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蓄光のねこ/そこびかり

はじめに

3月5日、大阪城ホールで開催されたカネコアヤノのライブに行きました。蓄光ねこキーホルダーというグッズを買いました。その名の通り暗いところでぼんやり光ります。

蓄光ねこキーホルダー

カネコアヤノの曲には、自らの加害性を理解し、そのうえで曇りなく生きる人間の強さがあります。それは、眩しさが誰かを傷つけても世界を照らさずにいられない光のようで。とてもとても素敵でした。

キーホルダーの淡い光、春の陽光、そして閃光のような演奏。それらの光を言葉に閉じ込めるために、ネットプリントとして

・短歌20首連作「蓄光のねこ」
・みじかいエッセイ「そこびかり」


のふたつを作りました。出力期間が終了したので、ここに置いておきます。ぜひご一読ください。

ネプリ「蓄光のねこ/そこびかり」

蓄光のねこ

蓄えたひかりを見せて、キーホルダー ここがあなたのつつましい星

蓄光をたしかめたくて友達が両てのひらに作る暗室

今日なんかあったかいよね物販に並んで春を少しだけ吸う

ライブしか娯楽がないと云うひとの今日は娯楽にふくまれてみる

ブロンズのコナンの横にブロンズの光彦もいてほっとしている

アーケード街に溜まった擬似的な夜をかき混ぜてゆけるひとだ

純喫茶 エモくなくなる日が来ても知らない駅でわたしに会って

伝票の文字が元気に踊ってて茶をしばく力との拮抗

発光はひとりで出来ずコンセントまで繋がれた犬型ライト

広告のいくつかごとにブックオフみたいな街を愛してしまう

背もたれに掛けた上着がごわつかずここでも春にまちぶせされる

誰も壊さない強さを声にして手加減なしのやさしさだった

誰も壊れない強さを浴びながらやらかいとこも音叉になれる

ステージのあなたが髪を切っていてすっきりと胸で吸ったギター

かつて良いつがいであったひとのことできるだけ分かりやすく云うね

また聴きに来る日はきっとわたしたち体のかたちが変わっても泣く

退屈な日々に手を振る 繰り返す日々にそれでもなお手を叩く

音楽に代えがきかなくてよかった春でも夜はさすがに冷える

幻じゃなかったことが幻でセットリストのぬるい手触り

あの声は閃光 あの音の発光 つるつるの心には蓄光

そこびかり

はじめて、カネコアヤノのライブを観た。

春がわたしたちを様子見しているような、うれしいぬるさ。グッズ列に並ぶ。「蓄光」というワードにウケながら買った蓄光キーホルダーは千五百円と少し高くて、そこも含めてライブグッズっぽいなとにやけた。蛍光色に光るとこを見るべく、わたしたちは両手をつぼみの形にしてねこを閉じ込めた。うすぼんやりとした蛍光色のねこに何度も喜んだ。春の陽を光に変えると、意外にこんな色だろうと思う。

開場から一時間、『わたしたちへ』が歌われる。きみたちではなく、わたしたちに向けられた歌詞。受け手に向けた一方通行の矢印ではなく、彼女自身に向いた矢印をもカネコアヤノはかっこよく歌いこなすのだ。「刺さる曲」を作るひとにも、きっと何かが刺さって抜けない。音楽に変えて、苦しさを受け取っていてくれる気がした。会場が「わたしたち」になった瞬間だった。まっすぐな歌声に涙を流して、涙を流していることも分からないままに聴いていた。

ひかえめな照明が控えめなスモークを照らして、豆電球みたくやわらかに灯されるステージ。最高潮に達した興奮は、驚くほど眠気に似ていた。音楽に満ちて底光りのする空気をただ、声だけが貫く。これまで、カネコアヤノを聴けばたちまちそこが光になると信じていた。そしてそれは、紛れもない事実だった。

わたしは音楽を抱きしめて離さないから、音楽はわたしに光を蓄えてくれる。うすぼんやりとした蛍光色で、これからもその声とともに光るわたしたち。

さいごに

ネプリでそれとなく匂わせた曲たちを書いておきます。聴いていただくとさらに楽しめるかもしれません!

・「アーケード」
・「愛のままを」
・「りぼんのてほどき」
・「退屈な日々にさようならを」
・「わたしたちへ」/すべてカネコアヤノ

2023/03/24 ツマモヨコ

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