加藤正一郎視聴覚委員長【短編】

《上》1,691字

 永遠にも感じられる沈黙――。

 彼を見つめるおよそ千のまなこ煌々こうこうたる体育館の中で黒く鈍い輝きを放つ。今の彼にとってこれらは銃口に等しい。

 千の銃口を突きつけられ身動きが取れないでいるのは、加藤正一郎かとうせいいちろう17歳。樺澤かばざわ第一高校の2年生であり、視聴覚しちょうかく委員長である。

*****

 加藤正一郎はいわゆるコミュ障である。決して話すのが嫌いなわけではない。しかし、人の心の機微きびを読み取るのが苦手でどうしても一方的になってしまう。

 入学初日、高校デビューをもくろんだ加藤青年は、初めに話しかけてきた前の席の女子にお得意のマシンガントークをさく裂。気合いが入っている分、いつものそれよりも酷かったという。女子にドン引かれ、それに懲りた彼はクラスメイトと一定の距離を置くようになった。

 1日中一言も話さないこともザラであった。とは言え、県内有数の進学校。加藤青年の他にも変わり者は多く、変に目立つこともなかった。ゆえにいじめられることもない。快もないが不快もない学校生活をそれなりに過ごしていたのである。

 2年に進級してからも変わらずであった。彼は視聴覚委員会に入った。図書委員会や体育委員会のような面倒な委員会に入れられてしまうよりは、と自ら立候補したのである。

 視聴覚委員の活動が形骸化しているのは去年1年間の学校生活で知っていた。視聴覚委員会に入ったとはいえ、定期の集まりを彼はいつもサボっていた。自分が出なくても何も変わらないと考えていたからである。しかし、それがいけなかった。

 委員会も部活動も3年生が引退する2学期。次の委員長を選出する会議も彼は欠席していた。もとよりあってもなくてもいい委員会である。各委員たちも顧問も適当。ただ、2年の生徒たちは自分が委員長になるのだけは嫌だと判断。そこで一度も顔を見せない加藤正一郎を新視聴覚委員長に推薦&任命したのである。加藤青年が帰宅部だったのも大きい。

 こうして加藤青年は活動が形骸化して久しい視聴覚委員会の長になった。彼がそのことを知るのは各新委員長の名が記された学校だよりのペラ紙を目にした時である。

 初め、彼は楽観的に考えていた。委員長になったところでやることがないのは変わらない。ただ、委員長がサボるわけにはいかないと考え定期の集まりは顔を出すことにした。

 加藤青年が委員長になって初めての定例会議。2年生と1年生。1年生はこの学校における視聴覚委員会が意味のない存在であることをまだ知らないのかもしれない。いや、定期の集まりでうすうす気づいているはずだ。出席率を見れば分かる。本来ならば1年6クラス、2年6クラスからそれぞれ1人ずつ、計12人の委員たちがいないといけない。しかし、集まっているのは自分を含めて8人。

 この日は引継ぎもなにもなく委員長になったので、顧問から促されて各々自己紹介して終わった。集まりの後、顧問からほぼ白紙の1年の活動の予定表を手渡される。そして翌週、全体の集会で挨拶があると言われた。

 そうだ。それがあった。しかし、来週は挨拶するだけ。顔見せみたいなものだ。緊張するだろうが決まったことだけを言えばいい。問題ない。問題は……。

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「し、視聴覚委員長になりました。2年4組加藤正一郎です。よろしくお願いします」この日初めての発声だったため少しつっかえてしまったが問題ない。他の委員長と同じように挨拶をした。

 問題は、年度末。1年の活動報告を今日と同じように全校生徒の前でしなければいけない。そして質疑応答がある。前回、視聴覚委員長は活動内容の薄さ、存在意義、その他諸々を突っ込まれていた。何なら仕事量の多い図書委員長や体育委員長よりも多くの質問を貰っていたかもしれない。そのやり玉に挙げられるのが……次は自分。

 前回、つまり1年の時の経験で、視聴覚委員会に入るということはこのリスクが伴うということを知っていたはずなのに。自分が視聴覚委員長になるなんて微塵も想定していなかった結果がコレである。

 加藤青年、もとい、加藤正一郎視聴覚委員長は次回の全体総会で自身の体裁ていさいをなすため、追求から逃れるためだけに視聴覚委員会の活動に力を入れていくことになる。

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《中》1,573字

【前回までの振り返り】
思いもよらず視聴覚委員長に就任してしまった加藤正一郎は、3学期の学校総会での追求を避けるため、視聴覚委員の活動に力を入れていくことを決意する。

