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ペガススとユニコーン

 優雅に空を翔けるペガススのことをさぞユニコーンは妬んでいるだろうと禽獣たちは噂しあい、実際に海の淵に向かって恨み言を叫ぶところをみたと野兎どもは吹聴するのだったが、しかし妬んでいるのはペガススのほうであって、その背にはえた鷲のように雄々しく白鳥のように麗しい翼を羽ばたかせながらも、胸中は森を歩き軟らかい新芽を食むあの一角獣のことでいっぱいなのだった。やつめ、この羽を羨ましいと思わないのか。空を飛ぶこの自由さを僅かにも願ったことがないのか。いやそんなはずはない、あらゆる禽獣が目覚めとともに空を見上げるではないか、それはとりもなおさず空への憧憬であろう。強靭な肢体と牙をもって大地の覇を競う肉食獣どもさえ綿のような小鳥を視界の端に追っている。ならばやつがおれをみないのは、あらためて自らの惨めさを認めるのを怖れてのことであろう、そうにちがいない。やつは新芽を食むふりをして己の羨望から目を逸らしている。自尊心を保っている、新芽がもつ希望を摂取することによって。とそう納得しようにもペガススの心中が凪を取り戻すことはなく、むしろ本当の理解から目を逸らしているのは自身であることをうすうす察し、地上をみないようにと必要以上に空を翔ける。空の自由さをもって心の縛られるのを無視しようというのだがむろん無理な話であり、早晩かれは森より飛来した黒い矢に討たれ絶命することとなる。後年には五十万年後の地磁気反転を悲観し地に墜ちたとされ、名誉は守られるのだが。
 海の淵に至った者は強烈な潮風とともに神の声を聴くとされ、奇蹟を授けられるのだという。断崖と思われる灰色の岩壁から意を決し一歩を踏み出せば、そこには見えないもののたしかに大地が続いており海の淵へ行くことができるが、神への信仰心なくばすぐさま消え去る。断崖を訪れた二頭の白き幼馬は互いを励ましあい、揺れそうになる心を一歩ごと確かめながら歩んでいった。何事にも疑いの目を向ける年ごろであった兄を前にして弟は気が気でなく、その純朴な信仰心を切って受け渡すのだが、兄はすぐさま食いつぶしてしまって長続きしない。それでも何とか二頭は海の淵へ至った。海の淵、それより先に地上はなく、轟轟と海が虚空へ落ちてゆく様は世を知らぬ幼馬の身を竦ませるに充分であった。虚空は神の大桶であり、気紛れな天使がたまに掬っては空から振りまくものが雨。とはいえ怠惰と紙一重の気紛れさは頼りなく、いずれ海の水は尽きるだろうと言われ、見かねた神が溜まりきった水を一挙に地上へ戻したのが四十日四十夜続く大雨と洪水の理由であって、この手間を省くため以来世界を球く造りなおしたのだがこの話には関係がない。
 現れた神は、正確にいえば眼で神を捉えることはできないのだが、震えて立つ二頭を前にして、ただ淡々と奇蹟を授けることとした。とはいえ奇蹟を二つ並び立たせることは出来ぬ、それが奇蹟だからだ、と告げると右手と左手を差し出した。象牙のごとき輝きと蜂の針の鋭さをあわせもつ角。もうひとつが翼であったのだ。兄は神を前にしてその不遜を怖れず、というより神に対する無知が理由なのだがこう述べた。
「弟よ、われわれがこうしてここまでやって来られたのは、何を措いても偉大なる母の言葉があったからこそ。残虐なるゴールンヴァイグの炎に全身を嘗められるなかでわれらを産み落とし、この奇蹟、海の淵の存在を伝えてくれた。これよりわれらは名を棄て、ただ奇蹟を授けられた馬として追手を気にすることなく夜を眠れるのだ。であるからには、この奇蹟を受けるにあたっても母の意を汲まなければならぬだろう」
「もちろんそのとおりです」と弟。
「母はお前ではなくおれを先に産むことを由とされた。だからこそおれはこの背に聖なる羽を受けよう。けしておまえを軽んじているのではない、母を重んじているのだ」
 こうしてペガススとユニコーンは海の淵より戻り、森の禽獣たちの敬意を受けながら、いっぽうは空をもういっぽうは地を棲家としたのであった。
 ユニコーンにも言い分はある。
 追手を気にすることなく、などあまりにしらじらしい気休め。ゴールンヴァイグの執念深さといえば知らぬ者はない、いずれ兄も自分も探し出され、あの魔王の前に跪かせられることになるだろう。そこへきて兄の自己犠牲の心が止むことないのは、こちらの幼さを侮っているのだろうか、わずか数秒差の兄弟だというのに! 空を悠々飛び回り身を晒し、魔王の追手どもはペガススに夢中だ。地を這う一角獣になど誰も目を向けぬ。そうして弟を守って、それで満足か。母はわれら二頭を産み落とされ、その二頭が生き残ることを由とされたのではないのか。片方を犠牲にして生き延びよと言われたのではない。そのような想いと共に黒い矢を番えた魔王の追手を白い角で貫くのだが、闘い方など知らぬ純朴なかれにはむろん無理な話であり、早晩ひらりと身をかわした追手の先にある大樹にその角を捉えられ絶命することとなる。後年には月神の死を悲しむあまり泪が窪地を充たし、ふつふつと湧き上がる呼吸の泡を徐々に小さくして大地を去ったとされ、名誉は守られるのだが。
 とはいえこのような童話が誕生した理由はまったく不明なのだった。近年の創作であるとする説が有力であり、というのもペガススの棲息地は北欧の森林であり、ユニコーンの棲息地はユーラシア大陸の広大な草原であったからで、生存していた年代も三千年ほどずれている。しかしながら最近の発掘調査では奇妙な化石が掘り出されており、それはペガススとユニコーンが互いに抱きあうような姿勢で土中に見つかったのだが、放射年代測定によってもやはり三千年ほどのずれがあり、しかし後から埋まったとしてはあり得ぬほど両者の姿勢は噛みあっている。現在イスタンブールの自然博物館にその姿勢のまま展示されている二頭の化石が発見されたのは横の説明文が語るとおり、ヨーロッパとアジアの境目、カスピ海のほとり。




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