岡本真帆「光のそばで」感想
まほぴさんの短歌は平易なことばで構成されている。高級レストランの食材の組み合わせに抱く衝撃より、冷蔵庫にあるアレとアレでこんなに美味しいものが…?という衝撃に近い。初読時は、アレンジされたつけだれに飛び込むそうめんになった気持ちで読む。
文藝春秋2022年9月号に掲載された、岡本真帆さんによる短歌連作「光のそばで」。その感想を書いていたのを思い出し、先日のニシキヤキッチンさんのCM短歌への感想とともにnoteに置いておこうと思ったのだった。よければ読んでください。
「光のそばで」はこちらから!
https://bungeishunju.com/n/nb51ea8806a12
好きな歌の感想
呼吸は、まっすぐに循環する直線的な空気の束だと思っていた。というか、生きていくのに不可欠なものだから、まっすぐでなければ、正しくなければと思っていたのかもしれない。
アコーディオンは蛇腹が特徴的だ。いくつものヒダが波打つさまに例えられたであろう呼吸が、美しい。まっすぐ息をできないことへの受容にも思えて。
それに、アコーディオンには鍵盤がある。自分の手を動かさなければ音が鳴らない仕組みだ。泣くほど悲しいことがあっても、手を動かすことでなんとか立て直していく。自分の力で生きていこうと、呼吸をし始める様子が浮かぶ。上半身で抱える楽器でもあるから、呼吸器とも近しいイメージがある。
比喩について述べるだけでも面白い。平易なことばに奥行きを持たせるまほぴさんの力には、何度言及してもし足りない。
タイトル「光のそばで」について
光の中ではなく、そばなのだ。もちろん、光の中に飛び込んでいく動的なイメージも素敵だ。だが、無邪気に光と一体化しようとしない落ち着きが、夏特有の寂しさに似ている気がして、なんとも言えない切なさに包まれる。
まほぴさんが「夕立で群れは個体に分けられて ロンサム•ジョージ、きみも、わたしも」という短歌について、「ひとしくみんな孤独である」と話してらっしゃったのを思い出す。
私たちは孤独で、どんなにポカポカした光に惹かれても、それとひとつになることはできない。「光」はもしかすると、眩しいくらいに素敵な誰かのことかもしれない。夏の日差しのことかもしれない。それが何であっても、結局分かり合えないからことばにするのではないか。
それぞれの短歌を読んでも、湖で交わしたことは忘れるし、心臓、すなわち自分の一部でさえきみの匂いを知ることはできないし、次に会うときは互いにわからないかもしれないね、と言ってのける。わかりやすくて明るいことばの中に、どうしても「個」から逃れられないという事実が浮かんでくる。分かり合っているからではなく、分かり合えないから、そばにいる。そして、分かり合えないからことばにする。違いを認めて寄り添うのって美辞麗句みたいだけれど、本当は絶望が起点なのかも。あたたかくて楽しくて寂しい夏を、ぎゅっとしたような連作だった。
〈追記〉私が「特に好き」と感想を書いたアコーディオンの短歌、まほぴさんの2022年自選短歌にもなっていました!ほんとに大好きな歌なのでうれしかったな~!
2022/01/25 ツマモヨコ
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