 加藤正一郎かとうせいいちろう視聴覚委員長はまず、現状の確認をすることにした。初回の定例会議で顧問の老教師から預かった活動予定表がある。

 加藤は目を通して驚愕きょうがくした。前期の活動報告として「集会での視聴覚機器の準備・点検等」とだけある。集会というのは週1回毎週行われている全校生徒、教師が集まる会のことである。これだけ見ると視聴覚委員は機能しているように思えるかもしれない。しかし、これは偽りの報告書である。

 そもそも、視聴覚委員というのはマイクやスピーカーなどのセッティングや管理が面倒だった時代に設けられた委員会である。当時はなくてはならない部門だったのだろう。

 しかし現在。ボタン1つで何とでもなる時代。毎回のマイクやスピーカーの準備で生徒が何かしている様子は見られない。つまり、視聴覚委員は全く機能していない。前期の活動報告がこれだけということは、前期視聴覚委員は何もしなかったということになる。加藤が青ざめたのも無理はない。

 そして後期。後期の欄にも同上を意味する波線が引かれているだけ。つまり、このままいけば加藤は、視聴覚委員長として一切の活動なしに生徒総会でおよそ500人の生徒、教師の前でやり玉に挙げられることになる。

 何か実績を作らないといけない。真っ先に加藤の頭に思い浮かんだものがある。この学校には放送委員会や放送部がない。お昼の時間、つまり生徒、教師が昼食を食べる時間は無音である。この時間に視聴覚委員として何か流せればそれは大きな実績となる。

 しかし、加藤はそれを打ち消した。あまりにいい案だったからである。いい案であり、労力と時間を要する。加藤は別に、視聴覚委員として学校生活に役立つ活動をしたいわけではない。学校総会たった1日のために活動している風の実績が作れればそれでいいのである。1日、いや総会の数時間のためだけにお昼の放送を始めるつもりはない。加藤正一郎とはそういう人間であった。

 結局、加藤1人では名案が思い浮かばなかった。そうこうしているうちに加藤が視聴覚委員長になってから2回目の定例会を迎えた。

 前回は自己紹介をして終えた。そして2回目。進行すべきは当然委員長、加藤正一郎である。しかし、加藤は何をどうすればいいのか分からない。すかさず顧問の老教師に助言を求めた。

「前回からの活動の報告をして、何か意見・案があれば、それを聞いて、なければそれでおしまい」

 つまり、委員長が「集会での視聴覚機器の準備・点検等を行いました。他に何か意見や案がある人はいますか?」と発言してそれでおしまい。当然、誰も意見や案など出さない。前期の視聴覚委員はこれだけのためにわざわざ集まっていたのだ。いや、前期どころかこれまで何年、十何年も続けられていたのかもしれない。加藤は前期サボっていたのは正解だったのではと一瞬思った。しかし、そのせいで委員長に任命されてしまったのだと思い直した。

 加藤も例にならい、「集会での視聴覚機器の準備・点検等を行いました。他に何か意見や案がある人はいますか?」と発言した。当然誰も反応しない。しかし、これで終わっては加藤は困る。そこで粘る。「何かありませんか?」誰も発言しない。「視聴覚委員として何か新しい活動の案はないですか?」

 ここで1人の男子生徒が手を挙げる。1年生である。加藤は自分から要求しておきながら、彼の意見は「いい案」じゃないだろうなと不安になった。空気の読めない1年坊主がやる気満々の意見を出してこないだろうかと。

 しかし、彼が出した2つの案は採用されることになった。つまり、加藤正一郎視聴覚委員長を学校総会の糾弾きゅうだんから守る武器になりえる案だったのである。

 この意見を出した1年生こそ、後に加藤の後を継いで視聴覚委員長になる内田俊樹うちだとしきその人である。

「今度の運動会を撮影するのはどうですか? 後は映画の上映会なんかもどうでしょうか」

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《下》1,795字

 【前回までの振り返り】
 有能な1年委員の発案により後期の活動が決まった。運動会の撮影と映画上映会。どちらもそれほど労力のいらない理想的な活動である。

 内田俊樹うちだとしき1年生はいい視聴覚委員であった。否、本当にいい人材であったのならば、加藤正一郎かとうせいいちろうが最初に思いついたお昼の放送のような有益な活動を発案していたであろう。内田は加藤にとって「都合のいい」視聴覚委員であった。

