茶会は楽しそう。
アルコールアレルギーなもので。
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