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全集に無い内田百閒の座談会をよむ。(鎌倉文庫「社会」編)

 人もすなる遠隔複写といふものを、我もしてみむとてするなり。
 皆さまはご経験されたことがあるでしょうか、国立国会図書館の遠隔複写。私は無かったんです。いや知識としてそういうのがあることは知っていたし(活用したことない司書資格持ち)、いつか必要になったら頼むんだ〜と思っていたら、うん十年くらいぜんぜんその機会がなかった。だって推し、夏目漱石だから…。大抵のことは鬼のようにある関連本のどっかには載ってるから…。全集未収録とか見つかったらニュースになるレベルだから…。

 全集が「全集」としてほとんど漏れなく収録されている作家が好きだと、掲載雑誌などに当たらなくても大体のものは読めるんですよね。

 百閒先生も平山三郎氏がかなりしっかり集めてくれているので、まあ用意された本を読んでるだけで大丈夫っしょ〜〜と油断してたら、座談会とか対談は結構、本に収録されてないものがあった。これが前回までのあらすじです(第一回:お船編/ 第二回:飛行機編)。

日記に載ってるのに掲載がわからない対談

 内田百閒『百鬼園戦後日記』(中公文庫・等)の昭和21年11月26日の項に、鎌倉文庫(出版社名)社会(雑誌名)の編集者がやってきて座談会への参加を依頼、百閒先生が承諾したと記してあります。

 同月28日には築地の芳蘭亭で座談会をし、久米正雄、宮川曼魚、久保田万太郎、小絲源太郎と語り合ったことや、終会後に久米正雄に連れられてバアをハシゴしたこと、そこには大佛次郎や横山隆一がいたことも書き残されている。 
 でも、この座談会が百閒先生の本には載ってないんですよ……。

 というかネットで検索しても情報が出てこない(私が下手なだけかもしれない)。内田百閒と久米正雄が参加している対談は他に「薬剤金融椿論」(『百鬼園座談』収録)がありますが、それとは他のメンバーが違う。

 ええ〜読みたいな〜でもそもそも存在しとるんか…?うっかり紙面の都合で没になってたりしない…?だって誰もこの座談会の話してないよ…?(してるかもしれない)

 と、気になりつつ、国立国会図書館の遠隔複写サービスも頭の隅にチラつきつつも、長らくそのまま置いておいたんですね。だってどこに載ってるかわかんないし…。

記事掲載箇所調査サービスという神

 そんなあなたには、そう!記事掲載箇所をこちらで調査するサービスがありますよ!……と、国立国会図書館の人が言ったわけでもないのですが、そんな感じに私の目にヒュンッと飛び込んできたわけですね。ええ〜でも面倒くさいんでしょう…??

実際に送った依頼のスクショ

 いやめちゃくちゃ簡単だったわ。すんごい便利にシステム化されてたわ。
 鎌倉文庫「社会」は雑誌記事索引には一部の号しか載っておらず、マイクロフィルムに収録されている該当らしき号の、どこを見たらいいのかはネットではわからなかったんですよ。でもそれを調べてもらうための申し込み、ログインして当該資料(この場合は雑誌「社会」全体)のページにある調査サービスのボタンを押して、自分の知ってる情報を書いて依頼するだけでした。べ、便利〜〜ッッ。

 調査依頼っても、よくわからんトップページとかにあるメールフォームとかから、書誌情報コピっていろいろ説明書き込んでって感じでしょ〜??と舐めくさっていた予想とは全く違う文明の利器でした…すごい…。

最適化されたシステムの快さよ

 そして休館日挟んで2日後にお返事が来た。も、餅は餅屋〜〜!!

 本当に掲載されているのかすら危ぶんでいた座談会ですが、しっかりと載ってました。しかもこの「遠隔複写」のボタン押すだけでカートに入って申し込み出来るんですよ。なんてスムーズなんだ……。

 まあ情報がここまであるのなら、後は3号分くらいの目次を確かめればわかるはずってのはそれはそうなんですが、それが簡単にできないのが地方在住の人間なので…助かりました…感謝。

というわけで、届きました。

不鮮明とありますが、一部怪しいながらも全文読めました。

 鎌倉文庫「社会」1947年3月刊 p33〜40 掲載、座談会「世間人情今昔ばなし」(奥付複写忘れて3月号でいいのかいまいち不明ですが 、2(3)とあるから2巻3号…?)。目次では「世間人情今昔噺」になっていたそうです。

 終戦から2年、まだ戦後復興も万全ではない(なんなら百閒先生は三畳の掘建て小屋に住んでいる)ものの、少しずつ暮らしに落ち着きが出てきた中で、百円の価値も昔とは全く違う、街行く人間の顔つきも戦前とは違う気がする…なんて世相の移り変わりの話を、時にはしんみりと、時にはお色気話を交えて、賑やかに語る会でした。

 この色気話ってのが面白くて、再三そっちの方面に話を持っていこうとしているんですよ。でもみなさんお年を召して来ているから…あと終戦後でいろいろお疲れだから…何回も「お色気話をしよう」って言ってるのに結局食べ物の話になってしまう。

 昔と今では百円の価値が違う、いつも百円札を持っていられるなんて金持ちになったもんだと、百閒先生が出隆と語ったという話。鈴木三重吉さんは某新聞を貧相で嫌だと言っていた、百円を大金だと書いているから…と話す百閒先生。自分が若い頃は、老人が雛妓(おしゃく)を連れて歩いていると反発していた、でもあれは年寄りのいたいけな気持ちだったんだと語る久保田万太郎。それに答えた久米正雄の「あれがたつた一つの新時代とのつながりだつたんだ。年寄は若い時代に憧憬れてをるんだ。十五、六のダンサーを口説くわけに行かんし……」というなんだか切ない実感の話。他にも貧乏話といえばと話題を振られる百閒先生や、新漢字新仮名遣いへの反発などなど、いや、これ面白いですね…読みどころがたくさんある。

 前回まで発掘してきた座談や対談は、あくまで百閒先生が専門家の話を聞いて引き出すための回という感じで物足りなさがあったんですが、これは百閒先生の座談本に収録されててもいいんじゃないですか?!という読み応えでした。終戦からまだ2年しか経っていない状態での、若い世代や新しい社会への、ちょっと遠巻きな視線が出ていて面白いです。

 みなさん楽しそうに話していて、この後に(少なくとも久米正雄と百閒先生は)バアをハシゴしたのか〜この勢いで乗り出した二次会だったんだろうなあ……と、日記の記述も思い出してほっこりしました。

いろいろ探してきたけれど。

 全集等に入っていない座談会や対談と一口に言っても、読む方法はいろいろあるものですね。他の参加者の本に載ってたり、掲載新聞の縮刷版にあったり、デジタルコレクション館内送信で読めたり、マイクロフィルム遠隔複写をお願いしたり……。いろいろな方法を試すことができて楽しかったです。

 でも、まだどこかに私の知らない百閒先生の新規供給(私にとって)があるかもしれない……また何かしら見つけたら、わあわあ言いながら記録しておきたいと思います。ググった時に、このページが情報探しの手がかりになれば幸いです。私が検索した時ぜんぜん情報無かったからな!!(繰り返しますが私の検索が下手なだけかもしれません)

 じっくりと時間をかけつつ、こういうこともやっています。