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大河ドラマ「光る君へ」第二十話「望みの先に」所感

長徳の変

 ここまで来て、まだ改元していなかったのね。そして、花山院お久しぶりです。
 一条帝、報告を受けて激怒です。とりあえず伊周・隆家を謹慎させ、定子中宮は身内との面会謝絶。
 伊周たちが謹慎以上の厳しい処罰にはならないと思うと言う道長に「(そんなの意味)分からないわ」と言う詮子。私もそう思います。一条帝は道長のいう通り、中宮の身内に情けをかけるつもりだったかもしれませんが、院は皇族です。中の関白藤原家、一条にとって従兄弟とは言え、二人はあくまで臣です。もしこれで、本当に一条が甘い処分で終わらしていれば(この時点ではその可能性も十分あったということですよね)、彼は愚帝で定子は傾国の悪女と呼ばれていたかもしれません。道長は、それでも一条帝を支えていく覚悟があったのかもしれませんが、史実では殆ど口出ししていないらしいですね。一条帝に丸投げしたことで、賢帝を目指す一条帝はこの後の呪詛騒ぎと合わせて、厳しい処分をせざるを得なくなった。そういう意味では、道長は正解だったのかもしれません。

どさくさに紛れて、除目

 直後の除目で、為時パパは無事淡路守に任官されました。おめでとうd( ̄  ̄)。ちょっと思ったのが、あの除目の感じ、関白(今回は内覧)が選んだものだけが帝に提出されて、帝はよっぽど変でなければ「うん」と承認するスタイルってことですよね。これまで兼家と道隆の目にも留まらなかったということか……。
 ところで、同じ除目で越前守にされた源国盛さんは、なかなかキョトンなお人で「申し文は文章博士による代筆」「漢文は苦手」と言い切って、推薦してくれた詮子女院さまさえ呆れさせました。後々、これが元で為時パパに越前守が回ってくるというミラクルが起きるのですもんね。これ、史実の方が本当に謎です。国盛さん、ドラマのようなキョトンではないらしいのです。ただ、道長の手下的立場だったから「ちょっと譲って」と言われて辞退したのだとか。それが証拠に、何ヶ月か後に別の大国の国守になったらしい。ちなみに、一条帝は除目の後で為時が出してきた漢詩(ドラマではまひろが出していた)を読んで為時を国替えしたという話もありますが……。ドラマでは国盛さんのキョトン具合がなんともミラクルを演出していましたし、まひろが書いた漢詩とその字、まひろと道長の関係を鑑みるとこの流れもアリかと思ってしまいます。でも、史実紫式部とまだ関わりのないはずの道長が、為時の任官をここまでアシストするなんて、なぜ?妄想を膨らませるには十分な歴史の謎ですね。

呪詛の真犯人

 あくまでも、今回のドラマ上での話。史実では、伊周たちが単純に呪詛したということだってあり得るのですが、ドラマの中の伊周の様子から、今回呪詛はこの兄弟に関わらぬことかと思います。兼家、道隆ならまだしも、ここでの伊周は策略やウソを使いこなすほどの器量はないという描き方になっている気がします。
 えっと、びっくりしたのは、倫子さま真犯人説ないし共犯説がネット上で大半を占めていること。これがもしそういうことになる脚本だったら、ちょっとついていけなくなるかも。なんていうか、訳わからなくなりそう。
 個人的には「詮子女院単独犯(自作自演)」だと思いました。今回は本編での映像やセリフを根拠として、妄想を爆発させたいと思います。
根拠一:詮子女院さまは、伊周たちの厳罰(政敵の排除)を望んでいた。→国盛さんのシーンの後で、そんな会話が道長との間でありました。
根拠二:呪詛札の出てくる数が多すぎる。→これはただのツッコミかもしれませんが、あんだけ部屋の中のあちこち(床下や飾りの壺の中はともかく、文箱や書物の箱の中)にあったら、倫子が探すまで女院さまも女院付きの女房たちも気付かなかったのはおかしい。
根拠三:「探せ」と言った倫子さまが、屋敷の中でことを収めようとしていた。→倫子さまは、おそらく途中で自作自演に気づいたのだと思います。それを道長にそれとなく伝え、公にならないようにした。これは、道長政権や東三条全体のリスクを考えたのだと思います。万が一、詮子女院の自作自演がバレた時には、道長が政界を追われ、東三条の没落になりかねない。兼家バリの策略をかました(あるいは真似をした)つもりかもしれませんが、詮子女院さまの作戦にはこれだけのリスクがあるのです。少なくとも、確実に女院の仕業ではない、「間違いがない」ことを確認するまでは、公にできない。道長も同じことに気づいて「帝にも言わない」とした。姉上ならやりかねないのよね〜。だから道長は、隠したはずの呪詛が実資の調べとして帝に奏上され「厳罰に」と言った帝を「お待ちください」と止めようとした(できなかったけれど)。
 ただ、この詮子単独犯説、一つ穴があります。実資の奏上です。「目撃者」の証言により「高階(伊周たちのおじいちゃん)が伊周たちに命じられて呪詛(二人分)、家臣がやってはいけない呪詛もプラス」が判明した、と言っていました。倫子さまが収めたはずの呪詛がなぜ実資に伝わったのか。無理やり考えると、「東三条の部屋にあったものは発覚しておらず、高階さんちの呪詛は高階さんの暴走による(かつ伊周に責任を押し付けた)別件」説と「女院さまが事前に目撃者等々仕込んでいて、実資はまんまとそれを掴まされた」説が言なくもないですが。もし、倫子さまの単独犯だった場合には、そう都合よく女院さまが体調を崩すものか……。女院さまのお陰で道長は右大臣内覧にまでなったのですし、道長がこういう策略を嫌うことくらいは分かっているし、リスクも分かっているはず。少なくとも、倫子さま主犯説は私の中でちょっと厳しいところです。共犯説も、ならなぜ屋敷内で収めようとしたのか、そもそも女院さまはそこまで倫子さまを信頼していたかな……と微妙なところです。それに、申し訳ないですが、倫子さまが関わっていたとしたら、計画が少し杜撰(ごめん女院さま)。特に呪いの札出てき過ぎの部分です。史実では床下のみと言われているようです。

