100mileレースを走った記録(後編)
「100Km通過、やっと始まったようなもんや!」
僕は3周目の最終チェックポイントでそう叫んだ。
「100mileの醍醐味は100kmを越えてからだ。」100mile完走を経験した方、いわゆるマイラーがよく口にする言葉である。
今回で3度目の100mileに挑戦する僕は、その言葉の意味が分かるようで分からないでいた。何なら、しんどい状況の中、メンタルを麻痺させるために、あえて口にする、オマジナイのようなものだと考えていた。
多忙なサラリーマンで言うところの「夜19時を越えてからが仕事の始まりだ。」のような感じ。
1周35キロの周回コースの3周目が終わろうとしていて、それはヤツとの合流が近いことを意味していた。
KOUMI100 では、その第2の始まりに、ペーサーと呼ばれる伴走者が付く。
スタートしてから約15時間。3周目が終わり、彼と合流した瞬間。
「ま~~~~つりの始まりやでぇ~~~!!!!」
応援のみんな、笑っている。P松山さんが、テンションMAXなのである。もちろん僕も同じテンション。
既に100Km以上走っているので、体に疲労感を感じるし、何なら色々と痛くなっているが、心は超フレッシュ。
3回目のエイドでも、F1のサーキットの様に補給を短時間で済ませ
「行ってきま~す!!!!!!」(心の中ではもう少し休みたいと思っていたw)
お騒がせしてすみませんでした。
トレイルランにはまって2年目に突入する僕は、昨今の土日のほとんどを彼と過ごしている。狂ったように山へ行き、走っては歌い、笑っては酒を飲み、を繰り返す中で走力を鍛えてもらっている。
誰よりも信頼する「彼とのKOUMI」なら完走はもちろん、上位も狙いにいける。そう思ってペーサーを依頼した。
そんな彼との、残り2周70Kmの旅を本当に心待ちにしていたので、4周目の序盤からの足取りは軽かったのだが、しかし。。
3Km地点辺りから始まるぐっちょぐちょの林道に足を取られ、なっかなか進まない4周目が始まるのであった。
さらに、4周目からペースが上がる他のランナーに追い越され、焦りが増す。隣で松山さんはメラメラとしている。彼は僕を置いて、前の人たちを追いかけるんじゃないか、という勢いすら感じた。
その時僕は、「松山さん、いつもと違う。」と悟った。
何というか、メラメラ、バチバチ。
そう、これはレースであり、いつもの練習とは圧倒的に違う、発表会なのだ。と、彼を見て感じた。
薄々感じていた「ヒザ、痛いかも。。」が確信に変わり始めていて、とうとう僕は、「ヒザが終わりかけています」という言葉を吐いてしまった。
初めてレース中に、弱気発言をした。
ランナーの脳みその役割をするペーサー松山さんは、冷静に
「よし、折り返し地点の山の登りが終わったら痛みが無くなる計算で、ロキソニンを投与するよ。そこから、後半は爆走しよう!」
その提案に僕はまんまと乗り、爆走した。
太モモまでゆうに浸かる水溜り(もはや川)を通るのもこれで4回目。薬で痛みは和らいでいたが、「またここ通るんかよ」とうんざり。
それでも松山さんは、隣で僕をひたすら鼓舞。
「よ〜し、行くよ行くよ〜!3周目より早いペース!」
「まだまだ、ぜーんぜんいけるよ〜!こっからぁ!」
「行くよ行くよ行くよ行くよ〜!!走れ〜!」
ロキソニンの効果が切れ、激痛に耐えながら僕は一言。
「松山さん、行ってます。」
何回このやりとりをしたことか。
僕の身体のこと、痛みのことには一切触れず
ひたすら前だけを目指すP松山さん。
「大丈夫か?いけるか?」
ぐらい声かけてくれよ。と心の中では思いながら
僕はとにかく腕を振って前に進む。
僕は正直、相当イライラしていた。怒っていた。誰かに怒りをぶつけずにはいられなくなった。
そう、これがメンタルがやられるということなのである。
目の前に少しでも走れそうな道が現れたら
「おい、何をちんたら歩いてんねん、さ、走るよ」
という目で僕を見てくるP松山さん。
「そんな目で僕を見ないで下さい」
この言葉も何回も言った。
鼓舞する松山さん、弱音を吐く僕。
壊れたテープレコーダーのように何十回、何百回も繰り返されるやりとり。
「長い」「痛い」「痛い」「長い」「クっ......」弱気な言葉がたくさん出た。
その弱音に対して、松山さんは一言「うん知ってる、行くよ。」
