見出し画像

【stand.fm 001.自己紹介】 noteはじめました

このnoteは、stand.fmの「マサトのおもろかったらOK(仮)」の内容をもとに書き起こし、まとめたものです。

1.はじめに

みなさん、こんにちは。裙本 理人です。
今日からstand.fm(音声配信アプリ)を始めてみようと思います。

チャンネル名は『マサトのおもろかったらOK(仮)』ということで、まだしっくりくるチャンネル名が思いついていないのですが、「とりあえず、おもろいことやろう」っていう僕の行動指針に沿って、とりあえず仮の名称のまま、はじめていこうと思います。

2.自己紹介 

まず、初回なので僕の自己紹介をかねて、これまでをお話したいと思います。

僕は、兵庫県明石の出身で、生まれた瞬間は千葉県の野田市(これは親の仕事の関係でたまたま千葉に住んでいた)にいて、小学校2年生ぐらいに、親の地元、兵庫県明石市に戻って、そこからずっと明石で育ちました。

明石はめっちゃ海が綺麗な町で、住んでいる家から徒歩1〜2分(大げさじゃなくて)でBBQもできるし、泳げるし、っていう最高の海のそばで、ずっと暮らしていました。

画像2

3.おもろい大学入試

その後、地元の小中高に通い、大学も地元の神戸大学に進学しました。

僕の学部は、当時、発達科学部っていう学部(現在は名前が変わってしまったみたいですが、 旧教育学部にあたる)で、人間の成長や発達をさまざまな角度で勉強しようみたいな、なんでもありの学部です。

この学部にはおもしろい入りかた(入試)があって、僕はこれで受験したんです。
それは「体育受験コース」っていう、前期のみ定員12名の受験コースで、いわゆる基礎的運動能力が高い上位メンバーを選抜する入試。

当然、運動だけじゃなく筆記試験も必要なので、僕はセンター試験も受けたし、神戸大学の得意な1科目の受験も受けました。

だけど、そういう点数はものすごく圧縮されて、実技の配点が極端に高いっていう偏った試験。

僕はスポーツが好きで得意だったし、当時の夢は体育教師になることだったので、この試験を知ったとき、もうこれしかないなって思って、高1年生のころからそれを目指して入学しました。

4.剣道と僕

5歳から兄の影響で剣道をはじめて、
小・中・高・大学まで、ずっと剣道をやっていました。

大学では、体育会剣道部のキャプテンをするぐらい、いわゆるガチの体育会系でした。

剣道は、僕の人格形成のかなりの部分を占めています。

小学校のときの道場の先生から、今の僕の考えの軸になるようなものを教えてもらいました。

中学では、トコトン勝つ、勝負に勝つ、みたいな競争心を動機づけられ、ただ勝てばいいではなく、精神面など人として成長させてもらえる環境で、多くを学びました。

高校でも、本当に素晴らしい先生に恵まれて、ハイレベルなご指導のもと、稽古に打ち込ませてもらいました。

かつて剣道部キャプテンだった中学の先輩*1は「2015年世界剣道選手権」*2で優勝するなど、(のち、僕も同部キャプテンを務めた)剣道の強豪の場所でした。

要は、結構ガチでやっていましたってことですね。

*1 網代 忠勝(現・兵庫県警)さん。剣道界では誰でもわかる有名人。
*2 オリンピック種目に剣道はないですが、いわば、オリンピックのような剣道の世界ナンバーワンを決める大会

剣道

5.剣道を通じ踏み出す、新しい道

そのなかで大学生活でも“もっとチャレンジしたい”という思いが芽生え、就職を意識したころから「経済界に興味を持ち、レベルの高い刺激を受けて成長したい」という強い思いに変わり、結果、体育教師ではなく、総合商社の住友商事に入社しました。

入社後、配属されたのは木材資源事業部。

ここは、世界の木材資源をおさえて、伐採して加工して日本や中国や韓国といった国々に輸出するという事業を行う部署です。

この人事っていうのが、またおもしろくて…。

住商には、数百の駐在地が世界中にあって、NYやシンガポール、ロンドンといった、いわゆる花形と呼ばれるビジネスの中心地もあれば、はたまたロシアなどの辺鄙な片田舎まで、世界各国に点在しています。

つまり、配属される場所によって、どんな仕事をするのか、どんな働き方になるのか、を左右する重要なもの。

そんななか、僕は、人事の方との面談で、「いちばん厳しいところに配属してください」という希望をひたすら伝えていました。

人事の人も「なんでこんなに厳しいところ志願するのか」といった顔で、半笑い……いや、全笑いされたのを、今も覚えています。

たとえば、NYとかの主要中心地に配属されたとしても、英語半分日本語半分、日本人の先輩たちとの生活、が想像できていて、当時の僕にとっては、駐在っぽくない(理想の環境ではない)と感じていました。

僕は、とにかく「厳しい環境のなかで、バリバリ現場に入ってビジネスをしたい」と思っていたので、それを主張していました。

そうしたら見事、駐在地のなかで今もなお厳しい場所としてトップランク(多分1位とか2位とか)する、ロシアのプラスタン(陸の孤島のような)田舎町への配属をいただきました。

そのロシアでの経験がめちゃくちゃおもしろいんで、またお話できればと思います。

ロシア

6.トライアスロンで、人生を変える出会い

僕は、住友商事でも会社の剣道部で剣道をやっていましたが、 “新しい挑戦がしたい”と思って、入社2年目から会社の仲間とトライアスロンにチャレンジしました。

初めてのレースは石垣島のレースで、たしか2006年…それから約14年、今も続けていて、これまで数え切れないほどレースに出ています。

その中の石垣島のレースで、僕の人生を大きく変えることになる出会いがありました。

レバレッジシリーズの著者である、レバレッジコンサルティング 社長・本田直之さんです。

当時、僕はその著書を読んでいたので、レースでお会いして声をかけたのが出会いのはじまりでした。

それをきっかけに、いろんな出会いが重なり、今のセルソースという会社をつくるなど、本田さんとの出会いは、僕の人生を加速させてくれたというか、好転していったと思っています。

この辺りは、いずれ詳しくお話しします。

トライアスロン2

7.おわりに

こんな感じで、ロシアのおもしろい経験話だったり、ビジネスの考え方とかのマジメな話だったり、何がおもろいって思ったかとか直感的なことなど、僕の頭の中をアウトプットする場にしていきたいと思います。

是非みなさんよろしくお願いいたします。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?