 内田の功績は後期の活動の柱となる案を提案しただけではない。加藤の手となり足となり動いてくれたのである。発案者としての責任感か、それとも加藤への尊敬か。後の証言から後者ではないことは明らかになっている。余談ではあるが、内田は加藤の後に視聴覚委員長に就任した人物である。

 さて、第一の活動、運動会の撮影。彼らの通う樺澤かばざわ第一高校の運動会は毎年9月に開催される。

 当初、撮影はスマートフォンで行う予定であった。しかし、学校から許可が降りなかった。彼らの学校ではスマートフォンの使用は禁止されていた。運動会であっても例外ではない。

 そのため、内田の父が所有する家庭用ビデオカメラを使用することになった。ビデオカメラの使用は思わぬ2つのメリットをもたらした。ビデオカメラはスマホと違い長時間の撮影ができる。内田父のビデオカメラも最新型ではないが、半日にも及ぶ運動会の撮影にはぴったりであった。

 もう1つのメリット。生徒たちに撮影している姿をアピールできる。スマホではインパクトが小さい。しかし、ビデオカメラを持ちこれ見よがしに撮影することで視聴覚委員の活動を印象付けることができる。

 当日、撮影は内田を中心とした1年生が行うことになった。加藤正一郎視聴覚委員長が命じたことはただ1つ。「好きに撮れ」。もとより上映する予定などない。運動会中、何かトラブルがあった際に役立てるように撮影するという名目である。希望者には視聴を許可するという文言は生徒たちが運動会の熱気を忘れた頃にしれっと追加する予定だ。

 基本的には1年生が撮影したのだが、1年生の全体競技の際は加藤自らが撮影を担当した。誰に見せるでもない映像。特にこだわる必要はないのだが、いたずら心を発揮した加藤は1人の小太りの生徒にフォーカスを当て追いかけた。本当は可愛い女の子を撮影したかったが、加藤もまだまだ思春期真っただ中。万が一誰かに知られたらとそんなリスクは犯さなかった。そして何より撮影したところで映像を見返すつもりはなかった。

 運動会は無事終了。もちろん、視聴覚委員の撮影も何事もなく終わった。加藤正一郎視聴覚委員長最大の功績である運動会撮影がここに幕を閉じたのである。

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 映画上映会。自前のビデオカメラはない視聴覚委員会ではあったが、プロジェクタ―やスクリーン等、映画を上映できる設備はあった。

 加藤は各クラスに配るアンケート用紙を作成した。上映するなら何の映画が見たいか。第一希望、第二希望、第三希望を記入する欄を設けた。それを1年から3年までの全18クラス分、計450人分印刷した。この印刷は加藤自身が行った。後に委員会活動において一番面倒な作業であったと語っている。

 さすがは県内随一の進学校。元来真面目な生徒が多いのである。観に行くつもりはなくてもしっかり記入している。

 1クラス分を試しにペラペラと見た加藤は頭を悩ませた。しかし、判断は早かった。加藤視聴覚委員長は自分が見たかったあるホラー映画を上映することに決めた。アンケートはすることに意義がある。その結果は重要ではない。アンケート用紙は再利用ボックスに回された。

 上映日はあらかじめ掲示板で案内しておいた。さらに当日には内田1年生が校内放送でアナウンスした。

 しかし、当日急遽きゅうきょ、2年生の補習が行われることになった。加藤に気を遣って行くと言ってくれていた何人かのクラスメートも補習の餌食に。この時加藤は補習を逃れていた。

 結局、集まったのは加藤、内田含む視聴覚委員数人と2人の1年生、1人の3年生のみであった。だが、問題はなかった。結果はどうあれやることに意味がある。実施したという事実さえあればそれでいい。

 映画上映会は1回ではインパクトが足りないということで2回、3回と行われた。膨大なアンケート用紙を毎回用意するのは大変なので、各クラスの視聴覚委員が口頭で募集することになった。上映する映画は相も変わらず、加藤の好みで選ばれた。

 かくして、運動会撮影、映画上映会と生徒総会で生徒たちの追求を誤魔化ごまかす武器は揃った。加藤正一郎視聴覚委員長は、一世一代の全体総会・委員会の活動報告へと向かう。

