喀血

残業をして帰路に就く頃、タイミングを見計らうように雨が降り出した。

車道から自宅のマンションが見えて来た頃、突然みぞおち辺りがムズムズ痒くなり何度か連続して小さく咳き込んだ。

ごく普通の、よくある、『ちょっと咳き込んだ』ただそれだけのこと、コロナが流行っているから確かにどうしたって敏感にはなるがどうせすぐにおさまるだろうと気にも留めなかった。

家に一旦寄り着替えたら夕飯はいつもの回転寿司に食べに行く予定だった。車を路肩に停め自宅へと歩き出したが咳はまだ続く、むしろ次第に酷くなった。ゴホゴホと決して大きな咳ではなく、むせてつっかえるようなケホケホの連続にたまらず唾の塊を吐いた。この時、なぜそれを見ようと思ったのかはわからないが、当たり前のように手のひらでそれを受け止めた。


… ?


吐き出したそれに夜道の薄暗がりでも察しがつくほど違和感を覚え頭が混乱した。透明もしくは白っぽい唾液を眼にする予定だったはずの脳ミソがそこに赤いドロッとした生温かい液体をみつけ混乱した。真っ赤な液体に頭は真っ白になった。

「… 何かの間違いだよなぁ?」そんな期待をあっさり裏切り吐き出す血の量は増えた。駐車場から家までの短い距離を歩く度、マンションの階段を昇る度、まるで真っ赤な目印でもつけるように喀血していく。なるべく水たまりや排水溝に吐いた。あまり人には見せたくなかった、どうせ雨が降っているから流されてしまうだろう、そんなことを頭の片隅で考えながら『何があっても家に着くまでは倒れるわけにはいかない!』それだけは強い意志で思った。

家に着き玄関を開けて洗面所に直行した。蛇口から水は流したまま、何度もくちを濯ぎ、何度も血を吐き出し、また何度も濯いだ。顔を上げ鏡を見て唖然とした。


『これ、ほんとに自分か… 』



くちからだけではなく両鼻からどろっと濃い色をした血が垂れ出している。

まるで特撮映画のメイクか何かみたいな、そんな惨劇な自分がそこに居る。

いつもと同じ帰り道、いつもと同じ我が家、何もかもがいつもと同じはずだったのに自分だけがいつもとは違う。

脳も心もその現実にまだ追いつけてなかった。


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2020年9月6日、帰宅直前に突然咳き込んだと思ったら喀血(5分程でおさまる)。日曜の夜だったので救急のメディカルセンターにて採血と胸部レントゲンを撮る。血液に異常は無しだが肺に何か変な影があると伝えられる。

9月7日、総合病院にて事情を伝えてCTスキャン。看護士さんがやりとりする度に防護服になり個室に隔離され感染症の疑いがあることを説明される。結核の血痰検査、コロナPCR検査を受ける。

9月8日、病院より検査結果の連絡。コロナは陰性だが結核の陽性反応との事。翌日から強制的に入院開始の予定だったが同夜にまた喀血し救急車にて搬送。

現在、隔離病棟にて治療中。

















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