コロナかコアラか、こりゃぁもう……
他人というより管理のための管理組織(つまり権力)から必要以上に管理され指示されることを個人的に好まないせいで、緊急事態宣言を「出してくれ」と自分たちから望むのは決していいことではないと思うし、「出すのが遅かった」と非難してもあとの祭りというか結果論でしかない。とはいえ発令した以上は発令した人が結果責任をとるほかないのに「辞めて済むモノではない」とは政治家としていかがなものか、まして専門家会議の副座長に「ね、そうですよね」と同意を求めるのは大いなる勘違い筋違いだ。いずれにせよ「緊急」事態を宣言したのだからこれはもう臨戦態勢交戦状態にほかならず、平時と同じような、ないしその延長線上で経済のことを勘案しながら「調整中」を続け、「様子を見ながらやっていく」というのは妙チキリンなことだと思う。ダイヤモンド・プリンセス号の船内感染以来3月頭から(さかのぼれば2月中旬から)ず~~〜~と調整中で様子を見ているわけだからその間にいろいろ手は打てただろうに、一気呵成、最大限、思い切った、旧来の習わしにとらわれず、私の責任において、と力強く語っていた緊急事態の具体策はいつ出てくるのかな? 全世帯のガス・電気・水道料金を国が持つ、と言えば内閣支持率はグンと上がるし、併せてNHK受信料も無料にする手もあるけれど、国策放送になっても困る(もうなってるか)。「指示してくれないと閉めていいのか閉めなくていいのか分からない」と個人商店が言うのは優柔不断な指示待ち人間だからじゃなくて、店を閉めたら補償金を貰えるのか、貰えないなら店を開けてちょっとでもお金が入ってくるほうがいいかな~という意味だが、なかなか役所が決めきれない。なぜかというと補償金を国が負担するのか負担しないのか(基本、負担しないと言っている)、都や県はできるだけ負担したくないので押し付け合っているわけだ。そうやっている間に太平洋戦争のときのように「この非常事態に外出するなどけしからん」「店を開けるとはどういう神経をしているんだ」という変な正義感が台頭する。感染とヘイトの輪がどんどん広がって、オーストラリアの森林火災のようになる。政府はガダルカナル作戦とインパール作戦を同時並行で遂行するつもりのようなのだが、日本人の精神構造は75年前と不変、不撓不屈の精神はこういうときに発揮して欲しくないのだよ。コロナかコアラか、こりゃぁもう……。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?