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《下の下》3,455字

【前回までの振り返り】
 形骸化していた視聴覚委員の活動。加藤正一郎視聴覚委員長は年度末の全体総会・委員会の活動報告で体裁を保つためだけに運動会活動、映画上映会を行った。そしてこの日。

 永遠にも感じられる沈黙――。

 彼を見つめるおよそ千のまなこ煌々こうこうたる体育館の中で黒く鈍い輝きを放つ。今の彼にとってこれらは銃口に等しい。

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 3学期の終わり。年度末。全体総会・委員会の活動報告が実施される。それにともない、事前に各クラスで委員会への質問がある程度まとめられる。当日、学級委員長がクラスで出た意見を各委員長にぶつけるのだ。

 当然、加藤正一郎かとうせいいちろう視聴覚委員長が在籍する2年4組でもそれは行われた。加藤に遠慮したからか視聴覚委員に対する意見、質問は少なかった。少なかった、つまり、ゼロではない。他のクラスではバンバン出ていることであろう。彼らの通う樺澤かばざわ第一高等学校は県内随一の進学校であり、元来真面目な生徒が多いのである。

 加藤の武器は2つ。運動会撮影と映画上映。事前に各クラスの質問は知ることができない。いかにこの2つを膨らませることができるかにかかっている。こうして加藤正一郎は運命の生徒総会に向かう。

 当日朝。加藤は緊張しており、また興奮していた。ネガティブであり、またポジティブでもあった。自分の状況が正確に把握できていなかった。つまりは、やはり緊張していたのだ。生徒、教師総勢500人の前でやり玉に挙げられるかもしれない。いかに対策してきたとはいえ……。

 総会10分前。体育館横のトイレ個室で加藤は自宅から持ってきた父親のビールをあおっていた。緊張をほぐすために加藤正一郎が考えた苦肉の策である。ビールではなく第三のビールだったかもしれない。しかし、それはどうでもいいことであった。

 いたずらでスパークリングワインをちょっと舐めたり、正月の御神酒おみきを唇を濡らす程度飲んだりと、加藤の飲酒歴はそんなものであった。県内有数の進学校に通う加藤も基本的には真面目な生徒である。

 ビールを3分の1ほど一気に飲み、その苦さに辟易へきえきした。なんとか半分流し込んで残りはトイレに捨てた。空き缶は少し考えてトイレの窓から放り投げた。この時点で加藤正一郎は酔っていたのかもしれない。普通ならばカバンの奥底にしまい込み人目に付かないよう処理するはずだ。このビールの空き缶が後に問題になり、臨時の全校集会が開かれることを加藤はまだ知らない。

 そして。とうとう樺澤第一高校生徒総会・委員会活動報告会が始まった――。

 保険委員会、体育委員会、図書委員会の報告は滞りなく済んだ。質疑応答もすんなり。それも当然のこと。やったことをそのまま誇張せずに報告すればいいだけの話。しかし、視聴覚委員はそうはいかない。

 視聴覚委員の1つ前、美化委員が終わる。美化委員も視聴覚委員と同じく実態のないものと加藤は考えていたが、報告を聞くにそれなりに活動していたようだ。

 いよいよ視聴覚委員の番。加藤正一郎視聴覚委員長の出番である。

「2年4組視聴覚委員長、加藤正一郎です。視聴覚委員の活動についてご報告させていただきます。皆さんのお手元の資料には、視聴覚委員の仕事は『集会での視聴覚機器の準備・点検等』とあると思います。これは週1回の生徒集会や定期・不定期に行われる学年集会の際に使用するマイクやスピーカーなどの機器の準備や管理のことを指しています。しかし、皆さんご存知のように視聴覚委員の仕事は今や形骸化しております。言い換えれば用なし、過去の負の遺産……」

 ここで、一部の生徒からどよめき、笑いが起こった。ここまでは想定内。実体のなさを追求される前に自ら認める発言をしたのである。これで後の質疑応答にあったであろう糾弾きゅうだんを大幅にカットできたと予想する。

「私たち視聴覚委員もない仕事はできない。しかし、それでは生徒の皆さんから不満が出るのももっともです。そこで私は生徒の皆さんの学校生活をよりよいものにするため、少しでも視聴覚委員として貢献できるものはないかと考えました。そして新たに運動会の撮影、映画の定期上映会という2つの取り組みを行いました。これら2つの取り組みで今までにない視聴覚委員の価値が創造できたのではないかと自負しております。これで視聴覚委員の報告を終わります」

