自己紹介(社会人・起業編)
こんにちは!佐々木剛(ささきつよし)です。
現在は、フリーランスとしてキャリアに関するセミナーの講師やカウセリング×コーチング、コミュニケーション研修、サービス業の人事評価制度の導入支援をしています。
今回は、自己紹介の第2弾(社会人・起業編)を投稿したいと思います。
色々ありすぎてかなりの長文となってしまいました。お時間があるときに読んでいただければ幸いです。
1.社会の厳しさとやりたいことが発見できた1社目
大阪にある総合商社で勤務することになり初めての一人暮らし。2週間の新入社員研修が終わるとすぐに新卒採用に携わることになり、合同企業説明会でブースに押しかけてくる数十人の学生を前に一日中何回転も企業説明。人前で話すことに対して苦手意識を持っていましたが企業説明はほどほどに就職活動のことを熱く語ることで学生が真剣に聴いてくれている眼差しを見てドキッとするぐらいのやりがいを感じました。上手く話すことよりも本気で自分の言葉で伝えることの大切さ。この会社を退職以降も採用の仕事に携わりたいと思えた大きな出来事でした。
入社3ヶ月目にまた衝撃の出来事。総務の先輩社員4名全員が一斉に退職。自分ごとになっていなかった経理の仕事が新入社員4名にそのまま引き継がれ、毎月の期限までに必ずやり遂げないといけない作業に日々追われ毎月の残業時間は150時間。休日でも仕事を持ち帰ってやらないと間に合わない。「もう無理です!」と部長に言えばよかったにも関わらず「仕事は気合と根性」と父から教えられていたため総務のメンバーや同期にも相談せず一人で抱え我慢を続け徐々にプレッシャーに押しつぶされ3年目に体調を崩し始める。一生この働き方ができるのだろうかという不安。でも辞めることで総務のメンバーに私の担当仕事が振られることへの罪悪感。葛藤はあったものの、母からの
「辞めたければ辞めてもいいんじゃない」
という言葉に救われ、「生きる」という想いからやっとの思いで退職の意志を部長に伝え何度も何度も話し合いやっと退職日が決まったと思って安心していたら、またまた衝撃の出来事。私の退職よりも前に部長が退職。退職日を先延ばしにされていたのはそのせいだったのかぁー。 退職するまで本当に鍛えられたおかげでその後の人生で苦しいことがあったとしても「生きる」という軸ができるようになりました。
2.採用の仕事へのやりがいを感じる日々から転げ落ちていった2社目
通信関係の会社で毎年新卒50名ほどを採用している大阪の会社。
やりたかった採用の仕事。採用のイロハを上司の言葉と行動を見ながらドンドン吸収していくことで楽しさが倍増。合同企業説明会での話し方、会社説明会でのトークの組立てや話し方、集団面接、個人面接のスキル、そして一番身に付けることができて良かったのは学生との付き合い方。大量採用する会社では学生の口コミが必須。「あの会社の人事の人たち楽しいよ」「熱い人だな」「ためになるよ」おかげで会社説明会は毎回ほぼ満席。東海地区を一人で担当し、週の半分は名古屋支店で採用活動。内定も出していない学生たちを食事に連れて行き、就職活動や社会人の辛さや面白さを伝えていると給与が前職よりも倍になっていたにも関わらず足りないという現象(笑)
採用目標数字が半年で達成されひと段落ついたところで、役員から東京での新会社立ち上げのお誘い。採用の仕事ではなく営業として新会社へ行くか、今の会社で採用や教育に携わっていくのかという選択に迫られました。カリスマ的な役員の方だったので光栄に感じましたし、もっとお金を稼げるようになり欲しいものが色々手に入るのではないかという甘い考えで新会社に行くことを決意。しかし毎日、上司と同僚と歩きまわるが結果が出ない日々。
「何やってんだろう」「何しに東京に来たんだろう」
そう感じながらも3か月ほどたった時に突然新会社は倒産することに。元の会社から出向扱いではなく退職して新会社へ移っていたため戻る場所がなくそのまま東京で退職することになりました。
今振り返ると入社した時の採用の仕事がしたいという気持ちを忘れ、未来の条件と甘い予測で判断してしまった自分の弱さがこのような結果に結びついてしまったと思います。大事なのは、「初心を忘れない」ということなんですね。
3.もう一度採用の仕事にチャレンジした3社目
転職活動も2回目ということもあり、すぐに愛知県の技術者派遣会社に採用担当者として入社。目標に対する結果についてはかなり厳しさがありましたが、他部署と協力しながら進めていく採用は新鮮でした。また、西日本エリアの採用を私と部下の2名体制で行い、新卒採用時期はほぼ出張でしたが、自分の考えたやり方をチャレンジさせてもらえる会社だったので上手く結果が出ているときは社内の人間関係も良かった。
しかし、応募者が少なく目標の人数を採用できない、人数目当ての採用をすると派遣先が見つからないという悪循環が続き始めると毎日のように飲みに行き愚痴が出るようになり、自分のことしか見えず、部下をほったらかしにして号泣されることも勃発。また、会議で目標を達成できない自分を見せること、責めれられることから逃げてしまうようになり始めていました。上司は、責めていたのではなく、色々な対策を考えること、一人で抱えて周りの人たちに協力を求めなかったことに対して考えさせる機会を作っていたのだろうと思います。しかし、歯車が狂い始めると、採用だけの仕事が辛くなり、退職を決意。
