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落語体験談

言い訳

 大胆にも落語について何か語ることを求められ、嬉々として筆を取れるほど自惚れるのは難しい。使い古された志ん生・文楽乃至談志・志ん朝比較論などが醸し出す「もっともらしさ」の誘惑に負けることは容易いが、そう遠くない将来に後悔することは明白である。そこで私自身の取るに足らない落語体験を粛然と綴ることで文字数を稼ぎ、心ある諸先輩方(はこれを読むか否か、甚だ疑問であるが)には寛大なるお許しを乞う次第である。

落語体験談

 さる夏の土曜日、憎むべき蒸し暑さを電気的仕事により圧殺した某文化会館にて、私が目の当たりにした光景は事件と言う他なかった。
 劇場前方に用意されたステージから、最も遠い対角の席に座った私は、どう見ても最年少の客であった。そして場内平均年齢より一回り若い程度の中年の男がステージ中央に正座した。その男、立川談春の輪郭を私の近眼は遠距離ゆえに捉えることができず、「着物を着たおじさん」のぼやけた像が話し出した。すると「おじさん」の話を場内約八百人が聴きふけり、笑い、泣き、拍手し、時に「ヨッ、ニッポンイチ!」などと怒鳴った。
 立川談春を知らずに会場へ足を運んだわけではない。幾つかの音源は聴いた。『赤めだか』なる立川談春著の自伝小説は瞬時に読んだ。『下町ロケット』の役者だったかしらという淡い想い出があった。それらの記憶と、「今最もチケットが取れない落語家」や「平成の名人」に代表される世間からの評価が私を会場に運んだ。開演前、私は「とにかくウマイ落語が聴ける」という期待にボルテージを高めていた。
 しかしあそこで私が聴いたのは、「ウマイ落語」という一言で片付けるには余りに不届きな、過剰な何かであった。
 聴いている間、私は全てを忘れていた。私は数時間かけてこの会場に辿りついた、とか、今話しているのはあの談春だ、とか、今聴いているのは『らくだ』という噺だ、とか、今のセリフは談志さんとは違うな、とか、そういった意識的な思考回路が完全に停止し、私は忘我状態のエーテルになっていた。全公演三時間。三時間?一分間であったような気もするし、十時間であったような気もする...。
 「ご自愛ください、頑張りましょう、ご自愛ください」と言いながら「おじさん」が幕の中へと消えゆく時、私は涙を流しながら拍手をしていたらしい。らしい、と綴るのは不自然だろうか。しかし意識的な行動を取った記憶の代わりに、会場を出た瞬間の蒸し暑さと共に掌が痛みだし、涙の痕を拭いたという変え難い事実が、そう書かせるのである。
 大して落語を聴いてきた訳でもない若輩の時空間感覚を悉く破壊し、悦ぶべき眩暈を起こさせたのは他でもない「着物を着たおじさん」たる立川談春である。これを事件としなければ、私の理性は納得しない。

落語体験後日談

 あの落語は面白い。あの落語家は良い。あの噺のあのオチは堪らない。自分は落語を知っている。落語、お笑い、大衆芸能、芸術…。この類の言葉を口走り、訓練された鑑賞者を演じる快感を誰もが知っている。が、それに溺れた瞬間に落語はそっぽを向くのである。

 これらの一切、そして自我と呼ぶべき物の合切を忘れ、落語を聴いてみる。

すると私にとっての「志ん生空間」が、ビート族にとってのマリワナと同様の意味を持つに至ったのだ。

米ッ亭露銀 記

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