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岡山で内田百閒展を見てきましたレポ(7/18)

 祝!吉備路文学館&内田百閒展再開!!

 展示予定を小耳に挟んで以来、わくわくと待ちかねていた岡山・吉備路文学館さんでの内田百閒展。私は初日に行って展示とオープニング講演会を堪能していたのですが、その後新型コロナウィルス感染症の拡大により、緊急事態宣言発令、それに伴って文学館もお休みになってしまっていました。

 しかしなんとか期間内に再開!(岡山はまん延防止等重点措置に移行)まだ間に合う!!ということで、少しでも気になる方へのお知らせとなればと思い、備忘録的に展示のレポを残しておきます。

※以下は展示の第1期にあたる、2021年7月18日時点のレポートです。再開後の展示内容とは異なる部分が多いと思われます。参考程度にどうぞ…。

メイン展示・百閒著作本

 メイン展示のガラスケースには、百閒の全著作本が並んでいました。壁面をほとんど埋める、圧巻の全49冊(編纂本を除く)。随筆が売れて人気作家となった百閒先生は、最低でも年に一冊(多い時は二、三冊)本を出していたそうで。時系列順にそれを見て行きつつ、壁面にはそれぞれの本が出た時期の百閒の年譜的なエピソードが写真と共に紹介されていました。

 しかし百閒先生、ほんとうに要素が多い…。鉄板の借金ネタから漱石への師事、琴(桑原会の立ち上げ)や学生飛行の監督役をした話、日本郵船嘱託に空襲で焼き出され、忘れちゃいけない阿房列車にノラとクルツ…と、百閒先生の人生がぎっしりと紹介されてボリュームたっぷり。お写真もいろいろありました。ぐるり辿れる内田百閒の人生…。

 展示された本のそばには色鮮やかな短冊が並んでいて、その本について言及した同時代人の推薦文や批評が書かれていました。講演会の後のギャラリートークで仰っていたのですが、今回の展示は紙類が多くてどうしても白っぽくなってしまう…ということで、差し色のように短冊を入れてみたそうです。

第1期展示・文章への道 漱石との出会い

 中央のガラスケースは展示替えのある部分(当時)で、私が行った第1期は↑のテーマ。内田百閒「前掛けと漱石先生」の直筆原稿が全文展示されていました。なんと初公開!だったそうで、後で知ってびっくり。

 朝イチで行ったので、ちょうど他に人がいない時間帯があり、ここぞとばかりにしゃがみ込んで、ガラスケースの側面からじっっっくり筆跡を確かめました…万年筆のインク溜まりの跡って、いいですよね…。室内の照明色との関係で確信は出来なかったんですが、多分ブルーブラックかな…(照明の具合でセピアっぽくも見えた)(目を細めて真の色を想像した)。ハア…推しが推しについて書いた好きな作品の全文が生で…目の前に…(※漱石と百閒が好きなオタクです)。

 中央ガラスケースには他に「文章道の恩人」というコーナーもあって、その「恩人」とは「漱石と芥川」のこと。百閒が芥川全集に寄せた推薦文の題が「私の文章道の恩人」で、パネルで全文紹介されていました。それが読める『私の「漱石」と「龍之介」』も、単行本・文庫共に展示。

 ちくま文庫の内田百閒『私の「漱石」と龍之介』には、先述の「前掛けと漱石先生」も収録されています。漱石、芥川龍之介について百閒先生が書いた随筆を集めた一冊です。オススメ。

オープニング講演会

 初日ということで、岡山県郷土文化財団主任研究員・万城あき先生によるオープニング講演会がありました。

 展示内容の紹介も兼ねての、百閒先生の人生をざっとおさらいしながらのお話で、いやあ本当に要素が多いですよね…となる内容密度を駆け抜けました。

 以下は興味深かった点などの、私の記憶によるメモです。ノートに書き取りはしましたが、記憶違いや私の勝手な解釈が混じっている可能性もありますのでご留意下さい。

 なるほどと思ったのは、百閒先生はいろんな面を持っている人で、頑固に客を拒んだり、かと思えば愛情を注いだりでよくわからないと言われたりするが、それは「知らない人は苦手、知っている人はめちゃくちゃ大事にする」性格からそう思われがちなだけ、というところ。「知らない猫はいらないが、知っているノラは愛する」。百閒先生は弟子のような教え子たちに慕われていましたが、懐に抱え込んだ相手はとにかく大事にするところがあったからかなぁ、と思ったり。

 百閒先生は結果的に一人っ子になった後継ぎで、周りの大人にとにかく大事にされて育った。好きなものにのめりこんで、それを大事にする性質の根本には、幼い頃から家族の愛情を受けてきたことが関係しているのではないかという解釈があって、それはとても素敵だな…と感じ入りました。好きなものを好きな百閒先生が好きです…。

 百閒は「自分の気持ちに嘘をつかない作家」で、同時に「書くことで自分の気持ちを消化する作家」というお話も。

 その他、これは講演会後のギャラリートークでのお話でしたが、『ノラや』について、よくペットロスの文脈で紹介されるけれど、百閒はノラがいなくなったことが悲しくて泣くのではなく、いなくなったノラの身を思って泣いている。よその家に上げられたとしても、自分(百閒)ほど可愛がってはやらないだろう。そう思うとノラが可哀想で泣いてしまう…と。もちろんいなくなって悲しい気持ちもありますが、そういう思いがメインなのだと。なるほど…。

まとめ・内田百閒はいいぞ!

 とにかく「百閒作品を読んでほしい!」という熱意の伝わる展示で、本の中身がわかるよう抜粋をパネルにしたり、ロビーの売店コーナーにできる限り現在でも買える新刊書を置いたり…とのことでした。

 百閒先生は定期的にブームが来たり、固定ファンが昔から一定数いる印象なんですが、おかげで近代の著作権が切れていない(ほんとは今年没後50年で切れるはずが、TPPで延長になった)作家の中では新刊書店で購入できる現行流通本が多い方だと思います。ここ数年でまたいろいろ本が出ましたし、中公文庫の編纂本シリーズは電子書籍もあるし。

 つい先日もこんなフェアのツイートを見かけて、いいなぁあ〜!となったところです。いやほぼ持ってるんですが。(持ってても特集されてたら見たいし嬉しい!)

 それに古本の流通も多い方で、旺文社文庫の百閒本なんかは刊行された単行本そのままのラインナップですべて出ているし…全集にあたらなくてもほとんどの作品が「文庫で」読める、なかなか稀有な作家だと思います。

 というわけで、JR岡山駅から徒歩圏内!吉備路文学館にて9月14日(火)から再開〜9月26日(日)まで開かれる予定の内田百閒展をどうぞよろしくお願いします!!(※このアカウントは吉備路文学館さんとは何の関係もないただの個人です)