上司からは涙を流しながら引き留められましたが、東京で一緒に働いていた元上司の方が転職され、その方から「総務に来てほしい」と言われていたので、会社からも自分からも逃げるように退職しました。
そして、この逃げたことが次の転職先でまたまた痛い経験をすることに繋がってしまったのかもしれません。
4.温かい人たちと温泉に囲まれた大分県でまた倒産を経験することになった4社目
声を掛けていただいた会社は、東京に本社を構え日本国内に数か所の工場とアジアに支店を有しており年間100億円を超える売上、世界的なシェアも占めている半導体業界のメーカーで上場企業。
大分の工場で総務として採用されることが決まり、転職するタイミングで彼女と一緒に大分に行くことを決めて入籍。今までも転職の度に、大阪~東京~愛知と転居してきましたが、今回は独身ではなく結婚と転職の2大決心が必要だったことに不安とドキドキが入り混じった状態でした。その不安をぶっ飛ばしてくれるように総務部の同僚だけでなく各部署の方々はとても優しく、よく声を掛けてくれましたし、よく飲みに行きました。働きやすい環境で色々な仕事を任せてもらえるようになり辛いこともありましたがそれを乗り越えながら充実した日々を送り、プライベートでも長男が生まれました。そして、入社して2年を超える頃には仕事も人の温かさも温泉に囲まれている環境も満足していたので「一生大分で暮らす!」という決断し住宅を購入。
しかし、待ち構えていたのはリーマンショック! 会社は大打撃を受けることになり、また倒産を経験する羽目になってしまいました。倒産を告げられた時は周囲の方とは違って意外と冷静に受け止めていました。それは、会社が閉じる日まで総務としてやるべきことがたくさんあったこと、倒産を経験したことがあったこと、一緒に考えてくれる妻がいたことが大きかったと思います。
妻のお腹には二人目の子を授かっていたこともあり買って2年も経たない住宅を売却して妻の実家に行こうと決め、引っ越しの準備や売却の準備を進め、実際に売りに出しました。しかし、仲良くなった近所の方や元上司や同僚の方から「もう少し大分で頑張ってみたら」という熱い言葉を幾度となくかけられ妻と悩みに悩んだ末に、もう一度大分で頑張ることを決意。
倒産直後は、破産管財人から依頼を受け人のいない会社でこの先どうしようかと考えながら残務整理を粛々と進める日々を過ごしていました。そんな日々を過ごしていたところ、総務の元上司が1枚の新聞に掲載されている募集記事を持ってきて、
「佐々木くん!この仕事合っていると思うぞ!」
と勧めてもらえ自分もこれだ!と感じ、採用されたことが、今でも大分で仕事ができていることに繋がっていると思います。あの時、元上司が新聞記事に目が留まらなかったら、私には必要ないと判断して伝えていなかったらと思うと他人の一瞬のタイミングが自分の人生を左右することがあるんだと思い知りました。
大分で転職することを決心してから結婚⇒出産⇒住宅購入⇒倒産⇒大分で頑張る決意という数年の間で人生の選択をこれほど味わうことができたのはその後の仕事に繋がる貴重な経験をさせてもらったと思います。
5.温かい人たちに出会い支えてもらった大分県へ恩返しできる行政の仕事に就く
応募したのは、リーマンショックで倒産する企業が増え、大量の失業者で業務量が増え行政サービスに支障がでないように厚生労働省が各県に人数を割り振り、正職員と同様の待遇で募集をしていた任期付きの職員。毎年、採用試験を受けないといけないハードルや何年この特別な予算が続くかはわからないという不安定な面はありましたが、私と同じような倒産を経験しなくてもいいように労働局で企業に助成金の活用を勧め審査するという業務でした。
時には「あなたは公務員だからいいよね」と窓口に来られた企業から言われることもありましたが、そんな時には私の倒産の話を交えながら、どんな想いでこの業務をしているのかを伝えることで企業の方や職員の方々にも信頼してもらうことができたと思います。
「将来は不安定であっても目の前の仕事や人に全力で打ち込む!そして、大分のために恩返しする」
その場で給与や待遇で返ってくるものではないけれど、多くの上司や先輩方との繋がりを持てたということがその後の人生において大きな財産を得ることができました。
景気の回復とともに4年弱で予算は終了することとなり任期は満了。また、新たな転職先を探すことになりました。
6.転職と夫婦揃って退職そして起業への一歩
3人目の子どもが生まれたばかりだったため間を空けるわけにはいかないという思いから知り合いの方々へ声を掛け、そして知り合いの社労士から紹介された宿泊業での総務で採用されることに。給与体系の構築に携わり役員の承認を得るために試行錯誤し、そして労働組合の委員長と幾度も交渉した末に導入することが決定しました。