 ここで、正一郎は話を終えた。敢えて質問しやすい部分を残すことでそこに集中させようとしたのだ。「視聴覚委員の存在理由とは?」といった根本を問う答えにくい質問が来ることを避けたかったからである。

 加藤の合図を受け、進行係が生徒たちに質問を要求する。今までと同じように、否、今までの数倍の数の学級委員長たちが手を挙げている。しかし、これは想定内である。加藤正一郎の頬は紅潮していた。これは酒の力か、それとも――。

「運動会撮影と映画上映会とは具体的にどのような活動だったのでしょうか?」想定内の質問。

「はい、まず運動会の撮影についてご報告させていただきます。わが校の歴史ある運動会は今まで映像に残されることはありませんでした。それを映像に残す活動だけでも有意義な活動になったかと思います。それだけではありません。映像は万が一事故や事件が起こった際の重要な参考としての利用価値もあると考えました。幸い今年度の運動会では何事もありませんでしたのでその働きはしていません。事前にお伝えしていたように撮影した映像は希望者は見ることができます。ただし、無編集なのでご容赦ください。次に――」

 長くなったので進行係に一旦切られた。「運動会撮影について質問のあるクラスはありありますか?」手を挙げない生徒たちを見て、加藤は心の中でガッツポーズをする。進行係に続きをうながされる。

「映画上映会についてお話させていただきます。我が樺澤第一高校は県内でも有数の進学校です。さらに部活動も盛んで文武両道の高校として知られています。このように日々頑張る生徒の皆さんの安らぎになるように考えて映画の上映を定期的にさせていただきました。10月の1回目から今まで計4回の上映を行うことができました。今後も続けていく予定です。また、上映映画は毎回全校生徒にアンケートを行い、より生徒の要望に近いものを可能な限り上映することにしています。アンケートの作成、収集、集計は大変な作業ではありますが上映会を楽しみにしてくれている生徒のために委員会のメンバーが進んで行ってくれています。以上で質問に対する返答を終了します」加藤は一気にまくしたてた。

 質問した生徒は少しの沈黙の後、「分かりました」と着席。これ以上何か言うのが面倒になったのかもしれない。これも加藤の作戦の内である。

「前期の活動がないようですが、説明をお願いします」あるクラスの質問。

 ここで冒頭。加藤はしばし沈黙した。千の視線が彼に注がれる。しかし、これは考えがあってのことである。加藤正一郎は今までと打って変わって殊勝しゅしょうそうに口を開いた。

「はい、私が視聴覚委員になったのは今年からで、前期のうちは右も左も分からない状態でした。諸先輩方や経験者の皆さんの活動やそれにともなう報告から学ぶことをまず第一としておりました。先ほども述べさせていただいたように、視聴覚委員会の活動実態がないのではないかと気づいたのは恥ずかしながら後期近くになってからです。それを改善すべく視聴覚委員長に立候補させていただいた次第です」

「それでは、前期の委員長に質問すればいいということでしょうか」と言う質問者。同時に3年生がいる付近がドッと騒がしくなる。視聴覚委員長の前任者が周囲からイジられているのだろう。

 この質問は進行係が「本筋から離れる」と判断して打ち切られた。と同時にこれをもって視聴覚委員長の報告も時間いっぱいということで終了。

 加藤正一郎は高揚こうようしていた。単にこの局面を乗り切ったからだけではない。もちろん、酒に酔っているからだけでもない。加藤正一郎は人前で話すことの気持ちよさに気づいたのである。そして自分にはその才があることにも。

 加藤正一郎は後にこの経験を活かして政治家への道を進むことになる。

 ……かどうかは分からない。将来はお昼のワイドショーのコメンテーターをしているかもしれない。怪しいセミナーで講師をしているかもしれない。老人を集めて布団を売っているかもしれない。

 総会後も相変わらず、加藤青年はコミュ障である。人前で話す楽しさに目覚めても、人の心の機微きびはそうやすやすと分かるようにはならない。しかし、大衆を操る愉快さに取りつかれた彼はいずれ本腰を入れて学んでいくことだろう。樺澤第一高等学校は県内随一の進学校であり、生徒は基本的には真面目である。加藤正一郎も課題を見つけたら解決せずにはいられないのだから。

(完)

 この物語はフィクションです。登場する人物・団体等は架空であり、実在のものとは関係ありません。(2020年12月)


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