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自分の本質について考える

最近、仲良くしている職場の同期がいる。
年は二つ上で、推定INTP(もしくはINTJ)だと思われる。

きっかけは、向こうからサシで飲みに行こうと誘われたことである。
入社3年目、直接顔を合わせるようになってからだと2年目ほどの時期だった。
その前からでも休憩時間にたまに二人でコーヒーを飲みながら喋ったり、大人数の飲み会で話したりと言った交流はあり、会話のトーンとか間がなんとなく合うなと言った感覚は自分もあったし相手も感じていたと思う。

初めてサシで飲んだ時は、とても大人数でできないようないろんな話をした。
会社の評価の話だったり、人付き合いの話、恋愛の話。
その時、その同期(以後INTPとする)が何度も「俺ばっか話してる」と言っていたのがよく印象に残っている。
また、このセリフは半年後の今でもよく言う。
この件についても何度か話したが、私たちは普段圧倒的に聞く側に回ることが多く、傾聴力に多少の自負があった。
そしてその分、自分の話を聞いてもらうことに少しだけ慣れてなかったんだと思う。
もちろん、他の人との会話で自分の話を一切しないなんてことはないが、自分と相手の話す量を比べた時に自分の方が多くなる感覚をあまり経験したことがなかったんだと思う。

INTPとの会話は自分にとっては新境地だった。
仕事の話もプライベートの話も、今まで友達としてきた会話は基本的に状況や感情の共有・共感がメインだったが、INTPはそこで生まれた自分の考えをじっくりと育てるような人だった。
かくゆう私も、昔から意識的にも無意識的にも考える人間だったと思う。
だからこそ、今までと何も変わらないはずの話題なのに盛り上がる所も違えば展開の仕方も違う。と言うか心の底からわかると感じることが新鮮で、最近の自分はもしかしたらN型では?と思うほど考えることにハマっている。
そして他の人との会話に物足りなさを覚えているようになりつつもある。
所謂NT的(少し概念的で論理的)な会話は、女の子同士で盛り上がるような話題ではなくて、でも自分にとっては非常に興味深く楽しいものだった。


INTPは、時々社内のコミュニケーションツールで「話したいことができた」と言う。休憩時間にサクッと話したいのか、お酒も交えてじっくり話したいのか。その時は両方あると言った。
そして、仕事終わりに飲んで2軒目に向かう際、自分たちはお互いコミュニケーションの際に相手に壁を作りがちだという話になった。無愛想なわけではないが、ここから先は踏み込んでくれるなといった壁。常に薄く、しかしはっきりと壁を作りがちだという。そしてINTPは私に「まだあなたの本質がわからない」と言った。
驚きもしたし「そうだよね」とも思った。
INTPには他の人にはしないような色んな自分の考えを話しているし、そこに嘘偽りはないつもりだった。
ただ、自分の本質を見せているかと言われると自分でもわからなかった。


そもそも自分の本質とは何か。

よく考える方だと自負しているが、今まで自分の本質についてはあまり考えてこなかった。INTPは「自分の本質がわからなくなった」とも話していた。(少し話が逸れるが、本質にこだわるところを見るとINTJなのかもしれない。)
おそらく、自分にとって本質はそれほど重要ではない。
自分の本質はわからないが、そこに違和感を感じない。それはINTPに「本質とは」と言った問いを投げられても変わらなかった。
「本質ってそんなに大事?」とも言った。
というのも、今まで自分の心が本当に感じたことを素直にそのまま表現してきたことが本当に少ない。特に少しセンシティブな場面になると、途端に相手の求める回答を無意識に探してきた。
自分の正直な答えは相手に求められていないことを、私はこの二十数年間で常にうっすらと感じていた。自分の意見をそのまま出さないことをある種の正義と感じていた私にとって、本質を見つめることは必要ではないことだった。
だが、INTPにとって本質はおそらく必要で、自分も相手も本質を知ることに大きな価値を置いているようだった。

自分自身、必要ではないと思いつつ本質に触れられることが嫌なわけではない。むしろ自分一人ではあまり考えてこなかった分、興味深いとも思った。

自分の本質。と言うより本音。
表面的にとるリアクションと心の奥底で思ってることや感じてることに確実なギャップは存在した。
ただし、その本音は表現する必要がないと思っていた分、明確に認識できないしうまく言葉に結びつけられない。
本音を隠したリアクションは、常に相手にどう受け取られるかを意識していた。実はまだ落ち込んでいるとかモヤモヤしていることをジョークの一環として笑って見せるとか、それ違くない?と思うことを「なるほどな〜」と言って悩むふりをするとか。
私は常に人とのコミュニケーションに諦めのようなものを感じているような気がする。他人とは共感できないもの。そして自分の我を通すことはダメなことで、自分の気持ちは押し殺して共感しなければならないもの。
(こう改めて書いてみると本当にISTPか?と思うが、今回は一旦気にしないものとしよう)
共感できないとは書いたが、理解はできる。
理解できる以上、それを尊重しないことは自分として許せない思いがあるのかもしれない。
心の底から共感できないからこそ尊重したい。そんな気持ちが無意識で強く働いているような気がする。

そして本音は、自分も尊重されたい。

いまの今まで、なんならINTPと話した時でさえこの答えは出てこなかった。
でも、至極単純な話である。
やはり、相手に取るコミュニケーションは心の奥底で自分が求めているものなんだなと思った。

少し話が脱線したが、「自分の本質」という面では「考えること」だと思う。
自分も尊重されたいという素直な気持ちに、いまの今まで気づくことができなかったのはひたすら遠回りに考えてしまっていたからだ。
なんでもかんでも思考だとか論理に結びつけたがるのが厄介な所だ。
本音はやっぱり感情に依ってしまうもの。
本音(感情)をそのまま外に出さないように「考えて」言葉を選ぶ。
相手の共感できない部分を「考えて」理解しようとする。
その瞬間、相手が求めている回答を「考えて」出す。
私のアウトプットには常に「考える」がついてくる。
このことを話したらINTPは「考えてアウトプットすると言う作業は加工に近いと思っている。だから本質が見えないと思ったんだ」と言っていた。

INTP曰く、本質とは毛糸が絡まった状態のことで、その毛糸をほぐして一本一本の糸に紡いでいく作業が思考の整理であると。そういう意味でいうと、私は自分の本質を他人に見せることがすごく難しい。というか、もしかしたら不可能に近いかもしれない。
なのに、それを心の奥底では見透かして、尊重してほしいと思っている。
非常に面倒くさい性格である。
でも、本質に触れられることは嫌いではない。
ならばこれからは、たまに本音を「言葉にしてみる」といった必要最低限の加工だけ、言ってみれば多少絡まった状態で表現する練習をしてみることも大切なのかもしれない。

と、思った話。


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