しかし、自分のやりたいことができる会社なのか、その環境が整っているのか、環境をよくするために協力してくれる仲間がいるのか、今まで経験してきたことをどう活かしていきたいのかを考えたときに、時間を無駄にしないためにもすぐに退職を決意。 妻の医療事務の仕事が合わず体調を崩して休職していたこともあり、妻の負担を減らすためにも私が悩みやストレスを感じることなく、そして妻も育児や家事にストレスを感じない働き方をすることが夫婦にとって最良だと判断し妻も同時期に退職しました。
二人同時に退職という荒業。どちらかが収入を得ながら、タイミングを見計らって転職ということが生活を維持していく上では必要なのかもしれませんが心穏やかに生きていく上では同時にリセットボタンを押すという選択もあっていいと感じましたし、今でも同時期に退職したことが夫婦の支え合う気持ちとそれぞれがやりたいことを応援する根幹になっています。
当時40歳だったので、民間企業に転職するのは容易くないことも理解していましたので
「誰かから声を掛けてもらうか、もしくは自分でやるしかない」
と考えていたところ、社労士の方から障害者雇用で困っている企業の支援をやってもらえないかとのお願い。時間に束縛されることなく、家庭のことに時間も割け、そして総務で行ってきた職場環境の改善や製造業で倒産を免れるために必死に行っていた作業効率化や経費削減してきたことが活かされると気づき、起業し受託することにしました。
行政と連携しながら障害者の方々が働きやすい環境にし、定期的な面談を通じてケアをすることに。今まで、総務という立場から採用の面接を行い応募者の想いを聞いてきましたし、社員の方々の悩みも聴くことが多々ありましたが、果たして今までの私の面談がその人の本質に辿り着き、そして相談者の悩みの解決に繋がっているか疑問に思い始めました。
そんな時に、キャリアコンサルタントの資格に出会い、取得するためにすぐに講座を申込むことを決断いたしました。無事に資格を取得するとすぐに同じ講座を受講していた研修講師から職業訓練の研修講師の仕事を頂き、そして行政で勤務していたときの上司の繋がりから高校やハローワークで講師をさせて頂く機会を頂きました。
「目の前に座っている受講者に全力で伝える!」
採用担当として経験してきたことや知識を伝えるだけでなく、私の今までの数々の転職や倒産の経験を恥ずることなく、受講者の気づきと勇気、笑顔に繋げるために伝え続けています。
私が起業するタイミングで妻も自分のやりたいことをやってみたいということで起業。デザイン系の学校を卒業していたことや手先が器用ということもあり、アクセサリーの製作・販売することになりました。辞めるときも起業するときも一緒。お互いの仕事は勧奨しませんが育児や家事は全力で協力しようということになりました。
7.起業時の収入による苦しみを乗り越え現在の仕事へそして未来へ
1社の障害者雇用支援の収入や単発の講師の仕事だけでは3人の子どもを育てていくには足りず、食べていくだけで精一杯。住宅ローンの支払いという現実。何でもいいから時間の融通が利くアルバイトをしようかと思いましたが、同じ時間を使うのであれば今までの経験を活かすことができてやりがいのあることをしようと、月の数日を社労士事務所での補助業務と臨時職員として労働局で勤務することにしました。
自営・社労士事務所・労働局の3本柱としたことで収入は安定していきましたが新規の自分の仕事を入れる時間的な余裕が全くない。収入は一時的に下がるが自分のやりたいことをもっと増やすために、社労士事務所の仕事を辞め、労働局の勤務日数を削減することに。
自分のやりたいことは何か?何ができるのか?不足しているものは何か?と考え、苦手だった財務の知識を得るために、キャッシュフローコーチ🄬の養成塾に通い、税理士や社労士などの士業の方や起業してバリバリに活躍している同期に刺激を受けながら修了。通っている間に高額契約を取ることができ、今でもキャッシュフローコーチ🄬養成塾で学んだことや仲間との繋がりがあることで安心して活かすことができていると思います。
現在は、
①高校等の就職に関する心構えのセミナーやハローワークでの求職活動のセミナー
②企業のマナー研修、コーチング研修、リーダー研修等
③カウンセリング×コーチングを活用した面談
④人事評価制度を導入する少人数サービス業の導入支援
⑤小規模事業者の経営者のキャッシュフローコーチング
ということをやっております。
そして未来は、
活動エリアを広げ、一人で悩みを抱える多くの人に寄り添い、話を聴き、笑顔になって頂けるように知識を向上させ全力で行動していきます!そのためにも家族仲良く、夫婦手を取り合って歩んでいきたいと思います。
今後とも皆さまよろしくお願いいたします。
相談やお問合せはこちら↓。
sasaki_0720_0124@yahoo.co.jp
毎日の気づきや想いをTwitterで発信しています!
https://twitter.com/tsukuyomi_egao
インターネットラジオ ゆめのたね放送局 中四国チャンネル「金八!キャリア塾」にて不定期でゲスト出演しています!
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?