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おせっかい、焼いてる?

昔は全く気にならなかったのに、最近やたらと親や祖母の体調が気がかりだ。
年齢を重ねたというのもあるし、身近な人の親が介護のお年頃というのもあって、敏感になっているのかもしれない。
同僚の一人はとても「いい子」で、介護が必要な親の元へ毎週末通い、洗濯や掃除、病院の付き添いまでこなしている。
私と同じ時間働いてなお週末は介護なんて、本当に凄くて尊敬する。

私の親はこれまで特に大きな病気もせず、わりと健康に暮らしてきたように思う。
しかし最近は口内環境があまりよくないらしく、歯医者へ通っているというのを聞いてからというもの、私は無性に心配になり通院するたび進捗を聞くようになった。
口内環境というのは侮れず、歯周病菌が大腸がんリスクを上げるなどほかの病気を誘発することがあるらしい。
それもあって、早くなんとかしなければと1人焦っている。

人間とは不思議なもので、これまで目にしていたものでも興味ないものは見えておらず、興味が出てくると見えるようになることがある。
先日まさにその現象が起き、いつも乗る電車の広告に「線虫がん検査」という文字が急に見えた。
仲間由紀恵さんがにっこりと微笑んでいる広告が、それまで気にも留めなかったのにある日急に見えるようになったのだ。

線虫がん検査は費用が15,000円~と手ごろで、検査方法も尿検査のみとお手軽、さらに15種類のがんを早期発見できるという。
九州大学が研究していたもので、2020年から実用化されたらしい。
私は嬉しくなって、後日家族ラインでリンクを送り、年に一度家族で受けようともちかけた。
こういう話は結構むずかしく、病気のリスクを延々と語って検査を促そうとしても、本人は余計怖くなって受けないものである。
「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」ではないが、みんなで受ければ多少恐怖も遠ざかるのではと自分なりに配慮した。まさにお節介である。

こういった他人へのお節介の範囲は、時代とともに狭くなってきている気がする。
少なくとも私が幼い頃は近所のおじさんが説教してくれたりしたものだが、最近は他人への介入がトラブルになり逆恨みも珍しくない。
ゆえにお節介が減っているのは仕方ないところはあるが、家族に対してはお節介を焼き続けていきたいと思う。
特に病気系に関しては、本人が「いや」と言っても無理やり連れて行くくらいの覚悟でいかなければだめだ。放っておいても行かない人は極限状態までならないと行かない。
それを黙って見ているなんてもどかしいことは私にはできないので、空気が悪くなっても、多少仲が悪くなっても、病院へ連行すべきだと思う。死ぬことに比べればいずれも大した問題ではないじゃないか。臆せず進めよ、自分!

私は人生で後悔したくないので、自分の問題だけじゃなく大切な人の問題も解決したい。それは周りが幸せでいてこそ自分の幸せがある、という確固とした事実を知っているからである。
お節介の範囲を広げ大切な人を幸せにできた人ほど、自らも幸せになれるのは言うまでもない。


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