激痛に耐えるのでいっぱいいっぱいだった。
本当は、松山さんと一緒に爆走することを楽しむはずだったのに。今の僕は足を前に運ぶことしかできないという悔しさと申し訳なさで泣きそうになりながら激痛に耐えた。
4周目が終わり、エイドワークに入る。
エイドでは、僕とP松山さんとの距離感(バチバチ感)に対して、気まずい雰囲気が流れた。笑顔も全て作りもんだということがバレていたに違いない。それでも松山さんは「すぐ行くよ~!!!今出れば15位だよ!!行くよ~!!」
「ちょっと待って下さい。待って、、下さい。」
「い〜や、それ食べたらすぐ行くよぉ〜‼︎‼︎」
僕は従うしかなく、一言。「行きます。。」
行きたい気持ちが山々なのに、素直に行きますと言えなかった。
なぜ、僕は山を走るのだろう。
「KOUMI100」。楽な瞬間なんて一度も無かったし、体と心はボロボロになるわで、表面的に見たら、良いことなんて何一つ無いのかもしれない。
会社の人に100mile走ってきますと言うと、中には「金を貰ってでも走りたくない」という意見を頂く時がある。それも、その通りなのかもしれない。
大会前に台風も来ることが分かり、慌てて防寒対策をした。お金もめっちゃめちゃ使う。
でも僕は、来月も100mileを越えるレースに出るし、来年も走ろうと思っている。
あの5周目を松山さんと共に過ごしたからだ。
学んだことが、多すぎた。
彼は、ぼろっぼろになった人間に対して、一切甘やかさず「行くよ、行くよ」を言い続けてくれた。おかげで、一度も「リタイア」という発想は思い浮かばなかった。
5週目に入ったところでおよそ15位。残り35㎞をすべて歩いても完走はできる。それでも、松山さんは僕に「走ること」を求めつづけた。
「俺らのゴールは完走じゃない。この発表会ですべてを出し切ることだ。」
この言葉を聞いた瞬間、僕の中で何かが覚醒した。
いつも通り、歌うわ笑うわで大騒ぎ。心の底から、
「好きでやってんねん!!」と、叫んだ。誰にやらされている訳でもなく、走ることが好きやから走っている。ほんならつべこべ言うな。走れ。
自分の叫び声が自分の中で響いた。仲間と走ってきた風景が頭の中を埋め尽くした。みんなでやってきたことは、本当に価値のあることだったのだと確信した。それが今の自分を突き動かす原動力になっている。なぜか、涙がでた。
仲間の顔を思い浮かべると、自然と涙がでた。
リタイアという選択肢を取らざるを得なくなった仲間の顔を思い浮かべるたびに、僕は走った。
「こんなところで終わりじゃない。走れ。行くよ。」と僕は自分に言った。
5周目の後半。膝の激痛ですら有難く感じるほど、全ての事に対する感謝の気持ちが心を埋め尽くしていた。(実際に、膝の激痛のお陰様で眠気が一切なかったから、逆に良かった。)
現地でのサポート、応援、KOUMIに挑戦するチームメイト、そしてペーサー。
僕が100%好きなことをする為に、こんなにも想いをかけてくれていることが、嬉しくて、幸せで、走っててよかったと思った。
「100mileの醍醐味は100kmを越えてからだ。」
この意味が少し分かったような気がする。
フィジカルもメンタルもボコボコにやられた自分との出会い。
そういうことなのだ。
極限に達した時、「ありがとう」の気持ちでいっぱいになった。
ゴールテープを切る。かかった時間は30時間49分7秒。
完走率は18%だったらしい。
最高の旅、最高の175Kmだった。
ゴールをした瞬間は特に達成感があるわけではなく、ただただ安堵した。「あぁ、やっと終わった、でも、最高だった。ありがとうございました。」
祝福してくれる仲間と合流し、笑顔が溢れ出たと同時に、僕の足はその日の役目を終えた。
100mileを完走して、1週間が経ち、やっとまともに歩けるようになった。次思いっきり走るのにはまだ少しかかるかもしれない。完走した時からずっと体が火照っていて、3日間38度の熱が続いた。全身が痛いし、誰かの手を借りないと普段の生活をおくれない。そんな中の仕事はマジできつかった。
でも、僕はこの時間・体力・お金の惜しみない消耗を最高だと思っている。
だからまた、フィジカルもメンタルもボコボコにやられた自分に、笑顔で出会うべく、これからも走ってやろうと思う。
Photo By石山匠さん