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パラオ🇵🇼の歴史を知って考えたこと


こんにちは!つくるです🌱

パラオ🇵🇼と日本🇯🇵の歴史を
少しですが知る機会がありましたので、
シェアしたいと思います😊♡

(だいぶ真面目な感じになっちゃったゾ🙄)



パラオについて簡単にお伝えします。

親日国の一つだと言われているパラオ🇵🇼
場所はこちらです💁

パラオ🇵🇼


19世紀にスペインの植民地になり、
そこから
スペイン→ドイツ→日本→アメリカの植民地を経て独立🇵🇼
という歴史をたどりました。

スペイン、ドイツの植民地時代には
パラオの人々は「土人」と言われ、早朝から晩まで働かされて
過労や病などで人口は90%も減ったそうです。
そんな中ドイツが戦争に負け、日本の統治が始まりました。
日本人は"日本人とパラオ人の区別は無い、みんなも誇りを持って生きて欲しい(つくる訳)"と優しく接し、水道や学校や病院などのインフラを整え、パラオの人たちと共に国を発展させました。

そして、太平洋戦争になり、
パラオにアメリカ軍が攻めてきました。
日本軍1万に対しアメリカ軍は5万とも言われる絶望的な状況で、
当時の日本軍にできるのは
アメリカ軍を少しでも長くこの地で足止めすることでした。

それを知ったパラオの人たちが「僕たちも共に戦う!」と申し出てくれたのを、
「お前たちの力など借りるか!足手まといになるからさっさと島を出ろ!」と日本軍の隊長は追い返しました。
そして、パラオの人たちが避難する船が出港すると、マングローブの中から日本軍が出てきて涙ながらに見送ったそうです。「戦争が終わったらお前たちがこの地に戻り、この国を取り戻してくれ」と。

その後、アメリカ軍は2・3日でこの島をおさえられるだろうと予想していたそうですが、実際には73日間にわたり、日本軍は耐え戦いました。

ざっとですが、
こんなエピソードを聞きました。

(百田尚樹さんの永遠の0の中でも出てきた記憶があります)

みなさんはどんなことを感じられますか??

私は
"どうして、そんな絶望的な状況の中で
最後まで諦めずにいられたんだろうか?"
と思いました。

私は、もっともっと小さなことで、もう嫌だーと投げ出したくなるのに、、

きっと
当時の日本軍の中には、
自分たちが一緒に過ごして
いろんな知恵を伝えたパラオの人たちが
この地に戻って、再びこの国を取り戻すだろう
立て直すだろうと信じた人がいたんだろうな、
そう信じていたから
自分に出来ることを最後までやれたのかな
と思いました。  

「人は信じた通りの人生を歩む」
という言葉がありますが、
信じるってすごく大きな力がある気がします。 

「自分の意思で」「自分の責任で」
これを信じると決める。

そういう信じ方は強い。

先人たちが命をかけて繋いでくれた歴史の中にいる私。
何を受け取り、何を次に繋いでゆくのかーー。


そんなことを考えさせられました。

私が見た動画はこちらです💁


最後まで読んでくださりありがとうございました😊

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