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住宅価格の高騰はいつまで続くのか?——アフォーダブルハウジングから考える:千葉利宏

トップのグラフは「首都圏新築マンション年収倍率」

 アフォーダブルハウジング(affordable housing)という言葉をご存じだろうか?直訳すると「手頃な価格の住宅」という意味だ。平均的な勤労者世帯が無理のない家賃や住居費で住むことができる住宅のことである。賃貸であれば管理費を含めた家賃が月収の30%以下が望ましいと言われる。
 日本では、戦後になって政府が持ち家政策を推進してきたこともあり、国民の持ち家指向が高まり、持ち家比率は60%に達している。購入する場合も家賃と同様に、住宅ローンの返済額、固定資産税、維持管理費などの住居費が月収の30%以下が望ましいわけで、以前は無理なく購入できる住宅価格は「年収の5倍」が目安と言われてきた。
 冒頭に掲げた折れ線グラフは、首都圏の新築分譲マンションの平均価格を専有面積70平方メートルで換算し、関東圏の勤労世帯の平均年収で割った「年収倍率」の推移である。不動産バブルの絶頂期だった1990年度に8.5倍に達したことがあるが、2022年度にはバブル期を上回る8.8倍となり、23年度には推計で10倍近くに達した。勤労世帯の平均年収の2倍を稼ぐような共働きのパワーカップルでも、年収倍率が10倍を超える価格の住宅を購入するのはさすがに厳しくなっていくだろう。果たして住宅価格の高騰はいつまで続くのだろうか?

■都心部の新築住宅価格は1億円超の時代に
 ちょうど1年前の2023年6月、住宅生産団体連合会(住団連)の定期総会後の記者会見で、会長の芳井敬一・大和ハウス工業社長が「ハウジング・アフォーダビリティ」に言及したことがあった。その年に日本建築住宅センターの井上俊之会長(元・国交省住宅局長)が住団連副会長に就任したこともあり、G7(先進7か国首脳会議)の議題に上がっていた「ハウジング・アフォーダビリティ」に住団連としても取り組んでいくという姿勢を示したのだろう。
 国や地方自治体では、これまでも公営住宅を整備したり、住宅ローン減税を実施したりして、国民に「アフォーダブルハウジング」を提供するための施策を展開してきた。しかし、住宅市場では高値で買ってくれる顧客がいれば、価格は右肩上がりで上昇していく。住宅事業者側が、国に対して住宅ローン減税や各種補助金を強く要望するのは「アフォーダブルハウジング」と言うよりも、少しでも住宅を売りやすくするためだろう。
 新設住宅着工戸数の推移をみると、2019年度に消費税率が8%から10%に引き上げられ、2020年度にコロナ禍が始まり、着工戸数は2年連続で減少した。2021年度は前期比6.6%増と盛り返したが、戸建て注文住宅である「持ち家」は21年12月から前年割れとなり、直近の2024年4月まで29か月マイナスが続いている。2023年度の新設着工戸数は年80万0176戸と辛うじて80万戸台を維持したものの、人口減少とともに新築住宅市場の縮小傾向が強まってきている。
 大手ハウスメーカーでは、戸数の減少を金額でカバーしようと、高額商品の営業に力を入れており、坪単価100万円を超える商品も珍しくなくなっている。延床面積40坪(132平方メートル)の住宅であれば、建物だけで4000万円。都区部で土地を買って建てるとなると1億円は軽く超えるだろう。新築分譲マンションも2023年度に都区部の平均価格が初めて1億円を突破。都区部での新築住宅価格は1億円時代に突入してしまった観がある。

■世界中の都市の住宅市場に投機マネーが流入
 NHKが5月27日に放送した「クローズアップ現代」では「家が高すぎて買えない。“異例の高騰”はなぜ?」と題して住宅価格の問題と取り上げた。その背景を解説する学識者として、筆者も親しくさせてもらっている一橋大学の清水千弘教授が登場。地価の上昇、建築費の高騰に加えて「投機マネー」が入ってきて、住宅価格を押し上げているとの見方を示した。
 2008年のリーマンショックによって世界同時金融危機が発生し、欧米では大幅な金融緩和政策に踏み切った。日本でも2013年に安倍晋三政権の経済政策「アベノミクス」の一環で「黒田バズーカ」と称する金融緩和政策を実施。異次元の資金供給によってインフレを引き起こし、景気を上向かせようという金融政策だった。
 その結果、欧米ではインフレが進み、米国では住宅が投資対象となって2010年頃からマンション価格が右肩上がりで上昇してきた。日本経済新聞の6月2日付けの記事「チャートは語る」では、「米住宅はアメリカンドリームから投資の対象に」と題して米住宅の建設戸数の推移を示すグラフを掲載。2010年を底に建設戸数が右肩上がりで増え、過去最高水準の年160万戸台に達している。そのうち6割を投資に適したマンションが占めているという。
 日本でも、新築分譲マンションの首都圏平均価格は2013年度から右肩上がりで上昇してきた。14年度に5000万円台、19年度に6000万円台、2023年度に7000万円台に突入し、わずか10年で約1.7倍になった。清水教授は「世界中の主要都市で住宅市場に投機マネーが入ってきており、どの都市でも打ち手がない。東京都心部でも投機マネーを追い出すことは難しい」との見方を示していた。

