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「蟲」:ユビキタスでサラウンドな自然の畏怖を感じる概念

日本人にとって「蟲」という言葉には特別な意味があるように感じる。虫はカブトムシやバッタや蝶をさすが、蟲となるとそれらも含む「環境」としての意味合いが強いように感じる。このように文字のニュアンスに違和感を覚えた場合、まず最初に辞書を調べることにしている。
漢字文化史料館のサイトには以下のように書かれている。

この「蟲」という字も、小さなムシがたくさん集まっている様子を表した会意文字(中略)「虫」は甲骨文字では図のように書かれており、マムシの象形文字だとされています。つまりこの「虫」の字は、マムシに代表されるような、ヘビのことを表していたようなのです。

https://kanjibunka.com/kanji-faq/jitai/q0181/

なるほど、「蟲」には昆虫以外にも地面を這う生物を指す範囲で使われているらしい。他に蟲に言及した東洋思想はないものかと試案していたところ、陰陽五行思想を思い出した。五行思想には「五虫」という考えがある。動物を5つに分類する考え方である。

五行説は、天地万物の様々な物事を「木・火・土・金・水」の5つのカテゴリーに分類し、相互の影響関係や盛衰交替を説明しようとします。以下の引用がめちゃくちゃわかりやすい。

五行とは,水・木・火・土・金という5つの要素の調和に基づき,自然界のあらゆるものが成り立っているという思想である.図3は五行の関係図である.五行は,それぞれが,自分の右隣の要素を育てる関係にあると考える.これを相生という.水は木を育て,木は火が燃える力となり,火は燃えつきると土の栄養になり,土は土の中で金属を育て,金属は周りに水を生む.相生は,母と子の関係に例えられる.一方,五行はそれぞれの自分の右隣の次の右隣の要素を攻撃する関係にあると考える.これを相剋という.水は火を消し,火は金を溶かし,金は木の根が育つのを邪魔し,木は土の養分を吸い取り,土は水が流れるのを堰き止めるのである.相剋の関係は,兄と弟の関係に例えられる.五行の関係においては,相生によって,さまざまなものがすくすくと成長し,相剋によって,成長がそれなりに抑制されることによって,あらゆるものが調和を保ちながら変化をし続けることができることを表している.

https://www.jstage.jst.go.jp/article/ejgeo/11/1/11_188/_pdf

では食物連鎖と比べてみよう。食物連鎖といえば、『??が最強』といったような順位づけのイメージが強いだろう。「高次消費者」という言葉があるように思想の根本には序列が存在する。一方で五行には序列は存在しない。相性はあっても優劣は存在しない。我々日本人にはこちらの方が馴染みがあるのではないだろうか?
次に蟲を単語ではなく文章から読み解いていこう。生物に用いる単語として蟲には「湧く」という独特の表現を用いることがある。「犬が湧く」「ワニが湧く」という使い方はやや不自然である。「湧く」は一般的には「水が湧く」というように使う。地面から出てくるという意味だ。もう少し広義に考えると内側から外側へ無数のものが出ていく様をいうのであろう。「湧く」を蟲に
使うということは、我々には”地面から虫が湧く” ”死体からウジが湧く”というように、蟲が至る所に宿っていてそれらがどこからともなく現れるという感覚がそなわっているのだろう。四季の変化が激しい東アジア独特の感覚かもしれない。また、秋分の次候に「蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさぐ)」というものがある。晩の冷え込みに虫たちが冬篭りのための穴にこもり入り口をふさぐ、という意味である。蟲は湧いてくるだけでなく、大地に戻るという感覚も我々にはあるのだ。
五行の話に戻ってもこれは納得がいく。相生の概念で説明がつくからだ。このように日本人には「蟲はユビキタスに自然にも、もっと言えば人間にも内在している」という感覚があることがわかる。
より直感的に理解するために、夜にカエルが鳴いている場面を想像してみよう。外は暗くカエルの鳴き声が聞こえるわけではないが、彼らの存在は鳴き声で認識され我々を包み込むように肌に触れてくる。この時我々は風情を感じ、自然に包み込まれるような神秘性を感じるのではないか。トンボや蛍が宙をまう姿も同じである。ちなみにカエルは裸虫に分類され、人間やナメクジと同じカテゴリである。
ここまで来れば「霊木に蟲が湧く」というように個体としての虫ではなく、群/概念としての蟲にアニミズムのような神秘性を感じるのも不思議ではない。事実、蟲は不可解な自然現象を引き起こしている原因として考えられていた。

虹はかつては虹霓(こうげい)といわれ、雌雄一対の竜の一種と考えられていました。
海辺や砂漠に現れる幻の現象「蜃気楼」は、「蜃」という生き物が吐き出す呼気によって作り出された楼閣だとされました。「蜃」は、巨大なハマグリとも、あるいは龍のような生物ともいわれています。蜃の字の「辰」は2枚貝が殻から足を出している象形を指しますから、海の彼方に現れる楼閣という意味ではハマグリのほうがしっくりきますね。ただ一方で「辰」は龍の意味もありますから、龍という聖獣のイメージの成り立ちには、意外なことに海の二枚貝も関係していたのかもしれませんね。
「孤独」という言葉の「独」にもつくりに虫がつきます。元の字は「「獨」で、この「蜀」は、一説ではオスしかいない伝説上の生き物だとも、また蛾の幼虫の毛虫のことともいわれます。毛虫に寄り添う一枚の葉のようにヒツジの群れの番をする犬の姿から、独りであることを獨とあらわしたしたといわれます。

https://dot.asahi.com/articles/-/24872?page=1

蟲は漢方にも使われている。西暦1世紀頃の中国の医学書「神農本草経」では収録された全生薬365品目の内16.7%を動物性の生薬が占め、その内41%が昆虫でした。

https://kano-watanabe.jp/kanowatacolumn/insectfood/

「蝉の抜け殻」「みみず」「ゴキブリ」「ヒル」「ムカデ」「蟻」などさまざまな生物が漢方に用いられている。科学的に考えればそれだけ栄養のあるということであるが、漢方は食することで体の陰陽のバランスが整うと考えられていたようです。
https://www.frontiersin.org/journals/pharmacology/articles/10.3389/fphar.2023.1125600/full
常世神と呼ばれる神様もおり、実態はアゲハ蝶の幼虫だったのではないか?ということまで言われている。

このように蟲によって東洋人が感じる神秘性は上げ始めればキリがないのであるが、私が強く主張したいのは「日本人にとって蟲はユビキタスでサラウンドな自然(神)の畏怖を感じる概念として存在していた」ということだ。私は、昆虫を電気刺激で制御しインターフェースにすることでさまざまな表現活動を行う作家であり、なぜ昆虫に魅了されたかといえば根底にはこのような霊性(精神)が脈々と受け継がれてきたからに違いないように思える。玉虫を用いた工芸品「玉虫厨子」は飛鳥時代に作られた国宝であるが、玉虫の部分はほとんど剥がれ落ちてしまっている。しかしだ、ほとんどいうことは少なからず残っているのであり、昆虫の1000年以上もつミディウムとしての耐久性には目を見張るものがある。私も自身の作品を通じて虫の美しさ、人間と蟲との文化的関係性を表現できればと願うばかりである。

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