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大河ドラマ「光る君へ」第二話「めぐりあい」所感

始まり

 前回ほどの派手さも「源氏物語」アピールもあまりない感じでしたが、このドラマがちゃんと始まった、といった感じがしました。
 ネタバレアラートです。「光る君へ」と、やっぱり「チャングム」のネタバレがあります。そして、毎度ですが、あくまで私の所感ですのであしからず。

穏やかな三郎くん基、道長くんとイケおじ宣孝さん、そしてひどいではないですか、円融天皇陛下

 兄二人とえらく気質の違った感じの三男道長くんですね。彼だけ「姉」がいるからでしょうか。幼馴染の友達でこんな人いたらいいなぁ。怒るのが嫌い、愚痴っても「それは気の毒であったな」と言ってくれる。お姉ちゃんとのやりとりもなんか可愛らしい。こんなお兄ちゃん欲しい、とも思います。そして、柄本さん(やまと尼寺精進日記のナレーションされてますね)がとても穏やかに素敵に演じていらして、この人が歴史に伝えられているような道長になっていくのかしらんと首をかしげたくなるほど。一昨年の大河の小栗さんように、一人の俳優さんが大変身されるのでしょうか。楽しみです。
 宣孝さんもよき、ですね。史実でも常識にとらわれない人だったらしいですが、それだけでなく、ちゃんと抑えるべきところは押さえて、世の中渡っていけるって感じで頼りになります。まひろが可愛げのないことを言っても、笑い飛ばしてくれる。紫式部さん、私でも旦那はこっちがいいです。
 それにしても円融陛下、ちょっとひどくないですか?兼家の娘というだけで詮子女御にあんな物言いするなんて。彼女を味方につける方法もあるでしょうに。本当に遵子中宮も愛しているのかしら?いや、中宮さまも可愛かったですよ。でも梅壺の詮子女御さまにももう少し優しくしてあげてもいいじゃない。ちゃんと本音を言ってみればいいのに。

平安のまどろっこしいイメージが

 このドラマ、やけにものをはっきり言うな、と思いました。あ、円融陛下は今回別でしたが。兼家さんが我が子たちに色々と指示を出す時には、その意図をはっきり伝える。実資も花山天皇も、本音明かしまくり。為時パパも、「六年前と言えばワシが怖気付くと思っておるな!」などと、今時のドラマでもなかなか本人に対して言わない気がするのですが。はっきり言わないこともありますが、意外でした。平安時代のドラマのイメージは、まどろっこしくて婉曲表現ばかりかと思っていましたが、いい意味で覆されました。

またしてもチャングム的まひろ

 まひろの代筆業、いいですね。昔読んだ本に現代の代筆業のお話がありましたが、なんだったかな‥‥ちょっと本棚を探してみないと。この代筆業で、物語の基礎となる「誰かの気持ちになって書く」ことを養ったという設定なのでしょうが、ここでもまたチャングム的演出を発見してしまいました。偶然かもしれません、きっと偶然ですよ。脚本の大石先生が意識してやっているとは思えませんよ、でも、似てるんです!
 今回、字の書けない細工師さんの歌を代筆してあげて、ニ回「やり直し」してましたよね。二回目の和歌は「源氏物語」に登場するものですが、んなこたみんな言ってます。そして「何かをあげる時には、相手の話をよく聞いて対処する」ということを学んでいました。これ、チャングムにも出てきます!チャングムの師匠、ハン尚宮はチャングムに「水をちょうだい」といいますが、チャングムが何度水を持ってきてもやり直させます。最終的に「水を飲む人の体調や環境をよく聞いて、その時に合った水(温度や混ぜ物)をあげなさい」「よく話を聞くこと。相手の立場で考えて料理を作ること」を教えます。そして、最後にはチャングムの持ってきたお水を飲んでくれるんです。ほらぁ、似てるでしょ?

私が私でいられる、虚構

 後に「物語」という虚構の世界を創ることで名を成していく紫式部に、このセリフを言わせるのは、なかなかすごいな、と思いました。誰かになりきって、つまりまひろにとって虚構の世界で歌を詠む代筆業。そこでは、現実を忘れて本当の自分でいられる。哲学的です。後に宮中でも、学がある自分のキャラクターを誤魔化していたと伝えられる紫式部。物語や日記の世界でだけ、柵を解いて自分でいられたのかも。これ、もしかしたら現代の作家やドラマを作る人たち、歌手や俳優さんたちの真実でもあるのかもしれません。

私の深読みしすぎかもしれませんが

 気になった演出が二つ。一つは、何度すれ違ってもまた「めぐりあい」を重ねるまひろと道長。平成の月9ドラマみたいです。ただ、その度に道長がよくない目に遭っている気もします。これ、最終的にどこかで道長がブチ切れる!なんてこと‥ないといいけど。
 もう一つ。深読みしすぎかもしれませんが、散楽やってた人の中に、貴族が混じっているという設定でしょうか。政治の上の方にいる人たちのことを芝居や書き物で風刺するというのはよくあることですが、前回も今回も、あまりに内情を知りすぎていませんかね?後宮の帝がどの妃を寵愛しているかなんて、当時の庶民には知る由もないこと。それに、「アキの女御」が「弟よ〜!」って道長に迫っていくところも、庶民の格好している道長に気づくくらい、貴族たちの顔を知っている=あの散楽の役者も貴族、という可能性はないでしょうか。そして、道長の後ろに映っていた牛車。当時貴族の乗り物であったはずの牛車、別のシーンでは牛が単独で映っていました。実は一話でもチラッと。いや、牛車から毎回見に来ている貴族のファンがいるだけかもしれませんが。深読みしすぎでしょうか。

第二回にして

 第二回にして、一気に楽しめるドラマとなっています。みなさんはいかがご覧になりましたでしょうか。
 長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。

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