■30年前のバブル崩壊はどのように起きたのか?
 「打ち手がない」となると、住宅価格の高騰はまだまだ続くのだろうか―。清水教授はNHKの解説では言わなかったが、「投機マネーが入っている」ということは「不動産バブルが発生している」または「発生する可能性がある」ということだろう。もし「不動産バブル」が発生しているのであれば、いつかは崩壊する。それは過去の歴史を見ても必ず起きた現象である。
 日経新聞の6月2日付け「チャートは語る」では、「米マンション、焦げ付く夢」との見出しで、米国のマンション価格が2022年をピークに2割下落しているグラフも掲載した。10年続いたマンション価格の上昇が下落に転じ、マンション向け融資が焦げ付くことになれば、いずれ金融機関に巨額の損失が発生することになる。2008年のリーマンショックは、信用力の低い個人向け住宅融資のサブプライムローンの焦げ付きや信用力低下が引き金となって発生したわけで、今後の動向を注意深く見ていく必要があるだろう
 では、日本の住宅市場の現状はどうなのか。
 まずは日本経済の“失われた30年”のきっかけになった1990年の不動産バブル崩壊を振り返ってみよう。筆者は、2002年に橋本龍太郎元総理、日銀総裁に就任する直前の福井俊彦・元日銀副総裁を始め、数多くの不動産業界関係者を取材して不動産バブルの発生から崩壊に至る経緯を詳しく原稿にまとめたことがある。
 一般的に不動産バブルの発生は、1985年のプラザ合意のあとの金融緩和政策に起因していると言われるが、1982年に発足した中曽根康弘内閣が打ち出した東京などの都市開発を促進する「アーバンルネッサンス構想」が発端だ。現在は品川インターシティが建つ旧国鉄品川操車場跡地の入札(1984年)では、市場価格の2倍という高値で落札され、地価高騰の発端になったと言われる。
 1986年に内需拡大政策の一環として住宅促進税制が創設され、87年に入ると商業地の後を追うように都内の住宅地が高騰。「都心部の超高級マンションが坪1000万円で取引された」などさまざまな情報が飛び交い、首都圏マンションの年収倍率はわずか5年で4.8倍から8.5倍に上昇した。
 こうした急激な地価上昇で国民の間でも住宅価格に対する不満が高まり、政府も地価対策に乗り出し、バブル潰しが始まった。1990年4月に不動産融資総量規制が導入され、秋にはNHKが特別報道番組「地価は下げられる」を放送する。「放送が終わったあと、本当にパッタリと土地が動かなくなったのを覚えている」(大手不動産役員)と、多くの不動産業の関係者にNHKの番組は強烈なインパクトをもって受け止められていた。

■アフォーダブルハウジングの実現で住宅市場の健全化を
 改めて現状を見ると、首都圏新築分譲マンションの年収倍率はバブル期を大きく上回る水準となっているが、30年前のようなバブル潰しの動きは起きていない。政府や役所からも「アフォーダブルハウジング」に基づいて住宅政策を進めようという声は聞こえない。30年前の現在では、住宅市場と取り巻く環境が様変わりしているからだろう。
 30年前の住宅ローンは金利が4%以上で、返済期間も最長で25年程度と短く、返済額を考慮すると融資額も限られていた。1980年代はちょうど団塊の世代が40代の働き盛りで、住宅取得意欲の高い時期だった。そのような状況で、わずか5年間で年収倍率が一気に8.5倍になるほど住宅価格が高騰すれば“バブル潰し”が始まるのは必然だっただろう。
 今は住宅ローンの返済期間も35年が一般的で、日銀が1999年にゼロ金利政策、2016年にはマイナス金利政策を導入したことで金利も1%程度で安定的に推移してきた。その結果、借入額を大幅に増やすことができ、「5年」が目安と言われてきた年収倍率の7、8倍の物件でも手が届くようになっている。
 バブル期と比べて、住宅価格の上昇ペースが緩やかで、団塊ジュニア世代も50代を迎え、新築住宅市場から退場し始める時期に来ている。30年前と決定的に違うのは、都市部でも空き家が発生し、住宅が大量に余る時代になったということだ。住宅ストックを活用することで手頃な価格の住宅を取得しやすくする動きも広がってきている。とは言え、ここ2年ほどの住宅価格の上昇は、NHKが言うように“異例の高騰”と言えるだろう。
 今後は、日銀の金融緩和政策も見直され、住宅ローン金利も徐々に上昇していくことが予想される。それをカバーするために返済負担が軽減できる残価設定型ローンの提供も始まっているが、年収倍率で10倍近い高額物件には手が届きにくくなるだろう。その一方で、世界の主要都市に比べて、東京、大阪などの住宅価格は割安で、円安も進んでいることから、今後も海外などから投資マネーは入ってくるという見方もある。
 30年前のバブル崩壊でマンション事業者は、思い切った損切りを行うことで販売価格を引き下げ、わずか4年後の1994年からは首都圏で年8万戸レベルの大量供給が始まり、第6次マンションブームが到来した。ある意味、「アフォーダブルハウジング」を実現することは、健全な住宅市場を形成したと言えるだろう。今回の住宅価格の“異例な高騰”は、どのような結末を迎えるのか。日銀の金融政策や米国住宅市場の動向を見ながら注視していきたいと考えている。

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