最後まで間違っている気がする定子中宮さま

 今回の話だけでも、いくつか間違っているポイントに見えるムーブが。
・間違っているポイントその一、夜こっそり内裏に上がって来たとき「お上が恋しくて」来たと言った舌の根も乾かないうちに「兄と弟の罰を軽くして」と言った。→ことここに至って、逆効果。
・間違っているポイントその二、伊周に物を言ったのは検非違使が入ってきたときだけ。→もっと早よから言ってください。なんだったら、反省の文でも書かせて。
・間違っているムポイント三、衝動的とはいえ、検非違使の刀を奪って振り回し、髪を切る。→もう、良家の子女として皇族としてどうなの?この後出家するしかないって分かってる?出家してしまえば、中宮としての立場は弱くなって兄弟の減刑ももうない。先が見えてなさすぎる。ちなみに、当時の貴族に自害するという概念はないそうですので、首に刀を当てても「死にます!」の合図ではないようです。
・間違っているポイント四、清少納言を下がらせるの、今更?→以前からいじめられていたのに。もう、まひろに断髪を見せたいだけの演出にしか見えない。
 一と三について、私が一条帝だったら心底がっかりすると思います。よくこれで嫌われないものです。ここまでの人生で定子中宮しか愛したことのない帝にとっては、彼女を失うことはさぞ心細かったでしょうに。皇室に嫁いだ以上、実家より帝を大事にする姿勢を見せないと、中宮としていかがなものでしょうか。伊周横暴時代だけならまだしも、罪を犯した兄弟を庇いまくるのは、一番やっちゃいけないやつですし、見せつけのように髪を切るなんて、可哀想→もちろん、一条帝が、ですが。

正妃の断髪事件といえば

 話がすっごく飛びますが、今回のお話の最後、定子中宮が髪を切り落として髪が「パサッ…」とスローで落ちていくシーン、思わず「お前は那拉氏かっ!」とツッコミたくなりました。中国清王朝の乾隆帝継皇后那拉氏(ウラナラ氏またはホイファナラ氏)です。中国の歴史ドラマ、私の見ているだけですが「如懿伝(如懿)」や「瓔珞(淑慎)」、「宮廷の諍い女(青櫻としてチラッと)」にも出てきます。乾隆帝の最初の皇后が亡くなった後、継室として皇后に上がったのですが、ある日突然謹慎させられ、そのまま亡くなります。廃后されてはいませんでしたが、その後の葬儀は皇貴妃の格式で。息子も嫡子であったはずなのに、帝位を継ぐどころか爵位さえ与えられませんでした(死んでから弟の世になって追贈)。謹慎の理由は「皇帝の前で髪を切った」からだとか。当時、清朝のしきたりでは、夫か親が死んだ時のみ、髪を切るのだとか。乾隆帝も、その母親の皇太后も生きていたことのき、髪を切るというのは皇帝たちへの呪詛も同じと見なされる行為。那拉皇后としては、南巡の最中、身分の低い女性との享楽を嗜めるためだったとか、自分が生きているのに(皇后が亡くなった場合の代理や貴妃が死ぬ直前のご褒美代わりである)皇貴妃を(元気な令貴妃を以て)立てようとしたことへの抗議だったとか、色々説はありますが。
 乾隆帝継皇后は定子中宮さまより700年くらいかな、後の世の人ですが、今回の演出はほんとそっくりでした。

その他

・除目の翌日、(再考してくれ)の申し文の多さにうんざりする道長の顔よ。
・国盛さんのキョトン具合が判明した後の詮子女院さまと道長の相変わらずフランクすぎる会話。女院さまが、道長の前だけでは素直な自分でいられる感がとってもいい。
・為時パパには、道長との過去の恋愛は知られたけれど、今回の漢詩申し文(除目の後の)はバレなかったのね。
・とにかく、定子中宮や伊周たちと幼い頃兄弟同然に育ったはずの一条帝が、
・詮子女院さま、兼家から「人を見る目」は受け継がなかったのかな、ねぇ国盛。
・貴子ママ、息子可愛いのはまだしも、口添えを頼む人選が藤原斉信っていうのが間違いよ。
・タイトル「望みの先に」がちょっと解釈しきれなかった。誰のなんの望み?除目のこと?

長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。

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