(1)日本の「古代」はいつからいつまでか

遮光器土偶

日本の〈古代〉とは、いつからいつまでか。歴史教科書では「弥生時代から律令の時代まで」を指すことになっています。しかしここでは、「弥生時代から奈良時代まで」で区切りたいと思います。

具体的にいうと、紀元前700年ごろから紀元後700年ごろまでの1400〜1500年間、最大でその前後100年を加えた1600〜1700年間です。21世紀の現在から1600年さかのぼると継体天皇の時代、1700年さかのぼると卑弥呼女王のちょっとあとの時代に到達します。つまりこの国の歴史の半分以上です。

わたしたち昭和20年代生まれの世代は、小学校や中学校の歴史の授業で、(1)狩猟採集の縄文時代が長く続いていた、(2)紀元前3世紀ごろ稲作が始まって弥生時代が始まった、(3)紀元後3世紀の後半から古墳時代、(4)6世紀ごろから飛鳥時代、(5)710年の平城京遷都で奈良時代——という時代区分を覚えました。

そして高校生のとき、宮崎康平さんがお書きになった『まぼろしの邪馬台国』で、紀元3世紀の前半に「邪馬台国」という古代国家があって、そこに「卑弥呼」という女王がいて、30の小国を率いていたということを知りました。

江上波夫さんの『騎馬民族征服王朝説』ですとか、藤間生大さんがお書きになった岩波新書『倭の五王』ですとか、もう順番は覚えていませんけれど、日本の古代史にかかわる様ざまな本から様ざまな知識を得てきました。そうしている間に、順不同ですが、松本清張さん、鈴木武樹さん、古田武彦さん、安本美典さん、大和岩雄さんといった、日本古代史の非専門家が独自の視点に立った考察を発表されました。

なかでも『東アジアの古代文化』では、井上秀雄さん、大林太良さん、山本武夫さん、國分直一さん、吉野裕子さん、このほかにも多くの論者がキラ星の如くに論を闘わせました。それを読むと、どうやら日本の古代史は分からないことばかりなんだということが理解できるようになりました。

この国の起こりはほとんど霧に包まれているわけです。最近の研究では弥生の始まりは紀元前7世紀、最大紀元前1千年にさかのぼる可能性が出てきました。

ところで、古代北東アジア世界における日本の公式な表記は〈倭〉でした。これは日本列島の住人の自称ではありません。名付けたのは中国の人たちです。なぜ〈倭〉なのか、由来は分かっていません。間違いなくいえるのは、初めて中国の人と出会った日本列島の人が「ワレは」と言ったから、ということではないようです。

(写真は青森県つがる市の亀ヶ岡遺跡から出土した遮光器土偶)

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