(28)人の記憶がたどれる限界

028人の記憶掲載用

ミマキイリヒコは「ハツクニシラス」の異名を持っているだけではありません。

治世4年の秋に祖霊から受け継いだ王統の永続を宣言し、三輪山のふもとに王宮を移し、疫病を収めるため三輪山に大物主神を祀り、四道に将軍を派遣し、2代前の大王の王子・タケハニヤスヒコを討伐し、モモソ姫のために巨大な墓を造り……と、いかにも王朝の創始者にふさわしいエピソードが記録されています。

ややこしくなるだけなので原文は掲載しませんが、治世4年秋の宣旨に「徳」「大運」「忠貞」というような儒教的な言辞が記載されているのは、宣旨が後世の創作であることを示しています。しかし『書紀』編者がなぜイハレヒコ紀でなくミマキイリヒコ紀にそれを挿入したのか、ということを考える必要があるようです。

そこで「実在した可能性が高い最も古い大王」がミマキイリヒコで、その崩年干支から西暦212年生~271年没と推計されるわけですが、人の記憶はどこまでたどれるのか、という素朴な疑問が湧いてきます。『書紀』編纂開始からさかのぼると約400年前、暦法が伝来したヒロニワ大王(欽明)のときからでも250年ほど前です。

1812~1815年に刊行されたグリム童話集収録の「ハメルーンの笛吹き男」は、研究の結果、1284年6月26日に起こった出来事が伝承となって残ったと考えられています。1870年にハインリヒ・シュリーマンが掘り起こしたイリオス(トロイ)遺跡は、B.C8世紀の吟遊詩人ホメロスの叙事詩に謳われていました。

強烈なインパクトを与えた出来事が1人の人物に凝縮して、人口に膾炙するだけでなく伝説になる、ということです。文字に固定することができませんから、伝来する間に様ざまな脚色がなされ、尾ひれ羽ひれが付き、ときに名前も別ものに変わっていく。それでも何かしらリアリティは残ります。

ミマキイリヒコが「実在した可能性が高い最も古い大王」なら、その投影がイハレヒコであり、すなわちホホデミでありニニギということになります。では、250年あるいは400年も記憶(伝説)に残っていたミマキイリヒコの「強烈なインパクト」とは何だったのでしょうか。

勝手な推測ですが、「大王の位に就いた(大王になった)」だけでは人々の心に「強烈なインパクト」を残すことはありません。大王位に就くまでのストーリーが必要です。

しかしミマキイリヒコには大王になるまでのストーリーがありません。そのストーリーはもう一人のハツクニシラス=イハレヒコが持っています。ミマキイリヒコとイハレヒコは1人の大王の自績を2つに分けたのかもしれません。

さらにミマキイリヒコ=イハレヒコが212年生~271年没(壮年期は西暦250年前後)の人物だとすると、人々に「強烈なインパクト」を与えた出来事として思い当たる出来事があります。 それは魏帝国との往来です。使節団のきらびやかな行列とうず高く積まれた財宝の山を見た人々が、偉大なる王として口伝えで記憶したのではないかーーという空想・妄想はがいかがでしょう。

写真は 「ハーメルンの笛吹き男」の切手(1978年西ドイツ発行)

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