友情

 規則正しく並べられた本の隙間から、由美がこちらを見てふっと笑った。僕は照れくさくなって、読みたくもない小説に手を伸ばした。なんとなく拾ってきたその表紙を開き、数ページ読み進めたところで、重たそうに本を抱えた彼女が戻ってきた。窓から差し込む光が、華奢な腕についたわずかな筋肉を浮き彫りにする。
――このシーン、懐かしいな。
今度は僕が笑ってしまった。彼女は静かに僕の隣に座ると、本の山から1冊手に取り、ページをめくり始めた。僕は瞼を閉じて彼女に気づかれないように静かに深呼吸をした。

「さっき、笑っていたでしょ」
帰りの電車で、由美が僕に話しかける。
「え」
「私が本を持って戻ってきたとき。必死な私を見ておかしくなったんでしょ」
僕は指摘されて初めて、あの笑いを見られていたことに気づいた。
「ああ、違うよ。懐かしくて」
「どういうこと」
「図書館、10年ぶりくらいだなって」
「10年は言い過ぎじゃない」
「確かに」
僕はそう言いながら、また笑いそうになった。
「私はそんなに行かなかった」
「友だちがいたからね」
「友だちと」
「そう、ミモザ君とね」
そう言ったとき、胸のつかえが取れたような気がした。彼のことを口にしたのは本当に久しぶりだった。

 ミモザ君が転校してきたのは、小学6年生の頃。冬休み明けのことだ。もうすぐ卒業というタイミングでやってきた新しいクラスメイトに、僕はとても驚いた。驚いた理由はほかにもあった。彼は本当にきれいな顔をしていたのだ。透き通るような白い肌に、すっと通った鼻筋。おまけに手足がとても長く、細かった。「転校生」というフィルターを差し引いても、彼はまさしく特別な男の子だった。初日からミモザ君の周りにはたくさんの子供たちが集まっていた。しかし、日に日に彼に近づく者は減っていった。彼は、かっこよすぎたのだ。決定打となったのは、バレンタインデーだった。チョコレートをこぞって運んでくる女子たちに、彼は「ありがとう。でもこれは受け取れないよ。本命はもっと大事にしないと」と言い放った。女子たちは驚愕し、男子たちは「調子に乗るな」と嘲笑った。その日からクラスに「かっこいい転校生」はいなくなり、代わりに「ちょっと変なよそ者」が存在するようになった。

 3月。明らかに対応が変わっていく周りに反して、当の本人は転校初日のままだった。僕も彼が来た日から、付かず離れずの距離を保っていた。でも、僕たちには秘密があった。僕らは毎週土曜日の14時、近所の図書館で同じテーブルに座っていたのだ。
 
 ミモザ君と図書館で初めて会ったのは、1月末のことだった。暇つぶしに行った近所の図書館に、ミモザ君が颯爽と現れたのだ。数メートル先に彼がいたときから、僕はそこに彼がいるとわかっていた。しかし、特別な転校生に声をかける勇気が出せず、目の前の活字に夢中になっているふりをした。次に目線を上げたときには、彼は僕の斜め前に立ち、ふっと微笑みかけていた。僕はとても恥ずかしくなって、今度は騒いではいけないルールを守っていることにして、自分自身を正当化した。彼もそれに応えるように、静かにそこに腰を下ろし、本の山から1冊手に取り読み始めた。
――こんな細い腕でこんなに持ってきたんだ。
僕はなぜか感心して、また手元の活字に視線を戻した。急にそんなことを考える自分がおかしくなって、本を読みながら笑ってしまった。
たまたま行った日に見かけたから、次の週も同じ時間に行ってみた。そうしたらまた来たから、それから毎週行くようになった。

「で、なんでミモザ君なの」
電車を降り、僕の家に向かう道の途中で由美が僕を現実に引き戻した。
「ああ、3月入ってすぐだったかなあ。クラスの女子たちにミモザの花を配ったんだよ。それでみんな気持ち悪がってさ。子供って残酷だよな」
「なんで気持ち悪がったの」
「たまたま女子がさ、花言葉辞典みたいな本を持っていて。ミモザの花言葉を調べたんだよ。そしたら『秘密の恋』って出てきたわけ。女子って好きじゃん、そういうの」
「……」
急に由美が黙ったので、僕は慌てて間をつなごうとした。
「あいつ俺にも渡してきたんだよ。しかも女子に渡したやつよりおっきい花束。気持ち悪くなって、それから図書館行かなくなったんだよな」
「男子から好かれたからってこと」
「正直それもある。でも、それより友だちと思っていたのに好意を持たれていることが受け入れられなかったのかも。まだ好きとか、わかんない年頃じゃん」
ミモザ君は卒業後、別の中学校へ行ってしまった。何度か同窓会もしたけれど、ミモザ君に声がかかることはなかったし、彼の話は一度も出たことがない。たった数カ月過ごしただけだ。無理もないだろう。
「それさ、違うんじゃない」
あとアパートまで数メートルというところで、由美が足を止める。
「ミモザの花言葉」
彼女に差し出されたスマホの画面を見て、僕は息を飲んだ。


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