(21)そのときアマテラスはどこにいたか

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『書紀』や『古事記』が記す神話は、天津神と国津神が織りなす世界です。天津神は高天原にいて、その中心はアマテラス(天照)です。ヤマト王統の始祖であり、ヤマト王統が祭祀しました。

一方の国津神は葦原中国にもとからいた神さまで、オオモノヌシ(大物主)が元締めです。ありとあらゆるモノに宿る精霊が合体した神さまで、ありとあらゆるモノを司った物部氏が祭祀したのはすでに書いた通りです。

国津神の本籍は出雲とされています。10月を「神無月」と呼ぶのは全国の神さまがみんな出雲に帰郷するからで、そのため島根県では10月を「神有月」と呼ぶそうです。

『書紀』や『古事記』が記す神話の世界で、国津神の物語はスサノオ(素戔嗚)が高天原から放逐されたところから始まります。放逐の原因は、スサノオが生母イザナミがいる「根の国」に行くことをめぐる姉・アマテラスとの確執でした。

根の国に出発するスサノオが別れの挨拶に出向いたところ、アマテラスはスサノオが攻め込んできたと勘違いして戦闘準備を進めます。なぜ根の国が確執の焦点になるのか、なぜアマテラスはスサノオが攻め込んできたと思ったのか、それはそれで興味のあるところではあります。

高天原からスサノオが天降ったとき、葦原中国にいたのは国津神だけでした。すなわちオオヤマツミ(大山祇)とその子アシナヅチ(脚摩乳)、テナヅチ(手摩乳)の夫婦、その間に生まれたクシイナダ(奇稻田)姫です。クシイナダ姫が姿を変えた櫛をスサノオが頭髪に挿して、ヤマタノオロチと闘います。

スサノオとクシイナダ姫の間にヤジマジヌミ(八嶋士奴美)が生まれました。このヤジマジヌミこそが大国主であり大物主であり大己貴です。ちなみにヤジマジヌミは「多くの島を統治する主(王)」の意味だそうです。

ところで、ミマキイリヒコのときイカガシコヲが三輪山に大物主神を祀るに際して、天津神はどこにいたのでしょうか。ヤマト王統の大王が三輪山に国津神の元締めを祀ることを、天津神はなぜ容認したのでしょうか。

『書紀』のイハレヒコからミマキイリヒコまで、「天照大神」の文字が現れるのは5回、そのうち4回はイハレヒコが熊野から大和に攻め込むとき、アマテラスが加勢したという記述に集中しています。残りの1回がミマキイリヒコの治世六年、ヤマトに疫病が流行ったときのことです。

原文は以下のようです。

天照大神倭大国魂二神並祭於天皇大殿之內 然畏其神勢共住不安 故以天照大神託豊鍬入姫命祭於倭笠縫邑 仍立磯堅城神籬 亦以日本大国魂神、託渟名城入姫命令祭

ざっくり意訳すると、

天照大神と倭大国魂神を大王の家の中に祀っていたのだけれど仲が悪くて落ち着かない。そこで天照大神を大和の笠縫邑に、倭大国魂神は大王の息女であるヌナキノイリ姫に託して祀った

というのです。

天津神は国津神と一緒に大王家にいたというのですが、それなら困難に直面している大王を天津神が助けてよさそうなものではありませんか。 

写真は「天照大神」像(八百万の神々~神道の心を伝える~から)

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