(18)物部氏が支えた「物部王朝」

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草香邑を「日本」と名付けたニギハヤヒの子孫を追ってみましょう。ここで扱うのは、「物部」の名乗りが固まるまでです。

物部氏の遠祖はニギハヤヒの次男として生まれたウマシマヂ(宇摩志麻遅、ウマシマデ、ウマシマミとも)です。ウマシは「美しい」「すがすがしい」の美称なので、ウマシマヂの実名は「マヂ」ということです。

ウマシマヂの息子ウマシニギタ(味饒田)は熊野國造の祖となりました。次子ヒコユキ(彦湯支)は第2代ヌナカワミミ(綏靖)のとき足尼(すくね)に任じられています。

ヒコユキの子はオホネ(意富禰)といい、その名から推測すると軍事を掌握したようです。「ネ(禰」は尊称の一つで、軍事的首長を意味していました。「オホ=大」が付いているので大将軍といった感じでしょうか。

その長子イヅモシコオ(出雲醜)と次子イズシココロ(出石心)は第5代スキトモ(孝昭)のとき、2人そろって供國(けく)大臣となりました。供國は国政と神祀を指します。

イズシココロの長子オオミナクチ(大水口)は穂積氏の祖とされています。穂積氏から熊野鈴木氏が分かれました。次子オオヤグチ(大矢口)は第7代フトニ(孝霊)のとき、兄オオミナクチとともに宿禰になりました。

オオヤグチの長子オオヘソキ(大綜麻杵)は第8代クニクル(孝元)のとき大禰、第9代オオヒヒ(開化)のとき大臣となりました。「大禰」については前述したとおり、「大将軍」の意味。

その妹ウツシコメ(欝色謎)は第8代クニクルとの間に第9代オオヒヒ(開化)を産みました。オオヘソキは王統の外戚となったのです。

『先代舊事本紀』ではウツシコメと一対のウツシコヲ(欝色雄)の名が出ています。「鬱」の文字を当てる「ウツ」は、「勢いがある」「栄える」「熟れる」の意。シコメは「麗人」、シコヲは「逞しい男」。第8代クニクルのとき供國大臣、第9代オオヒヒのとき斎主(いはいぬし)に任じられました。

オオヘソキの娘イカガシコメ(伊香色謎)は、第9代オオヒヒとの間に第10第ミマキイリヒコ(崇神)を産みました。その兄イカガシコヲ(伊香色雄)はミマキイリヒコのとき、大物主神を祀る神班物者(かみのものあかつひと)に任じられています。

イカガシコヲの子はオオニイカワ(大新川)といい、第11代イサチ(垂仁)のとき大臣となり、「物部大連」の称をあたえられました。

オオニイカワの子タケモロスミ(武諸隅)はミマキイリヒコのとき出雲大神宮の神宝を献上させ、石上神宮に仕えました。 タケモロスミの弟トチネ(十千根)は、第11代イサチ(垂仁)のとき五大夫に任じられ、神祇祭祀のことを命じられました。また父に続いて「物部大連」となっています。

「物部」の名乗りが固まったのはニギハヤヒから数えて8代目オオニイカワから9代目トチネのころということになります。この時期の王権は2代続けて物部氏の血脈が大王に就いています。事実上、物部氏が支えた「物部王朝」と言っていいようです。

ニギハヤヒからの直系を記すと以下のようになります。

ニギハヤヒ—①ウマシマヂ—②ヒコユキ—③オホネ—④イズシココロ—⑤オオヤグチ—⑥オオヘソキ—⑦イカガシコヲ—⑧オオニイカワ—⑨トチネ

写真は石上神宮

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